Long story


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 いっそのこと、羞恥で死んでしまった方が楽だったかもしれない。
 秋生は目の前に突き付けられた問題集の山を見つめて、本気でそう思った。

「終わらない……眠い……」
「まぁ、もう3時だしね」

 桜生はテレビ画面に映っている時刻に視線を向けてから、苦笑いを浮かべた。
 いつもなら秋生か桜生が夜遅くにいるリビングには、華蓮か李月のどちらかがいる。しかし、今日はそのどちらの姿もない。
 それは、秋生と桜生がどちらもいなくなった頃を見計らってリビングに出てきたからだ。多分、いる間に出て来たらどちらも最後まで付き合ってくれたに違いない。しかし、それでなくても今日は色々と迷惑をかけたので、これ以上迷惑をかけるのは嫌だという秋生の意志の結果だった。本来なら桜生を付き合わせるのも気が引けたが、何度寝てもいいと言っても桜生は一緒にいると聞かなかった。

「ごめんな、桜生。付き合わせて」
「いや、いいよ…。僕の方こそ…小さい秋生に悪いことしちゃったし……」
「俺…覚えてないんだけど」
「むしろ、覚えてなくてよかったよ。本当にごめんね。最後まで付き合う」
「よく分かんねぇけど…ありがと」

 桜生はどこか申し訳なさそうな表情を浮かべているが、秋生にはまるでぴんとこない。
 3歳だったころの記憶はほぼ全部戻っていたが、桜生が言っているその記憶だけはどうしても思い出せなかった。
 目が覚めた時(元に戻った時)に最初に泣いていた原因が桜生らしいが、秋生はただただ華蓮がいなくなるのが怖くて泣いていた記憶しかないので、そんなに謝られても困るばかりだった。

「なぁ桜生、この問題どうやって解くんだ?」
「はっはっは、秋生君。僕に数学を聞くなんて頭が壊れちゃったかな?」

 一体どんなキャラなのだ。桜生こそ、眠気で頭が壊れたのではないだろうか。

「桜生、先輩に教えてもらってたじゃん…」
「僕が教えてもらってたのは、夏川先輩厳選問題だけ」
「はぁ?」
「僕でも解けそうな問題ってこと。この問題見たことないから…多分、僕の理解レベル範囲外なんだと思う」
「なるほど……」

 秋生は桜生に聞くのを諦めて自分で調べることにして、問題集の答えを開いた。しかし、答えには確かに解き方が書いてあったものの、文章が小難しいのに加えて目を閉じれば一瞬で寝られそうな眠気のせいで、全く理解することが出来なかった。
 そして、理解できないということだけ理解した頭は、その瞬間に急激な眠気を誘ってきた。

「もう無理だ。眠い」
「諦めたらそこで試合終了ですよ」
「いやでも……眠い……」

 テスト勉強どころか、ここ数日は全くに授業も受けていない。
 だから、せめてテスト範囲の問題集を真面目にやって勉強しようと思ったのだが。それももう無理そうだ。

「じゃあもう、答え丸写し作戦に移行する?それなら僕も手伝えるよ」
「うん…そうする…」

 そう答えて桜生に問題集の一冊を手渡したのとほぼ同じタイミングで、リビングの扉がガチャリと音を立てた。開いた扉の隙間から、白いジャージが顔を出す。

「お前ら、まだ起きてたのか」

 リビングに入って来た李月は、ダイニングに座っている秋生と桜生を見つけて驚いたように声を出した。桜生に問題集を手渡した秋生は、机に頭を乗せながら視線だけ李月に向ける。

「俺の…提出物……終わらせ……」

 ああ、もう言葉も上手く出て来ないほどに眠気が襲ってきた。
 机に頭を乗せたのが悪かったと思いながらも、もうそれを持ち上げることもできない。

「あらー、いよいよ限界かな。…秋生がテストの提出物するの、手伝ってるの」
「提出物って……これ全部、明日の提出物なのか?」
「いえっす。世の中、秋生に厳しいよね」

 全くもって、桜生の言う通りだ。
 テスト自体は3日あるのだから、せめて分散させてほしかった。

「秋生、ずっと授業出てなかったから。ちゃんと問題解くってさっきまでやってたんだけど。数学で躓いて、もう答え写すかってなってからの…この状態」

 答えを移す気力もないくらい、眠気が襲ってきている状態だ。

「欠点…大丈夫なのか」
「どうなの、秋生?」
「たぶん……むりれす……」

 今にも寝てしまいそうな秋生がかろうじて口を開くと、身体は元に戻っているのに3歳児だったときのような声が漏れた。呂律が、思うように回らない。

「無理ならダメでしょ!秋生、起きて!」
「んー…わかってる。おきてる、おきてるからぁ……」
「ああ!秋生がやばい顔してる…!これ寝る!秋生だめだよ、起きて!」

 やばい顔とはなんだ、人を変質者みたいに言うな。と、頭の中ではギリギリ突っ込むことができた。
 しかし、ゆさゆさと体を揺すられても、もうそれに抵抗することもできない。

「やばい顔してるって…お前な……」
「眠気のピークを越えて尚且つ無理矢理起こしてるとなるんだよ!つつくと溶けそうな顔でしょ!?」

 溶けそうな顔ってどんなだ。
 まだかすかに耳に聞こえる声に、秋生はゆらゆら体を揺られながら突っ込みを入れた。もうこの体を許されることさえ、心地よく感じてきてしまっていた。

「溶けそうって何だ…」
「なんでもいいから!とにかくいつくんも手伝って…!」

 桜生の叫びのような声の後に、小さい溜息が聞こえたような気がした。多分、李月の溜息だ。

「出すか、最終兵器」
「え…?」
「ちょっと待ってろ」

 それっきり、李月の声は聞こえなくなった。桜生の声も聞こえなくなった。
 これは自分が寝てしまったのだろうか。それとも、2人とも痺れを切らして出て行ってしまったのだろうか。
 秋生はふわふわした意識の中でそんなことをぼうっと考えていた。





「秋生」

 華蓮の声がしたような気がした。
 視線を上げると、華蓮の顔が見えたような気がした。
 これは、夢だろうか。

「起きろ、秋生」

 そう言って腕を引かれて体を起こされると、さっきまであれほど重たかったからだが一瞬で持ち上がった。
 すると、見えたような気がした華蓮の顔があった。夢なのかどうなのか分からないが、触れたいと思った。

「うーん…せんぱい……」
「寝ぼけてるのか…?」

 不思議そうに首を傾げている華蓮に腕を伸ばして首に回すと、すぐそばに体温を感じた。
 頭がふわふわしているのは相変わらずだが、それに加えて全身が心地よくて、離したくなくて、幸せすぎて仕方がない。

「せんぱい…すき……だいすきです…」

 この幸せを伝えたくて口にすると、うっすらと見える華蓮の表情が少し驚いて、それから少し笑った。
 華蓮の笑顔を見られたことを嬉しく感じた秋生は、首に回している腕に力を込める。

「これ…このままじゃ駄目なのか」

 耳元で聞こえる声が何と言っているのか、あまりよくは聞こえない。だがそれは確かに華蓮の声で、ぼうっとしている頭に子守唄のように響いていた。それと同時に抱きしめられた感覚があまりに心地よく、秋生はうっすらと開いていた瞳を再び閉じかけていた。

「お前…何ちょっと嬉しそうな顔してんだよ」
「もー、夏川先輩ってば!駄目です起こしてください!」

「ん……?」

 意識もなくなりかけた刹那、李月と桜生の声を耳にした秋生は、現実に意識を引き戻された。
 そして再び華蓮の顔を認識した瞬間に、今度はふわふわしていた意識も一瞬で覚醒した。

「せ――――先輩!?」
「チッ…起きたか」
「えっ…え!?何で!?」

 どうしてここに華蓮がいるのか。秋生はあたふたとしながら、視線を上げる。何度見ても、やはり華蓮だ。

「あいつ今舌打ちしたぞ」
「夏川先輩ってば…まぁ、起きたからいいけど」

 どこか呆れたような李月と桜生の声がした。声のする方に視線を向けると、ソファにいる2人が振り返ってこちらを見ていた。

「…桜生………が?」
「正確にはいつくん。最終兵器夏川先輩を召喚しました」

 桜生はそう言って、李月を指さした。

「召喚…!?…え、偽物!?」
「馬鹿か貴様は」
「うわっ、本物だ…!」

 秋生が驚いていると、華蓮は呆れたようにため息を吐いた。
 やはり華蓮だ。何度見ても、何度確認しても華蓮だ。偽物ではない。

「もう何でもいい。お前…、問題集するんだろ」
「あ、そうか!……うぁあ…、多いぃ…」

 そう言えば、だからここにいるのだった。
 秋生は眠気のせいで本来の目的をすっかり忘れていたが、華蓮に言われて問題集の山を目にして、再び現実を叩きつけられた気分になった。

「丸写しにするのか?」
「あー…いえ。先輩が召喚されて目が覚めたので、できそうです」
「なら終わるまでいるから、分からないところがあったら言え」

 そう言うと、華蓮は秋生の隣の椅子に座ってゲームを出してきた。
 優しい。いや、ときどき優しいのはそうだが、何だろう。少し、違う気がする。

「やっぱり…偽物……?」
「そう思いたいならそれでもいいから、さっさとそれを片付けろ」
「は…はい……」

 華蓮は一瞬だけ呆れたような表情を秋生に向けてから、ゲームの電源を入れた。
 秋生は不思議な気分になりながら、問題集に視線を落す。そうすると、そもそも寝てしまうそうになった原因の問題が目に飛び込んできた。

「あの……先輩…」
「何だ」
「ええと…これ……」

 ゲームから顔を上げた華蓮に、秋生は問題集を差し出した。
 シャーペンで眠気の原因となった問題を指すと、華蓮はゲームを置いて問題を覗き込む。そしてすぐに、顔を顰めた。

「お前…本当にこの問題集で合ってるのか?」
「え?……うん?…あれ?…あああ!これ、2学期で使う方の問題集…!」

 てっきりここ数日授業に出てないから分からない問題だらけなのだと思っていたが、そもそも誰も習っていない場所なのだったら分からなくて当然だ。

「うわ、秋生ばっかだー」
「う…うるさい桜生!」

 ソファから聞こえる桜生の声に言い返して、秋生は問題集の山から本来するべきはずの方の問題集を引っ張り出してきた。
 大体、2学期で使う問題集を1学期に配る方が悪いのだ。そんな悪態を吐いたところで時間は戻ってこないが、秋生はそれでも心の中で悪態を吐いた。

「先輩、よく問題集が違うって分かりましたね…?」
「前に見た桜のと違ったからな」
「ああ、それで……」

 それにしても、それだけで問題集の違いに気づくなんて。その記憶力を分けて欲しいとつくづく思った。まぁ、数学では記憶力なんてそれほど役には立たないので今は必要ないが。
 秋生は改めて正しい方の問題集を開き、テスト範囲の問題に取り組むことにした。


「わ……分かる…!」

 問題が解ける。さきほどまで全くと言っていいほど分からなかったのが嘘のように解ける。
 これならなんとか、終わらせることが出来そうだ。

「秋生」
「はい?」

 名前を呼ばれて振り向くと、華蓮の手が秋生の頬に伸びてきた。

「えっ…!?」

 その行為に戸惑っている間に目じりにそっとキスをされた。
 目元にかかる息がすくぐったくて、それから暖かくて、それを感じた瞬間に身体が一気に熱を帯びた。

「頑張れよ」
「…っ…っ………!!」

 やっぱり…優しい。絶対、いつもの華蓮ではない。

 一体何があったのか。もしかして、本当に偽物なのか。
 秋生には何がどうなっているのか、全く理解することができなかった。


 いつもの華蓮は優しい中にもどこかからかうようなところがあって。
 でも、今日の華蓮はただただ、優しいような気がして。
 どちらも華蓮も、どんな華蓮でも、好きなことに変わりはないけれど。

 でも。今日の華蓮は、すごく、すごく、すごく……。


 好きすぎて、死にそうだ。



「心臓が…爆発する……」

 早くなる鼓動はきっと、ずっと収まることはないだろう。
 それは、テスト勉強をするにはもってこいの状態なのだが。こんな気持ちではテスト勉強なんかに集中できるわけもなく。

 いっそ、このまま死んでしまえればいいのにと、本気で思った。


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