Long story
秋生がいないというのが一体どれほど一大事なのか、それを一番身に染みて感じているのは睡蓮だった。実際はいないわけではなく幼くなってしまったせいで何もできなくなっているのだが、ニュアンス的には同じようなものだろう。
とにかく、秋生がいないことで食事の支度は全て睡蓮が請け負うことになったわけだが。秋生がここに住むようになってからの睡蓮は本格的に料理を学ぶこともあまりしなくなり、すっかり助手の役割で落ち着いてしまったために料理らしい料理をすることができない。
朝と昼は秋生が作り置きをして冷凍していたものでどうにかやり過ごした。どいつもこいつもバラバラで注文してきたが全部無視してカレーを出してやった睡蓮は、その注文を当たり前のように聞いていた秋生を改めて凄いと思った。
しかしながら、さすがに夕飯ともなると冷凍カレーというわけにもいかない。しかし、それ以外にまともに夕食になりそうな作り置き料理はない。普段からろくに料理もしない連中がちょこちょこ間食がてら食べているのと、秋生がお菓子作りにはまって最近はデザートばかり作っていることが原因だろう。デザートの場合、どれだけ作ってもきれいさっぱりなくなってしまう。
とにかく、色々うだうだ長く話したが、要は夕食がない。そういうことだ。夕方になって睡蓮がそれを主張したことで、今現在、夏川家のリビングでは第1回(今後2回目がないことを切に願う)夕食会義が開かれていた。
「侑は深月と暮らしてるときに作ってたんだろ?」
「秋生君の料理を食べ慣れた状態で僕に料理をしろと?どんな拷問?」
双月から話を振られた侑は思いきり顔を顰めたNGサインを出した。
まぁ確かに言っていることは分かるが、拷問とまでは言い過ぎだと思う。
「外食ってのは?」
「侑がいるのに外食なんて、絶対にやだ」
「それを言うなら双月の方が問題」
そんなことはどっちもどっちだ。
ともあれ、深月の提案も一瞬で却下された。
「大鳥家の豪華晩餐にお邪魔する」
「それ俺、世月の格好しなきゃいけないし、母さんと飯とか無理。窮屈すぎて死ぬ」
「まぁ、僕も追い出されるだろうから無理だけどー」
「だったら案として出すな。ややこしい」
そんなわけで、侑の案も却下。
何だか、さきほどから基本的に侑と双月が原因で全部却下になっているような気がするが、気のせいだろうか。
「出前はどうですか?」
「それはやめといた方がよくねぇか?仮にも有名バンドが3人も揃ってるし、バレたらそれこそ大事だぞ」
実際には全員勢揃いだが、深月と華蓮はバンドの時とは容姿が異なるのでノーカウントだ。
そもそも、毎日変装もせずに正面玄関から入ってきてるのだから今更と言えば今更だ。しかし、この家は普段から人を寄せ付けないが、出前ということは故意に他人を呼び寄せることになる。
多分、バレることなどないのだろうが。一応、用心するに越したことはない。
「じゃあもう、コンビニ弁当とか?」
「それも侑と俺は行けねーじゃん」
「いやそれならさ、誰かが代表で行ってくればよくない?」
「この状況で誰が率先して行くと思ってんだよ」
深月の意見はもっともだ。
ただでさえ既にお腹が空いて動きたくないという状況なのに、誰が人数分の弁当を買いに行くというのか。
「コンビニ?何それ?」
春人の意見も却下に終わるかに思われたその瞬間、桜生が不思議そうに首を傾げながら春人に視線を向けていた。
「え、桜ちゃんコンビニ行ったことないの…?」
「うん」
「小さい場所の中に大体の物が揃ってるっていう、便利なお店だよ。便利だから、コンビニエンスストア、略してコンビニ」
かなり説明が雑な気もするが。春人がそう説明すると、桜生は目を見開いてからガタリをと立ちあがった。それから、一目散にソファでゲームをしている李月のもとまで走って行き、容赦なく後ろから抱きつく。
「いつくん!コンビニ連れて行って!!」
「はぁ!?」
夕食会議に参加をしていなかった李月は状況を全く理解していない様子で声をあげ、隣で同じくゲームをしていた華蓮は素早くゲームの一時停止ボタンを押しながら、少し引き気味にその光景を目にしていた。華蓮の太ももの上に座っている秋生も、不思議そうに李月と桜生を見ていた。
「……いたな、率先して買いに行ってくれる奴」
「よし、夕飯はコンビニ弁当で決まり」
「何にするかは言ってから電話してあるものを教えてもらって決めるってことで」
先ほどまであれやこれやと言い合っていた深月、侑、双月はすっかり意気合同の様子で話をまとめていた。
「ちょっと待て。誰も行くなんて……」
「えー、ダメなの?」
「分かったよ…」
李月は桜生に甘々なので、桜生が可愛らしく頼めば簡単に折れる。というか、多分可愛らしくなくても、強気で頼んだとしても、それ以前に普通に頼んだだけでも、桜生の頼みならが何でも聞くだろう。
時々桜生の我儘に付き合っている李月を気の毒に思うこともあるが、今日ばかりはその我儘に感謝だ。
「ちなみに、ここから一番近いコンビニは?」
「駅前」
「全然コンビニエンスじゃねぇ……」
深月の返答に、李月はそう言って頭を抱えた。
ここから駅前まで歩いて30分はかかるから、まぁ気持ちは分かる。
「早く行こういつくん。今すぐ行こう。さっさと着替えてきて!」
「着替えるのか?コンビニに行くだけで?」
確かに、コンビニに行くだけならばいつものジャージ(上はTシャツだが)でも問題はないと思う。
しかし、そう言う李月を桜生はきっと睨み付けた。
「これは一種のデートですよ」
「いや、コンビ…」
「着替えを要求します!」
これは完全にかかあ殿下というやつだ。
李月は溜息を吐いて立ち上がると、リビングを出て行った。
「こんびに……」
「あれ、秋生も行きたいの?一緒に行く?」
それじゃあデートにならないのではないだろうか。
桜生がそう聞くと、秋生は少し考え込むような表情を浮かべてから、今度は華蓮をじっと見つめた。
「かれんもいこ?」
「え」
秋生の問いに、華蓮は言葉を詰まらせる。
それはそうだろう。ただでさえ外出が嫌いな華蓮だ。行く必要がないにもかかわらず、歩いて30分もかかる場所に行きたがるわけがない。
「わぁ、ダブルデートってやつですね!」
「だぶるでーと?」
「そうだよ秋生、ダブルデート!」
しかし、そんな華蓮の気持ちなんてどうもいいようで。
桜生はテンション高くそう言って、秋生の頭を撫でていた。
「おい待て。俺は行かな…」
「いかないの?」
「………行く」
一晩の間に、一体何があったのだろう。華蓮の口から出たのは、予想外の範疇も越えた返答だった。それが、いくら捨てられた子猫のような普通の人ならまず無視できないような瞳だとしても。それを簡単に無視してしまうような華蓮の口から“行く”なんて言葉が出るとは、鬼神様だって予想していなかったはずだ。目を見開いて見ているのは、きっと睡蓮だけではないだろう。
「一瞬戻ったあれは夢だったのか?」
「?」
「いや…何でもない」
華蓮はそう言うと、秋生をソファに座らせてから立ち上がった。
一体何を言っているのか、睡蓮には理解できなかった。
「せっかくだから秋生、亞希さんにお願いして僕と服お揃いにしよ!」
「しゅう、これでいいよ」
「いやでも、それで歩いたら引きずっちゃうし。穴が開いたら夏川先輩が困るし」
多分華蓮が普段からそう設定(?)しているからだろうが、ジャージのサイズは秋生の体に合せて小さくなっても、少し大きめだった。桜生の言う通り、歩けばきっと引きずるだろう。
「あるいたら……」
呟きながら、秋生はじっと自分の履いているジャージを見つめた。
「あ…、秋生もしかして、ずっと夏川先輩にだっこされてたいの?」
「………だいじょうぶ…あるく…しゃくらといっしょにする」
図星だ。
桜生の指摘は明らかに図星だったが、そこで素直にそうだと言わないのは普段の秋生の名残だろうか。少し寂しそうな顔をしている辺り、やはり捨てられた子猫だ。
「そんな顔してなくても、ずっと抱えてやるよ」
「ほんとう…?」
華蓮が頭を撫でると、秋生はどこか心配そうに視線を上げた。
「ああ、本当だ」
「かれん…だいしゅき!」
待て。これは秋生の瞳が捨てられた子猫だからとかいう問題ではない。
明らかに華蓮がおかしい。いやまぁ、何の躊躇もなく大好きと叫んでいる秋生も秋生だけど。それを踏まえた上でも華蓮がおかしい。
華蓮が秋生を抱えてリビングから出ていくのを見ながら、目だけでなく口まで開ききってしまった。やはりそれも、睡蓮だけでなく(桜生を除く)全員が同じようになっているに違いないことは明らかだ。
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mokuji
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