Long story


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「あああ!!うっとうしい!!」

 2階まで聞こえる声ではないが、少なくともリビングの扉の向こう数メートルくらいまでは届きそうな声が中から聞こえた。扉を開けて目に入った光景は、今まさに秋生が手にしていた櫛とドライヤーをソファに叩きつけるところだった。どうやら発狂をした末に疲れ切って、その本来の目的を達成することは諦めたらしい。秋生は溜息を吐くと、体をソファに倒して、今一度溜息を吐いた。

「随分と荒れているな」
「え?あ、先輩…」

 華蓮が近寄っていくと、それに気付いた秋生の視線が動いた。ソファの前に屈んでもつれた髪に触れると、一体今まで何をしていたのかと問いたくなるくらい湿った髪がひんやりと冷たかった。

「桜生はどうした?いつも乾かしてもらってるだろ」
「李月さんのところです。風呂あがったら乾かしてくれるから呼んでって言われたんですけど…。大丈夫って断ったことを今猛烈に後悔しています。俺は髪もまともに乾かせないほどどうしようもない駄目人間なんです」
「違いないな」
「いや、例え事実だとしてもですよ。そこは普通慰めてくれません?」
「起きろ、邪魔だ」

 文句を言う秋生を無視した華蓮は、そう言いながらテレビ台からゲーム機を引っ張り出してセッティングを始めたが、腕の傷のせいでいつもよりも手間取った。これが左腕ならばそうでもなかったのだろうが、利き腕が上手く使えないというのはゲーム機をセットする以外にも支障をきたすに違いない。考えるだけで頭が痛くなった。
 華蓮が直るまでの面倒臭さを思い溜息を吐いている一方で、無視されることにすっかり慣れた秋生は少し不満そうな顔をしながらも、それに更に文句を重ねることなく大人しく起き上がっていた。

「隣で乾かしてもいいですか?」
「好きにしろ」

 普段から隣では深月が騒がしくしているのだから、ドライヤーの音くらい何の障害にもならない。むしろ、深月が発狂しているよりも秋生が発狂している方が絵面的にも大分いい。…発狂していなければ尚いいが、その点は気にしない。
 華蓮が返答すると、秋生はドライヤーのスイッチを入れた。華蓮もゲーム機の電源を入れ、そんなわけで華蓮がゲームをする隣で秋生がドライヤーと葛藤することになったのだが。



「もういい!わずらわしい!」
「いくら何でも諦めるのが早すぎるだろ」

 ドライヤーの音は30秒もしないうちに止まってしまった。テレビ画面ではまだゲームが立ちあがってもいない。

「だって乾かそうって意欲が見えませんよ、このドライヤー」

 それはそうだろう。ドライヤーに意欲などない。
 むしろ乾かす意欲がないのは秋生の方ではないのか…と思った華蓮だが、すぐにそれはそうだと思い立つ。何しろ秋生は今、自分の意志で髪を伸ばしているのではない。亞希が勝手にしていることで、本人からすればいい迷惑だろう。自分の意志で伸ばしているのなら自業自得だと言えるが、秋生の場合はそうではない。乾かす意欲などなくて当然だ。
 華蓮はそう結論を出すと、コントローラーを置いた。


「ほら、貸せ」
「え?」
「乾かさないと明日が面倒だろ」
「えっ…乾かしてくれるんですかっ?」
「気が変わらないうちにさっさと貸せ」

 秋生が今こうして発狂しているのが亞希のせいだというならば、そもそも亞希を飼っている華蓮にも責任がなくはないだろう。腕も治せず役に立たないくせに、面倒臭いことばかりしてくれる。華蓮は今ここにはいない亞希に内心で悪態を吐きながら、秋生からドライヤーを受け取って電源を入れた。

「熱かったら言えよ」
「…先輩優しい」
「は?」
「桜生はいつも我慢しろって言いますから。焼きやしないからって言ってる先から焼いたくせに、それでも我慢しろって言うんです」

 桜生は時々秋生に厳しいところがある。
 いや、これは厳しいというのか些か疑問であるが。

「火傷したのか?」
「右耳の裏を1回だけ。とはいえ、やってもらってる俺がぶつぶつ言えることじゃないですけど」
「まぁ、そうだな」

 秋生の髪をかきあげて耳の裏を見ると、火傷の跡が残っていた。今にも消えてしまいそうな傷跡が…なんというか、妙にそそられる。凄く触れたいと思った。
 しかしただ触れるのも面白くない、とも思う。この傷痕にキスをしたら秋生はどんな反応をするだろうか。きっと、絶対に面白い反応をするに違いない。
好奇心に駆られた華蓮は、秋生の耳の裏にうっすらと残っている傷跡に唇を寄せた。

「ひゃあ!」

 秋生の反応は実に予想通りだった。高校1年生にしては小さめの体が飛び上がらんばかりに跳ね、そして一瞬で華蓮から離れていく。振り返った顔には熱が籠っているのが一瞬で分かった。

「なっ…何するんですか!!」
「傷跡があったからキスをしただけだ」

 キス、と言うワードを聞いた瞬間、秋生の顔がまた一際赤くなった。
 本当に面白い。そして可愛い。

「そ、そういうことを聞いているんじゃなくて!何でそんなこと…!」
「好奇心」
「傷跡にきっ…キスするなんてどんな好奇心ですか!」

 秋生はソファの端に置いてあったクッションを手にすると、バシバシとソファに叩きつけながら声をあげた。ドライヤーしかり、興奮すると物の扱いが荒くなるらしい。

「じゃあ今度は口にしてやるから来い」
「そういう問題じゃ……っっ!」

 来いといっても来なかったので自分で行くことにした華蓮は、文句の減らないうるさい口を自らのそれで無理矢理塞いだ。すると、うるさかった声も静かになれば、激しく動いていた体も一瞬で動きを止めた。



「―――…せんぱいのばか」

 せっかく静かになったのに、解放してやればすぐこれだ。

「もう一度口を塞がれたいのか」
「えっ」

 華蓮が少し呆れたように言うと、秋生が目を見開いてクッションを抱きしめた。それからすぐ、華蓮に向けられていた視線がどことでもなく逸れる。

「それは…、その、なんていうか。…じゃあ、先輩のばか」

 馬鹿はどっちだ。人の理性を吹っ飛ばしたいのか。
 秋生の予想外の反応に華蓮が完全に硬直していると、秋生は何を思ったかクッションで顔を隠した。

「や…やっぱりなし!今のなし!」
「却下」
「えっ!?あっ、俺の最後の砦が―――ん、」

 顔を覆っているクッションを無理矢理引きはがすと、秋生は一瞬床にころがったクッションに視線を向けたが、すかさず華蓮が口を塞ぐとすぐに目をきつく閉じた。微かに漏れた声が、実に色っぽかった。
 秋生のあまりの可愛さに本当に理性が飛んでしまいそうだと危惧した華蓮であったが。幸か不幸か、秋生を引き寄せようと伸ばした腕に激痛が走ったことでその理性は保たれるのであった。


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