Long story
笑顔を向けると、少しだけ間を開けてから李月は笑顔を返してきた。久しぶりに見たその笑顔に、世月は不覚にもときめいてしまった。自分が死んでからこれまで、こんな李月の笑顔を見たことはなかった。もしかしたら桜生にはいつも向けている笑顔なのかもしれないが、それを自分に向けてくれたことが世月は嬉しかった。
「その笑顔に免じて、お説教はまたの機会にしてあげるわ」
本当は、お礼を言った後に双月を傷つけたことに関して色々と文句を言おうと思っていたのだが。李月の笑顔に気分を良くした世月は、そんな気もなくしていた。
「それはどうも」
そう言う李月の表情は引きつっていた。最初に話を振った時点で何か説教をされることは覚悟していたようだが、それがなくなるとでも思っていたのだろうか。それならばとんだ勘違いだ。
世月は李月が桜生を連れて帰ってきたとき、いつか李月と話す時がきたらまずこの話をしようと思っていたので最初にこの話をした。本当は続けて双月を傷つけたことに対して罵詈雑言を浴びせる予定だったが、李月に思いのほかきゅんとさせられる笑顔を向けられたので興が冷めただけのこと。次に会うことがあったら、しばらく立ち直れないくらいに心をへし折ってやるつもりだ。
「時間を置いたからって刑が軽くなることはないわよ。覚悟しておきなさい」
「もう二度とお前に会わないことを祈ることに徹する」
真顔で言っている当たり、冗談ではなく本気のようだ。
「あら…、人間風情の祈りが神の使いに敵うと思って?」
世の中それほど甘くはない。きっといつかまた、世月にチャンスはやってくるだろう。そういう意味を込めて笑うと、李月の表情が格段と険しくなった。
「お前はやっぱり寸分の狂いもなく魔王だ。一瞬でも天使っぽいと思った俺が間違いだった」
「今すぐボコボコにされたいの?」
どうして誰もかれも自分を魔王などと表現するのか、世月には全く意味が分からない。どこの美人を前にしてそんな戯言を言っているのだ。
まったく、人がせっかく気分よく話をしているというのに。そんなに機嫌を悪くしたいのだろうか。どいつもこいつもMばかりか。
「遠慮し―――――幸いなことに、そんな暇はないみたいだ」
途中まで顔を顰めて世月の言葉に返していた李月が、真顔になった。あまり幸い層には見えない。そしてその視線は、世月を見てはいなかった。
「あら…案外早く見つかったわね」
李月の視線が向かっている方向に視線を向けると、数十メートル先に自販機があった。そしてその前にいるのは、自販機を提供している会社と同じロゴの入った服を着ている、人間だ。それもただの人間ではない。体から見るに堪えないくらい、醜い瘴気を放っていた。どうやら、世月の推理は見事に的中したようだ。まぁ、外れているなどとは微塵も思っていなかったが。
本当はもう少し李月と話をしていたかったが、実に空気の読めない人間だ。世月はそんなことを思いながら、自販機に新しいジュースを入れているのか、それとも別の何かを仕込んでいるのか分からないその人間の方に進んだ。李月の足取りが、少しだけ早歩きになった。
「空気の読めない人間ね」
「ナイスタイミングの間違いだろ」
李月の声に気が付いたのか、もしくは世月の声も聞こえているのか。自販機に向かっていた顔が世月と李月の方に向いた。
何の力も持たない人間が見ても、明らかに異常だと分かるような目つきをしたその男は、二十代中盤くらいのように見えた。世月が普段目にしている人間たちおよび一人の妖怪は全員平均を大きく上回る出来栄えの顔だが、それを見慣れていることを差し引いてもお世辞にも格好いいとは言えない。顔面偏差値20と言ったところか。
「もう少しイケメンがよかったわ」
世月の言葉に、李月は呆れたような表情を浮かべた。
自販機から数メートルの所まで来て、相手の顔がよく見えるようになっても、世月の評価は変わらなかった。むしろ、偏差値が15まで下がった。人は見かけによらないというが、いいに越したことはない。それに、今目の前にいる相手に関しては見た目だけでなく性格まで腐りきっているのだから、救いようがない。
「何だ、お前ら?」
神様は多少なりと救済してくれたようだ。声はまだ聞ける。もちろん、世月の周りの人間および妖怪に比べると月とミジンコであるが。
「お前ら」と表現したことから、どうやら世月のことも見えているらしい男(分かりにくいので自販機男と呼ぶことにしよう)は、思いきり顔を顰めながら首を傾げた。顔面偏差値が更に下がった。
「テスト、ハイテンション、AB型。この単語を聞いて思い当たることがあるか」
そう聞くと、自販機男の顔が更に険しくなった。それ以上顔面偏差値を下げると、マイナスになってしまう。早急に真顔に戻すことを世月は心の中で勧めた。
「ほう…それに気づくとは」
世月の心の声は届いたらしい。とはいえ、顔面偏差値5が15に戻ったところで、見ていられないがちょっとマシになった程度だが。
「お前が今回の事件の発端だな」
李月の手に刀が握られる。ふわっと、李月から黒っぽい風が漂った。冷静に見えていたが、内心では相当頭に来ていたらしい。
しかし、自販機男はそんなことにまるで気付く様子なく、にやりと笑みを浮かべた。ああ、せっかくマシになった顔面偏差値が氷点下まで降下してしまった。
「その通り。俺はカレン様に力をもらって、この学校に復讐にきたんだ」
李月はそこまで聞いていないが、自販機男はまるで自慢するような表情でそう言い放った。そして、それだけにとどまらず誰も聞いていないのに、その復讐劇について語り始めた。
「俺はこの学校に入るまで、ずっと頂点にいたんだ!中学校でも塾でもどこでも1番だった!そんな俺を両親は自慢の息子と褒め、弟は羨んだ!どこに行ってももてはやされ、最高の生活を送っていたんだ!」
やはり、神はどんな人間にも美点を与えるのだ。この男の場合、容姿が悪い代わりに頭がよかったということだろう。
中学生くらいまでは飛び抜けて足が速いか、もしくは勉強が出来るとモテるのがデフォルトだ。それくらいまでの子どもはまだ心が純粋で、見た目よりも中身を見ているのかもしれない。
「それなのに…!この学校に入ってから、俺の成績はガタガタになった!順位はいつも最下位すれすれ!決して俺の頭が悪かったわけではない!この学校の悪霊たちの声が耳障りで、授業どころではなかったからだ…!」
つまり、元から自販機男は霊感が強かったということだろうか。もしくは、この学校に来たことで眠っていた霊感が目覚めたのかもしれない。何にしても、唯一の美点をそのせいでなくしてしまったということには、多少なりと同情する。
「俺は結果的に…留年してしまった……そして、それからすべてが変わってしまった!!」
まるで悲劇のヒロインみたいな喋り方だが、いくら悪霊が耳障りでも留年するほどではないような気がしないでもない。というか、分からなかったのなら授業外に教師に聞きに行けばよかった話だ。それに塾にも行っていたのなら、そこまで悪霊はついてこないだろう。そもそも、本当に頭のいい者は教科書があれば自分の家で勉強が出来る。李月など正にそのタイプで、家で勉強をしなくても教科書を読むだけ大体理解してしまう。つまり…自販機男はそれほど頭がよかったわけではなく、中学のレベルが低かったのではないだろうかと世月は思った。
「年下と同じ学年なんて耐えられるものか!俺は学校を退学し…そして就職することを決めた!しかし、そんな俺を両親は咎め、弟は見下した!近所からは馬鹿でも学校に行っている方がマシだと言われ…俺は笑いものになったんだ…!」
その状況は安易に想像できた。まだ顔が良ければ近所のおばさまたちも同情しただろうが、その顔面偏差値では笑いものにするのに誰も抵抗しなかっただろう。
「それからというもの…何ひとついいことはなかった。次年度に別の高校に受けても不合格、就職の面接にも幾度となく落され……やっと見つけたバイト先でも数回皿を割ったくらいでクビにされ……何をしても上手くいかなくなった!!」
大半が自業自得だ。かろうじて就職面接に落とされたことはこの不況のご時世ということで同情できなくもないが。高校に受からなかったのは実力がなかったからだし、そりゃあ、一回ならともかく何回も皿を割るような学習能力のない者はクビになって当然だ。
「それもこれも…全部この学校のせいだ!!」
なんとまぁ、責任転嫁も甚だしい。
隣の李月を見ると、呆れかえってものも言えないというような表情を浮かべていた。手に握っている刀が落ちてしまいそうだ。
「もう二度と見たくもないと思っていたのに……やっと見つけたこの仕事の配達先にこの学校が入っていた!これ以上最悪なことがあるか!?」
いやまぁ、そんな風に言われても。現実にあったのだからどうしようもないだろう。
「せっかく見つけた仕事を棒に振ることもできない…俺は仕方なくこの学校に来て、そして驚愕した!俺よりも馬鹿そうな奴らが、楽しそうに学校生活を送っている!!どうして俺は退学になったのに、あんな馬鹿みたいな顔の奴らがのうのうとこの学校に居座っているんだ!!」
一体誰を見てそう思ったのかは知らないが、自分の顔を改めて鏡で見た方がいい。自分の顔と向き合うことができれば、その怒りもきっと治まるのではないだろうか。
「俺は…憎くて憎くて仕方がなかった……!この学校の奴らも!俺を退学にした教師も!!」
先ほど聞いた話では、退学は自主的にしたように聞こえたが。自販機男の頭の中では勝手に話がすり替えられているようだ。
「それはよかったわね。でも、そんなこと私たちにはどうでもいいか…」
「そんな時…カレン様に出会った!!」
世月の介入もむなしく、電車男は自分に酔っているかのように話を続けた。到頭、李月の手から刀が落ちた。ゴトン、という音が廊下に響く。
「あのお方は俺に力をくれた……!!だから俺は…俺を退学にしたAB型の教師、テスト…そして、楽しそうに笑いながら俺を見下すここの生徒に復讐することを決めた……!!」
こじつけというか、言いがかりも甚だしい。
しかし、とりあえずどうしてAB型が標的で、その条件にテストがあるのかということが分かった。理解はしても、到底納得のできる理由ではなかったが。
人を殺す理由として、それはあまりにも浅はかで、身勝手な理由だった。そのせいで自殺をはかった人が4人もいるということを、自販機男は分かっているのだろうか。死ななかったからいいようなものの、本当に死んでしまっていたら取り返しがつかない――いや、既に取り返しがつかない事態になっている。
「そんな下らない理由で、人を殺していたかもしれないということを分かっているのか」
呆れかえっていた李月が、落した刀を拾いながら自販機男を睨み付けた。
「下らない…?ふざけるな!!」
ぶわっと音を立てて、瘴気が横を通り抜けて行った。
世月は思わず目を閉じる。
「俺はこの学校に人生を台無しにされたんだ…こんな学校に通っている奴ら、全員死んで当然だ……!!」
そう言って笑う自販機男は、完全に正気を失っていた。まるで何かに操られているように、焦点の合っていない眼球が泳いだ瞬間、その奥に一瞬だけ瞳が覗く。目の前で意味不明な持論を展開している男のそれとは、違う感情が見えた。
――分からない。この憎しみの根源が。一体何がこんなにも憎いのか。憎い、憎い、憎い、憎い。…どうして?
瞳の奥に見え隠れする、戸惑い。それこそが、自販機男の本当の感情だ。
「あ……」
それを見た世月は、この自販機男に少しだけ同情した。
本当は、誰かを殺したいと思うまでにこの学校を恨んでいるわけではない。恨んでいることは本当だろうが、少なくとも…こんなことをしでかすほどではなかった。それなのに…突然中に入って来た力が本来はない憎しみの念を作り出した。
この男の憎しみはカレンの力が生み出した偽りの憎しみだ。本来の憎しみを呑みこみ、それを餌にして新たに強力な憎しみを生み出し、増幅させ、そして心の中を支配している。
「カレンの力のせいで、憎しみが暴走している……」
「は?」
李月が眉を顰めて世月に視線を向ける。
世月はそんな李月に、悲しげな表情を返した。
「いつかの化け物と同じだわ。望んでもいないことを…、強制的にさせられている。この人も被害者なのよ」
世月がそう言うと、李月の表情に一瞬で怒りが灯った。しかしそれは目の前の自販機男ヘの怒りではない。この男の憎しみを奪い、増幅させ、そしてこんなことをさせている――カレンに向けた怒りだ。
「どれだけ人間を虚仮にすれば気が済む……」
李月の周りを取り巻く瘴気とは別のものが、一気に増した。まるで闇に包まれるように、真っ黒く覆われていく。まるでそれに同調するように、刀の刃がまっ黒に染まった。 これは、怒っているという感情を通り越している。
「俺を…倒そうとでもいうのか…?俺は人間だぞ」
自販機男はそう言って李月を指さした。
本来は望んでもいない復讐が、まるで生きる糧のようになってしまっている。同情を禁じ得ない。
「そう言えば倒されずに済むと、カレンから教わったのか?」
李月が一歩踏み出すと、みしっと音がした。李月の足の下、床に亀裂が入っている。これはまたきっと侑に怒られるに違いない。しかし、李月はそんなことどうでもいいようで、一歩進む度に亀裂が増していった。ここが1階でよかった。
「生憎…、俺はそこまで優しくねぇよ」
李月はそう言って、まるで感情のこもっていない目で不敵に笑った。
いや…李月の中に渦巻いている感情は明白だ。怒りを超過した怒り。完全に激昂している。
世月はそれを目の当たりにした瞬間、違う意味で同情した。
「俺はお前みたいな奴にはやられない…!そんな…、頭の悪そうな低級霊を連れているような奴にやられてたまるか…!!」
そう言って、自販機男が指先を向ける先。
それは李月でもなければ、その辺を彷徨っている幽霊や悪霊でもない。もちろん、加奈子でもない。クロゴマでもない。今ここに居る人間ではない者は――世月だけだ。
「はあ?」
世月の同情の念が一瞬で吹き飛んだ。
隣で李月が思いきり顔を顰めたが、そんなことは世月の眼には入っていなかった。
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mokuji
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