Long story
夜が明けたことを知らせたのは鶏の鳴き声ではなく、秋生の叫び声だった。
朝6時半。断末魔のような叫び声に目を覚ましたのは華蓮だけではなく、部屋から顔を出すと二階に部屋を構えている面々が同じように顔を出していた。つまり、秋生と桜生以外全員ということだ。
「ほんと、すいませんでした」
そしてその断末魔の叫びから10分後の現在。リビングの床で正座をしている秋生が、深々と頭を下げている。長い髪が、さらりと流れて床に着いた。その前には仁王立ちの桜生と、どこか秋生を気遣うようにしゃがんでいる春人だ。
「いやまぁ、何事も…なかったわけじゃないけど〜。怪我とか、そういうんじゃなくてよかった」
「甘いよ春君。僕の鼓膜は崩壊しかけた」
優しい言葉を掛ける春人に、桜生が苛立った口調で言い返す。二階にいた華蓮ですら頭が割れるかと思ったほどの叫び声を至近距離で聞いたのだから、無理もないだろう。
…頭が割れそうなのは秋生の叫び声のせいだけではない。現に今も、鈍器で殴り続けられているような痛みを感じている。むしろ、秋生が叫び声を上げなければ華蓮が布団から起き上がることはなかっただろう。感謝するべきなのか、複雑なところだ。
「本当にすいませんでした」
「許さない」
そう言っているのは桜生だけだ。他の面々は怒りもさることながら桜生に圧倒されている秋生を気の毒に思っているのか、苦笑いを浮かべていた。
以前、髪の長くなった秋生が死んだように体育座りをしているのを見ているわけだし、その災難が再び、それも突然襲ってきたら叫びたくなる気持ちも分かる。それに、確かに6時半は起きるのには普段より早い時間帯だが、早起きは三文の得とでも思えばそれほど苛立つこともないだろう。
華蓮からすれば、桜生がそこまで怒っていることが不思議ですらある。
「許してくれとは言いません。煮るなり焼くなりしてください」
秋生の言葉を聞いた桜生がニヤリと笑った。完全に悪役の笑みだった。
どうやら桜生は、単にぶち切れて秋生を圧倒していたわけではないらしい。
「そうだね。僕と一緒にセーラー服着て行くってんなら、許してあげてもいいよ」
「えっ!?」
なるほど、それが目的だったのか。
「どうせそれ、元に戻らないんでしょ?」
確かにそれは桜生の言う通りだ。
亞希はあの時既に酔っていたようで自分がやったことを憶えてはいなかったらしいが、それでも元には戻さないと断言したらしい。それでなくても亞希は最近機嫌悪い。華蓮が何を言っても無駄だろう。
「戻らないけど…」
「じゃあ、普通の制服着てっても変だし。決まりね」
「まじか……ああ…まじでか……」
秋生は頭を抱える。どうやら反論する気はないらしい。以前は頑なに拒んでいたのに、桜生に許してもらうためなら我慢するとは。秋生とって桜生とは、それほど大切な相手ということだ。桜生もきっとそうなのだろうが、多少…非情なところがある。
「でもさ、セーラー服どうやって用意するの?」
春人が疑問を飛ばす。確かに、それはその通りだ。
大鳥グループの力があれば用意は出来るだろうが、さすがに今から頼んで登校までにとはいかないだろう。
「僕が買いに行ってくるよ」
「李月先輩と?」
春人の言葉に李月の表情が少しだけ歪んだ。李月も華蓮と同じように絶不調だろうというのは、顔に出ていなくても分かる。
「いつくん二日酔いだから、一人で行ってくる」
桜生は起きてから李月と一度も会話していないように見えるが、さすがに何年も2人だけで行動していただけのことはある。
しかし。
「いや、一緒に行くよ…」
それはそうだろう。李月が桜生を一人でお使いに出すわけがない。
可哀想に。華蓮は李月に心底同情した。
「ブレザーなら、あるんだけどな」
「それって…いつも着てるやつの予備ってこと?」
ぼそっと呟いた双月に対して、侑が眠そうに目をこすりながら質問を飛ばした。双月は首を振る。
「いーや。1年の時に今着てるやつと、もう一つ別のタイプのやつ作ってもらったんだよ。交互に着ようかと思ってたんだけど、今のやつが妙にしっくりきたから、結局着ないまま家のクローゼットに押し込んである」
家の、というのは大鳥家の方のことだろう。
「ブレザーか…それもありだな。貸してもらえるんですか?」
桜生が興味を示したようだ。
李月が少し、ほっとしたような顔をした。
「ああ。どうせ俺は使わないし、もったいないから使ってくれるなら」
「それなら、ぜひ貸してください」
桜生の背後で秋生が真っ青になっている。セーラー服でもブレザーでも、あまり変わらない気がするが。本人には色々と思うところがあるのだろう。
後から慰めるのに骨が折れそうだ。その頃に自分が生きていれば――などと珍しく自虐的な思考が頭を駆けるほど、華蓮の体調は最悪だった。
「でも、サイズは?双月先輩に合わせてるなら、秋生には大きいんじゃあ…」
「それくらい10分あれば直せるよ」
春人の言葉に、双月は当たり前と言わんばかりに返答してポケットからスマートフォンと取り出した。家に連絡するのだろう。
もう、さすが大鳥グループとも思わない。
「3日したら、元に戻してもいいからね」
「えっ…3日でいいのか?」
「ずっと続けろって言うほど鬼じゃないよ、僕は。少しの間、同じような格好して歩きたいだけ」
どうやら、桜生は言うほど非情ではないらしい。
「意外と可愛いところあるんだね、桜ちゃん」
「意外とっていうのは失礼だよ、春君」
「あ、ごめんね。普段も可愛いよ」
春人の苦笑いの謝罪に対して、桜生は笑顔で返していた。
どうやら、完全に機嫌は戻ったようだ。
「じゃあ俺、家に帰ってブレザー取ってくるわ」
そう言って、双月が立ちあがった。起きたばかりでよくそこまで行動できるものだ。
「あ…双月先輩。世月さんも一緒に行くって言ってます。寸法変える前に、一度着てみせろって」
「えー、面倒臭ぇなぁもう」
とは言っているが、双月はちゃんと着るだろう。なんだかんだ、世月に甘いのだ。
…今そこに世月がいるのか。
何の気なしに話を聞いていた華蓮はふと気づき、そして口を開いた。
「世月お前、俺が秋生に触れなくなったとき、誰と一緒にいた?」
華蓮が世月に話しかけることなどこれまでになかった。
だからだろう、視線が一斉に華蓮に集中した。李月だけは、双月の方を見ていたが。
「双月先輩らしいです…」
華蓮の質問に、世月の代わりに春人が答えた。
「え?俺のところ?俺何してたっけ…」
双月が腕を組んで考えだした。つまり、双月に世月は見えていなかったということだ。
華蓮が李月の方に視線を向けると、李月も同じように華蓮に視線を向けていた。
「無駄な二日酔いじゃなくなりそうだな」
雲を掴むような話が、ようやく現実的になってきた。
李月の言うように無駄な二日酔いではなくなったが、だからといって頭を殴られ続けているような酷い頭痛はなくならなかった。当たり前だ。
「ああ、救われた気分だ」
それでも、とりあえず再び布団に戻らなくてよさそうな程度に、気分だけは回復した。
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mokuji
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