Long story
華蓮はモップを片手に、第三体育館のステージの上に立っていた。掃除時間だというのに、その手は全く動いていない。そもそも動かす気がない。なにせ、このだだっぴろい体育館には、華蓮と李月以外は誰もいないのだから。良狐は相変わらず華蓮の肩に乗っているが、人間ではないのでノーカウントだ。
「お前、掃除する気があるのか」
「あるわけないだろ」
同じ体育館内、少し遠くの方で下から見上げてくる李月の問いに即答する。刀で切りつけられるかと思った華蓮だったが、李月は呆れたようにため息を吐いただけだった。溜息を吐きたいのは華蓮も同じだ。
「体育館の掃除に2人。どうやる気を出せと」
「普段からろくに授業にも出ない、掃除にも参加しない、校舎は破壊する。押し付けたくもなるだろ」
「あみだくじだったけどな」
体育館の掃除は月に一度。全部で5つある体育館が、ローテーションで3年のクラスで回される。そして月に一度の今日、華蓮と李月の属する3年A組が第三体育館の掃除が回ってきた。そのため体育館掃除をする生徒を、なぜかあみだくじで決めた。そして見事に、華蓮と李月がそのくじを引き当てたのだ。
「ツケが回ってきたということだ」
「なるほど。それなら納得できない」
李月の言葉に返した華蓮は、モップを投げ捨てその場に胡坐をかいた。
「お前な…」
「どうせ時間内には終わらない。それに、モップなんて普段使ってるバスケ部とかバレー部とかその辺がかけてるだろ。必要ない」
「確かに」
まるでやる気のない言葉に納得してしまった李月が、華蓮と同じくモップを投げた。普段から掃除をしないのだから、たまにやるときくらい真面目にやれ。と助言してくれるような者は誰もいない。
「根気がないのう」
華蓮の肩に乗っている良狐が欠伸を零しながら呟いた。根気どころか、端からやる気がないのだからどうしようもない。ならばお前が妖力でやってくれと言いたいくらいだ。
「双子とはまるで真逆じゃ」
その言葉に、華蓮と李月は少しだけ表情が硬くなった。
5限目、心霊部にいた秋生と桜生は明らかにいつもと何かが違った。桜生は妙に楽しいと言っており、秋生も口にはしなかったがそのような感じだった。
「お前、何か感じるのか?」
「わらわには分からぬ。この場所に異物が入り込むのを感知できるのは、あやつだけじゃ」
その“あやつ”とは秋生のことだろう。しかしそうは言うが、良狐は秋生がよく取りこぼすことを分かっているのだろうか。ついこの間も、世月に教えられるまで屋上にいた悪霊の存在に気が付いていなかった。
「じゃが、ちと真面ではなかったのう」
華蓮がもんもんと考えている隣でそう言うと、良狐はするりと肩を移動した。
「確かに、桜生の音痴は常軌を逸している」
「その話じゃねぇよ、馬鹿か」
まぁ確かに、尋常でなく下手だったが。
華蓮はあの時、どうして秋生がコーラスなのだと心底突っ込みたかった。しかし、李月が桜生を滅多刺しにしたせいで言いそびれていた。というより、言うのが忍びなかった。
だが、今はそんな話をしているのではない。
「分かっている。桜生はちょっと程度じゃなく、かなり真面じゃなかった。本人はまるで気が付いていなかったが、俺があれだけ言ってろくに言い返してこないのは異常だ」
「あの罵倒はわざとだったのか」
「歌っている時点でおかしいと思っていたからな。そうでなければ、たとえ天変地異を起こすほどの音痴でも褒めている」
「そこは止めろ」
何だこの桜生バカは。
さすが人生を捨てて桜生にすべてを捧げただけはある。桜生にかけている愛情が重いなんてものではない。重力にしたらたちまち赤道を越えて反対側の地上まで突き抜けるに違いない。
「面白いのう」
「全く面白くねぇよ。ドン引きだろ」
今は溺愛程度で済んでいるが、そのうち監禁とかし出すのではないだろうか。せっかく自由になれたというのにまた檻に閉じ込められるなんて。桜生もとんでもない奴に助けを求めたものだ。
「じゃが、これほど一心に愛を向けられておれば、すれ違うこともあるまい」
「誰に対しての嫌味だ?それは」
良狐は華蓮のその問いには答えなかった。しかし大体想像がついていたので、華蓮がそれ以上問い詰めることはなかった。
「しかし、どうするのじゃ。異変が起きおるのは確かであろう」
「そうだな。今できることと言えば…倒れた教師の共通点を見つけるくらいか。桜は…どうする?」
「無駄にテンションが高いだけだからな。今のところはどうしようもないだろ…」
「そうかのう?」
良狐はふらふらと尻尾を揺らしながら首を傾げる。動物の表情は読み取れないが、うすら笑いを浮かべているように見えた。
「打つ手があるというのか?」
「相手のことを知りたくば、相手の気持ちになってみろと言うではないか」
くつくつと笑う声が耳につく。
「桜生の気持ちになってみろということか?」
「わらわは余興が好きなのじゃ」
自分の尻尾を弄りながら、良狐は再びくつくつと笑った。
何か考えがあったわけではないのか。
「お前…自分が暇を潰したいだけだろ」
李月が顔を顰めた。華蓮も同じだった。
「倒れたという者たちを調べるのはそなたらではあるまいし、どうせすることもないのであろう?ならば出来ることは試せばいいではないか。何か見つかるやもしれぬぞ?それに…掃除はつまらぬ」
結局のところ、最後の一言が真意なのだと思う。
掃除はつまらないと言うが、確か良狐は神使ではなかったか。神使は社の掃除などはしないのだろうか。そういうことは役目ではないのか。
「まぁ一理なくはないが…そう突然テンション上げろと言われても……どうするんだ?」
「なぜ俺に聞く」
「いつもそうやってギター弾いてるんだろ、お前。どちらかというと、昔のテンションに戻っていると言った方がいいのか」
「人を分析するな。…前は…5分くらい集中してモチベーションを上げていたが……今は、ギターを持てば勝手にモチベーションが上がる」
今はというか、最近はと言った方が正しいかもしれない。
前までどうしてあれほど時間がかかっていたのか不思議なくらい、簡単に切り替えができるようになった。それどころか、ギターを持たなくても切り替わるときもたまにある。
「てことは、今お前にギター持たせたら桜生の気持ちが分かるってことか」
「それは違うだろ」
「この体育館、ギターないのか」
「おい人の話を聞け」
大体体育館にギターなんて置いているわけがないだろう。
李月は華蓮の話など全く聞いていない様子で、投げたモップをそのままにステージに上がってきた。そして、ステージの袖に移動して行く。良狐もその後を追っていた。
「ギターとは、これのことじゃろう?」
「…よくやった良狐。ご丁寧にアンプまで置いてある」
ステージ裏から最悪の知らせを伝える声がした。
どうして体育館にそんなものが置いてあるんだ。華蓮はうんざりしながら立ちあがり、ステージ裏に足を向ける。
「あったぞ華蓮。さあ弾け」
李月がそう言って差し出したのは、紛れもなくギターだった。それも、体育館の隅で長く眠っていたぼろぼろのギターではない。どこにでもあるようなエレキギターだ。
置いてあったのはギターだけではない。スタンドマイクからベース、ドラムまで一通りのものが揃っていた。軽音部が文化祭の練習でもしていたのか、はたまた選択である音楽の授業で使ってそのままか。仮にも軽音部がカバーもせずに剥きだしで放置ということもないだろうから、後者の方が有力的か。どちらにしても、迷惑極まりない。
とはいえ、このまま何もせず掃除の時間を持て余すよりは有効的に時間を使えるといえば、そうかもしれない。だが、いくら何でもこんなだだっぴろい体育館で、観客もおらず、一人でギターを弾いて盛り上がれるほど、華蓮の頭はおめでたくない。
「じゃあ、お前歌え」
「何でそうなる?」
華蓮がスタンドマイクを指さしながら言うと、李月は思いきり顔を顰めた。
「一人で弾いてテンションが上がるか。虚しいだけだろうが」
「それなら、俺が弾くからお前が歌え。歌はお前の方が上手い、ギターは俺の方が上手い」
若干癪に障るが、事実なので言い返せない。
「お前、なんか弾けるのか」
「そう漠然と言われても…ああ、お前がジャケットになっている曲は印象に残っているから弾ける」
「テンションを上げようって時に、呪いの歌を歌ってどうする」
上がるどころか、急降下間違いなしだ。
「だが他に…あ、そうだ。じゃあ、さっき桜生が歌っていた歌だ」
「さっきって……職権乱用がどうのこうのと言っていたやつか?」
「そう。桜生がずっと歌っていたから覚えただろ」
確かに、李月の言葉を借りるなら聞くに堪えないくらい下手なのにも関わらず、5限目が終わって次の授業に行くまでずっと歌っていた。
何でも、即興で作っていたらしいその曲は華蓮たちが来た後も創作が続けられ、ものの5分できっちり一曲完成された。おまけに完成させるだけに留まらず、それを桜生がエンドレスで歌うものだから心霊部の部室は超音波の巣屈となっていた。秋生がコーラスがてら所々勝手にアレンジを加えていたが、あれがなければ確実に鼓膜は崩壊していたに違いない。
「確かに…あれだけ聞かされれば覚えるが…」
下手に聞ける歌だと聞き流していたかもしれないが、聞くに堪えない歌だったためか何度聞いても聞き流すことができなかった。だからだろうか。今も思い出せるくらいに耳に残っている。
「あれくらいなら俺も弾ける。呪いの歌よりはマシだろ」
「まぁ…それもそうか」
ようはテンションが上がればいいのであって、歌の内容に拘りはない。
李月の言う通り、あの職権乱用の歌はテンションが高い桜生が作っただけあってアップテンポの曲だ。呪いの歌を歌うよりは格段にマシだろう。
李月から差し出されたスタンドマイクを持ってステージに出ると、なぜか浮遊霊たちがちらほらと集まっていた。いや…ちらほらという数ではない。数十という数が集まっている。
「なんだこれ」
華蓮に続いてステージ裏から出てきた李月が顔を顰めた。
「客がおらぬとつまらぬじゃろう。終わったらすぐに追い出すゆえ、気にするでない」
いつの間にか人型の姿に戻った良狐が、体育館の真ん中に立って笑っていた。目を凝らしてみると、集まった中には霊だけではなく何匹か妖怪も混じっているようだ。
「滅茶苦茶だな、お前の狐」
「忘れているようだが俺のじゃない、秋生のだ」
「ああ、そうだったな」
李月はアンプをセットしながら苦笑いを浮かべた。ならしょうがない、と言いたそうだ。もし華蓮に気を遣ってその言葉を言わなかったのなら、それは余計な気遣いだ。華蓮もつくづく「秋生のペットだからしょうがない」と思っていた。
「まぁ、良狐の戯言を真面目に検討してみるという名目で遊ぶか」
「…それもそうだな」
李月がアンプの電源を入れ、華蓮はマイクの電源を入れる。キィ――と、耳障りなノイズが体育館に音が響き渡った。
まるで幽霊相手のライブだ、と華蓮は思った。
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mokuji
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