Long story
時計の針が今日の終わりを告げて、同時に新しい今日の始まりを告げた。と、聞いているだけで恥ずかしくなるポエムのようなセリフを吐きながら、テレビの中のアナウンサーの日付が変わったことを知らせた。いつものようにコーヒーを淹れていた李月は、きっとこのアナウンサーは数年後に見て枕に顔を埋めるのだろうなと思いながら、CMに切り替わった画面を何の気なしに見ていた。
「寝れない」
こんな夜中に近所迷惑も考えずバタンと大きな音を立てて扉を開けたのは桜生だ。既に寝癖の付いた髪で、少しさがったニーハイを持ちあげながら(桜生は最近、亞希の用意した秋生の私服を我が物顔で着ている)、不貞腐れたような表情を浮かべていた。
「昼間にあれだけ寝ていたら寝れなくもなるだろ」
泣き疲れて一瞬で眠りに落ちた桜生は、それから下校時刻になるまで起きなかった。よくもまぁ寝続けられるものだと感心したが、いくら寝たがりの桜生でもさすがに限度を越したらしい。
「どうして起こしてくれなかったの?」
「可愛かったから」
「もー、ずるいなぁ。怒るに怒れないよ」
再び近所迷惑を気にしない勢で扉が閉まった。バタンと、先ほどと同じくらいの音が響く。どこが怒るに怒れないのだろう。十分怒っている。他人の迷惑より自分の睡眠の方が優先の桜生は、苛立った様子でリビングに入ってくるとばたんとソファに倒れ込んだ。
「そこで寝るのか。風邪引くぞ」
「もう寝られるのならどこでもいい。それにここで寝ても、いつくんが運んでくれるでしょ」
桜生は倒した体を一度起こして李月に向かってそう言うと、再び倒れ込んだ。
「人をこき使うな」
「こういうの、恋人の特権って言うらしいよ。秋生が言ってた」
違う。絶対に違う。
秋生が誰から何を聞いたのか知らないが、どこかで伝達を間違っている。
「そういうのは職権乱用って言うんだ」
恋人だからって何でも許されると思ったら大間違いだ。
とはいえ、それが分かっていても桜生がここで寝てしまったら、李月は部屋まで連れていくのだろう。まったく桜生の思うつぼだ。
「職権乱用!それ今日、漢字ドリルで練習したばっかり!」
苛立っていた桜生が途端にテンションを挙げてソファの上に立ち上がった。
職権乱用を練習させる漢字ドリルって、一体どんな漢字ドリルだ。
「勉強してるんだな、お前」
授業中はいつも秋生と春人と喋っていると言っていたため、てっきり全く勉強していないのかと思っていた李月は少なからず驚いた。とはいえ、そのチョイスが「職権乱用」を憶えさせるような漢字ドリルというのはミスではないかと思わずにはいられないが。
「漢字だけね。いつくんはしてないの?」
「教科書読めば半分は理解できるし、分からないところは華蓮に聞けば大方理解できるからな」
「どうして喧嘩ばっかりしてるくせにそういう時ばっかり素直に聞くの!夏川先輩もどうして教えるの!」
桜生はソファの上で地団太を踏んだ。若干埃が立ったが、それでも床の上でなくてよかったと李月は思った。
「あいつがどうして素直に答えるのかは知らないが、俺が聞くのは華蓮が小学生のころから教えるのが上手かったからだ」
「ああ…まぁ、それは分かる。僕も今度夏川先輩に教えてもらおうかな。…教えてくれるかな?」
「俺の質問に答えるくらいだから、多分大丈夫だろ。若干気に食わないが」
「いつくんが教えてくれるならそれでいいんだよ?」
「俺が人に勉強を教えられると思うのか」
もしそんなことが出来るのなら、華蓮に聞けとは言わずに自分から教えている。
できないから、若干気に食わないが我慢しようと思っているのだ。
「だよね。夏川先輩にお願いしてみよう。数学なんて、古代文字見てる気分なんだよねぇ」
「古代文字……」
若干気に食わないは撤回する。華蓮、桜生を頼んだ。
桜生は言いながら、再びソファの上に転がった。先ほどからしきりに動き回っているが、布団の中でもそうなのだろうか。それならば、じっとしていないから寝られないのではないだろうか。
「テレビ、チャンネル回していい?」
聞いておいて、桜生は李月が答える前にチャンネルを変え始めた。特に何かを見ていたわけではないので別にいいのだが、それならば最初から聞かなくてもいいのではと李月は思った。結果的に李月が答えず仕舞いでも、桜生はもう一度問うてはこなかった。
「面白そうなの、ないなぁ」
深夜の番組は曜日によって当たり外れがある。どうやら今日は外れのようだ。
しかし、桜生は既に一周したのにも関わらず、いつまで経ってもチャンネルを回し続けている。
「回し続けても同じだろ」
「そうだけど……あっ」
ふと、桜生が手を止めた。
テレビの画面に見知った顔がアップで写る。
『やっほー。テレビの向こうのみなさん、こんにちはー』
そう言って“テレビの向こうのみなさん”に手を振るのは、一刻ほど前まで今は桜生のいるソファに座り、深月が帰ってくるのを待っていた侑だ。桜生とは打って変わって今にも寝てしまいそうだった侑は、テレビを凝視しつつコーヒー片手に必死に眠気を我慢していたくせに、深月が帰ってきたと思ったら途端に寝てしまった。呆れながら深月が侑を抱えて行くときにコーヒーだけ片付けてテレビは消さずに出て行ったために、今まで付きっぱなしになっていたのだ。
とまぁ、そんな経緯はどうでもいいの。とにかく、桜生は知人を見つけて手を止めた。そして、その番組は音楽番組のようだった。
「いつくん、知っててわざと教えてくんなかったでしょ」
「は?」
桜生はまた起き上がっていて、どこか恨めしそうにこちらを見ていた。
だが、李月には桜生が何を言っているのか理解できない。
「shoehornのことだよ。夏川先輩がヘッド様だって、ここに来る前から知ってたんでしょ?」
「ああ……」
確かに知っていた。
むしろ、気付くなという方が無理だ。どいつもこいつも何年も経っているのに性格はそのままだったし、声もそれほど変わっていなかった。華蓮は歌わないので声は知らなかったが、ギターを聞けば誰よりも核心を持てた。
とはいえ、あの時の華蓮は李月にとって敵でしかなかったし、それは桜生にとっても同じだった。それなのに正体を教えて、せっかくの数少ない楽しみを奪う必要はなかった。…まぁ、桜生が一番好きなのは華蓮だと言っていたことが気に食わなかったので、この家に移り住んでからも言わなかったというのもあるが。しかしいつの間にか知っていたらしい。大方、秋生辺りが教えたのだろう。
『明日発売されるシングルですがー…ついに、我らがヘッド様の初ボーカルでーす!』
パチパチパチと、後付けされた拍手の音が鳴る。
いつか、華蓮が悪戦苦闘しながら曲を作っていたのを思い出した。アルバムも同時発売だからといって十数曲を作っていたが、その中でも一番重たかった曲が流れ始める。テレビ画面には「愛執」と大きく書かれていた。
「ねぇ、いつくん」
「何だ」
桜生がソファから顔をのぞかす。
本当にじっとしていることができないらしい。それでよく今まで普通に寝られていたと、逆に不思議に思う。
「膝枕して」
「は?」
女が捨てられた男に死して尚執着し続ける歌をバックに何を言い出すのだ。
「ほら、前に夏川先輩がしてたでしょ?これ聞いてたら思い出した」
「なるほど」
どうして急にそんなことを言い出したのかは納得できた。しかし、確かあの時は確か秋生が華蓮に膝枕をしていたような気がする。が、この際そういうことはどうでもいいか。
李月は立ちあがってソファまで移動した。
「おお、いい眺めだなぁ、くくく」
「変態かお前は」
李月の膝の上に頭を乗せて、楽しそうに笑う桜生を見て溜息を吐く。
2人だけで行動していたときは、たまに笑うことはあってもこんな風に悪戯な笑みを浮かべることはなかった。これを喜んでいいものか、李月は頭を悩ませた。
「僕は秋生みたいにピュアじゃないからねぇ。あの子はまだ夏川先輩が接近すると爆発するらしいけど、僕はもう平気」
爆発してしまったらだめだろう。とはいえ、触れる度に爆発しかけるくせに、触れられないのは耐えられないとは。本人も大変だろうが、華蓮も大変だろう。
それに引き替えたった桜生ときたら、一週間でこの様だ。秋生ほどにとは言わないが、もう少しくらい照れてもいのではと李月は思う。
「お前、体が戻ってまた一段と性格が図太くなったな」
この家に越してきて秋生や他の連中と関わって性格が明るくなった。体が戻ったら、もっと明るくなった上に態度も大きくなった。もう2人だけでいたときの桜生は見る影もない。まぁ、態度が大きくなっても桜生が可愛いことに変わりはないが。
「それ、褒めてるの?」
「半々」
「ひどー。めそめそしてた方が可愛かった?」
「今もめそめそはしてるだろ」
今日だって、琉生に泣かせたら殺すと伝えられた先から泣いていた。
秋生もそうだが、きっとこの双子は既に涙腺が決壊しているに違いない。
「さっきから僕のこと怒らせようとしてる?」
「正直な感想を言っているまでだ。ちなみに、桜生は性格が図太くてもめそめそしてても可愛い」
「だからそれ、ずるいってば…」
桜生はそう言うと、くるりと体をテレビの方に回転させた。どうやら、照れることを忘れたわけではないらしい。
自分に向かっていた視線がなくなったので、李月もテレビに視線を向けた。いつのまにか「愛執」は終わっていて、再び侑が画面に映っていた。
『では、テレビの前のみなさん!ショップでこのジャケットを見つけたら、聞く気がなくてもレジに持って行ってくださいねー!』
侑は笑顔でそう言いながら、片手で持っているCDをもう片方の手で指さしていた。夕の言葉が終わると、映像が切り替わってCDジャケットが画面いっぱいに映された。ジャケットには、よく知った顔が2人写っている。いや、片方は髪で顔は隠れている。だが…顔が隠れていても一目瞭然だ。
「い……っ、いつくん……!!」
目を見開いた桜生が勢いよく起き上がる。
李月はぶつかりそうになった桜生を華麗に避けると、すぐさまリモコンを手に取ってすかさず録画ボタンを押した。
「桜生、秋生を起こして来い。俺は…華蓮を起こしに行く」
「分かった……!」
立ち上がった桜生がまたしても近所迷惑を気にすることなく扉を開け、秋生の寝ている部屋に走って行った。李月もリモコンを投げ捨て、桜生に続く。からっぽになった部屋には「愛執」の曲が虚しく響き渡っている。そして、その音を流しているテレビ画面いっぱいに、華蓮と秋生がCDジャケットとして映し出されていた。
近所迷惑を超過した華蓮の怒声が家中に響き渡るのは、それからしばらく経ってからのことだった。
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