Long story


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 突然倒れた秋生をソファに寝かせた華蓮は、まるで悪びれもせず秋生の定位置に座っている良狐に視線を向けた。揺れている尻尾の数は九本。随分と由緒ある日本妖怪のようだ。

「俺に話があるのか?」

 華蓮が問うと、良狐がゆっくりと顔を上げた。

「やはりそなたは察しがいいのう」

 椅子から立ち上がった良狐はソファの前まで移動すると、寝ている秋生の隣に腰を下ろして愛おしそうにその髪を撫でた。
 座る場所を取られてしまった華蓮は、仕方なく良狐が先ほどまで座っていた椅子に座る。脚の高さが違うのだろう。座っただけなのにガタリと揺れた。よくもまぁ、このような高さの合っていない椅子に座っていられたものだ。

「こやつの中に、もう一つの記憶があろう」

 秋生の髪を愛おしそうに撫でながら、良狐は華蓮の方に視線を向けた。

「助かった方の記憶か」
「そうじゃ。あの記憶もわらわの記憶と同じように、封印されておる」
「お前が封印した…秋生の記憶、ということか」
「察しがいいと楽じゃのう。まさか、自分の中にも封印された記憶があるとは思いもよらなかったが……いや、それがあったからこそ、わらわが耐えかねて封印したのやもしれん。思い出したわけではないが…似たような記憶のようじゃからのう」

 そう言ってまた愛おしそうに秋生の髪を撫でる。
 まるで恋人を愛でているような仕草を何回も見せられると、さすがに少し腹が立ってきた。

「どうしてその話を俺に?」
「すぐそこまで来ておるからじゃ」

 そう言って華蓮を見る目は、今までで一番真剣な目つきだった。
 一体何が、来ているというのか。華蓮は良狐の言葉を待った。

「わらわが封印した記憶は、こやつが7つの時の記憶じゃ。小学校とやらに行き始めて…まだあまり経っていなかったころ……桜はもう散っていたかのう」

 良狐の視線は華蓮から窓の外に移る。
 この部室からは木など見えない。見えるのは、今は誰も通っていない校門だけだ。

「熱を出して保健室で寝ていたこやつは…その保健室の教師に辱めを受けかけた」
「な……」

 あまりに予想を超えた内容に、華蓮は言葉を失った。
 秋生は前から保健室を執拗に嫌っていた。肺炎になった時も、保健室だけは行きたくないと頑なに拒んだ。しかし、その理由は分からないと言っていた。それは、その記憶が封印されていたからだ。

「驚いた顔をしておるが、それを助けたのはそなたであるぞ」
「は…?」

 何を言っているのだ、この狐は。
 秋生が小1ということは、華蓮は小3ということになる。その頃はすでに、華蓮の両親はカレンに毒された後で―――しかし、その時はまだ、華蓮はカレンの顔を知らなかった。
 いやしかし、それでもこの学校以前に秋生に会った記憶などない。ましてや小学校の時など。馬鹿な奴らと馬鹿をやっていた記憶しかない。

「まぁ…憶えておらぬことは予測しておったが……。お前の通っていた小学校が、火事になったことがあろう」
「火事…?…あ―――あの時のガキか……!」

 良狐の言うとおり、華蓮の通っていた小学校は火事になったことがある。
 御馴染みの5人と逃げている途中で、どこかの部屋から泣き声が聞こえたから立ち止まって近くの部屋の戸を開いたら、部屋の隅で到底小学生に見えない生徒が泣いていた。見つけてしまった限りは放っておけなかったので、泣いているのをどうにか宥めて抱えて出たことを…今、思い出した。あれは保健室だったのか。

「そなたも十分餓鬼であったろう」
「まぁ…、そうだが」

 そこは今どうでもいいだろう。
 しかし、あの時の秋生は明らかに5歳くらいに見えた。華蓮がガキと称してもしょうがない、と思う。

「あの時そなたが戸を開けなければ、こやつは助からなかった。とはいえ、そなたに助けられた後もずっと怯えておった……。素直に話せばいいものを…気付かれないように気丈に振る舞うて、時々何かの糸が切れたように震えて泣きだして……とても見ておれんかった」
「それで…記憶を封印したのか」
「そうじゃ。この前…、一瞬思い出しかけた時に知らぬと言うたのは、こやつにその記憶を思い出して欲しゅうなかったからじゃ」

 良狐のその判断は正しい。
 そんな忌まわしい記憶、思い出す必要はない。

「この話をそなたにしたのは…こやつを襲った男がすぐそこまで来ておるからじゃ。あの男は明らかに普通ではなかった。わらわはあの時に忌まわしい感覚をよう覚えておる」
「人間ではないということか…?」
「それは分からぬ。じゃが…、その忌まわしい感覚を感じるのじゃ」

 良狐はそう言って思いきり顔を顰めた。
 それは、秋生が触れたことがあるから感じるのか。それとも、良狐が以前に似たような目に遭っているから感じるのか。

「本当はずっと、そなたにこの話をしたかったのじゃが…何せ、わらわは死にかけておったからのう。秋生の中から出て話をすることは無理じゃった。…それゆえ、今回の低級霊のしたことは……あの阿呆鬼は随分と激昂しておったが、わらわにはむしろ好都合じゃった」
「お前の記憶の封印が…解かれるかもしれなかったのに?」
「わらわはこやつの為なら命でも差し出す。忌まわしい記憶のひとつやふたつ、こやつを助けるためなら他愛もないことよ」

 良狐は何の躊躇もなく言い放った。
 秋生と良狐の間にどういう絆があるのか華蓮は知らないが、この忠誠心を亞希にも見習ってほしいと思った。

「その割に、随分と扱いがぞんざいだな」
「それはそなたも同じであろう」

そう言われると、華蓮はあまり言い返すことができない。

「お前ほどじゃない」

 と、かろうじて言えるくらいだ。

「似たようなものであろうが、まぁよいわ。…そなたしかこやつを守れる者はおらぬのじゃからな。もしも同じ目に合わせたら、わらわはそなたを許さぬぞ」

 ゆらゆらと揺れていた良狐の尻尾の動きがぴたりと止まる。その瞬間、いくつもの火の玉が部屋中に浮かび上がった。どの火の玉も、華蓮を狙っているように思えた。

「そんなことはさせない、絶対に」

 目の前に現れた瞬間に脳天をかち割ってやる。

「あの阿呆鬼が見初めただけはある。怖い奴よ」

 良狐はくつくつと笑うと、再び尻尾をゆらゆらと揺らし始めた。部屋の中から、火の玉が消える。

「だが…俺にはそれが近づいてきていることは分からない」
「それはわらわが教えよう。幸か不幸か、わらわの力はこの学校内でも実体でいることができる程度に回復しておるからのう」

 それは、今目の前にいることからも分かるのだが。

「お前は幽霊とは違って人間にも見える。安易に校内をうろつかせるわけにはいかない」

 良狐の容姿は誰が見ても妖怪だと察することができる。同じ妖怪でも見た目は丸きり人間の侑が校内をうろついているのとはわけが違う。侑は妖怪の子孫であるから、同じ妖怪というのも少し違うのかもしれない。

「わらわは姿を隠すのが得意じゃ。ろくに力も持っておらぬ人間のつたない視力くらい簡単にごまかせる」
「それならいいが…その姿でうろつかれると、俺としても気が散る」
「文句の多い奴じゃのう。ならば、これはどうじゃ」

 良狐はソファから立ち上がったかと思うと、次の瞬間には床を蹴っていた。
 ふわりとした風が、頬を撫でる。

「これで問題なかろう」

 声は聞こえるのに、姿が見えない。
 華蓮が辺りを見回すと、ソファの横に文字通り狐が座っていた。ほとんど、どこの動物園にでもいそうな、ただの狐。普通の狐と違うのは、尻尾の数が九本あることくらいだ。

「まぁ…そうだな。…大丈夫だろう……多分」
「ならば、しばらくはこの姿でそなたに助言しよう」

 そう言うと、良狐はふわっと飛び上がり華蓮の肩に腰を据えた。別に乗る必要はないのではと思った華蓮だが、近くにいないと意味がないことは確かなので指摘はしないことにした。
 動物を連れ歩く許可は特別待遇にあっただろうか…。華蓮はそんなことを考えながら、未だ気を失っている秋生の隣に腰かけた。



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