Long story


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 助からなかった記憶。以前、秋生の中に溢れてきた恐怖の記憶。
 秋生は今でも、思い出すだけで寒気を感じる。あの悍ましい記憶は、自分のものではなかった。それは安心するはずの答えなのに、酷く心が苦しい。

「大丈夫か?」

 華蓮に声をかけられ、秋生は顔を上げた。

「俺の記憶じゃないって分かったのに…辛くて……」

 幼いころからずっと一緒にいた。
 桜生もいなくなって、琉生までいなくなって。寂しくて毎日神社の前で泣いていたら、見ていられなくなったと言って秋生の前に現れた。いつもうるさいから帰れと言うくせに、力を使って追い出そうとはしなかった。子どもだった秋生の相手を飽きずにしてくれた。助けられたことも何度と言わずある。
 態度は少し図々しけれど、優しい狐の妖怪だ。秋生の、大切な友人だ。

「お前はすぐに感化されるからな」

 華蓮は少し呆れたようにそう言うと、そっと秋生を抱きしめた。さすが、寒さが無くなっても超絶適温だ。
 今にも泣いてしまいそうだった気持ちが、少しだけ治まった。

「まぁ、それがその子のいいところでもあるからね。君の中にいる狐も、だからその子に付いて行くことを決めたんだろう」

 それはまるで、良狐のことを知っているような口ぶりだった。

「亞希さんは…良狐を知っているんですか…?」

 そもそも、亞希はどうして良狐の封印された記憶のことを知っていたのだ。その記憶が、助からなかった記憶だということも。少なくとも、先ほど垣間見えた良狐の記憶の中に、そんな描写はなかった。 

「ああ、知っている」
「…良狐は……そんなこと一言も言ってなかったのに…」

 これまで何度も亞希とは接触しているのに、まるで関心がないようだった。
 これだけ強大な力なのだから、気付かないわけもないだろうに。

「それは当たり前だ。君の中にいる狐は、俺のことを憶えてはいない」
「え…?」
「だから、内緒にしておいてよ」

 亞希はそう言うと、酷く悲しそうな顔をして笑って。そして消えた。
 さきほど見た世月と加奈子が消えるのとはまた少し違い、床に沈むように消え方だった。

「逃げたな」
「え?」
「無理矢理引っ張り出しても、もう何も答えないだろう。…立てるか?」

 華蓮はすっと立ち上がると、秋生に向かって手を差し出した。

「あ、はい…って、先輩、触っても大丈夫なんですか?」

 そういえばすっかり忘れていたが、華蓮は今、秋生に触れると大変ことになるはずだ。しかし、華蓮はまるでそんなこと気にしていないように秋生に手を差し出している。いや、そんなことにも気付かないで飛びついて行った秋生が言えることではないが。

「今更か。もう何ともない」
「本当に…?」
「だからそう言ってるだろ」
「よかった……!!」

 秋生は華蓮の手を掴んで立ち上がると、そのままの勢いで華蓮に飛びついた。
 華蓮は一瞬バランスを崩すが、倒れることなく秋生を受け止める。さすが華蓮だ。

「おいっ…危ないだろ」
「すいません!でも、これで遠慮なくこけられると思ったら、嬉しくてつい」

 だって世月が言っていた。これも秋生だけの特権なのだと。

「馬鹿か貴様は」
「痛い!」

 しかし、世の中それほど甘くないようで。
 冗談とも取れないに冗談(実際冗談では済まない)を言った秋生は容赦なく華蓮に引っ叩かれた。思いきり頭を叩くなんて、これ以上馬鹿が悪化したらどうするのだろう。


「そなたの馬鹿はそれ以上悪化できぬくらいに退化しておるわ」


「失礼な―――…って…え?」

 今秋生を罵倒したのは、華蓮の声ではなかった。
 そもそも、秋生は今頭の中で文句を言っただけで口には出していない。
 辺りを見回した秋生は、自分と華蓮とは別に立っていたもう一人を見つけた瞬間、驚愕した。

「ら―――――良狐!!?」
「大きな声を出すでない。煩わしい」

 華蓮御用達のソファをまるでわが物の如く陣取っている良狐は、尻尾を弄りながら振り返った。かと思うと、一瞬で秋生と華蓮の前まで移動してくる。

「ほう、実物は一段と顔が整っておるのう」

 言いながら、良狐は華蓮と触れるか触れないかの距離まで顔を近づけた。
 まるで見えていないかのように、華蓮は微塵も動かない。

「それはどうも」

 どうやら、見えてはいるようだ。

「ずっと気になっておったのじゃが…そなたのような者が、どうしてこのような何の取り柄もないものを相手にしておるのじゃ?」

 なんと失礼な質問だろう。仮にも体を貸している相手に対して「何の取り柄もないもの」とはどういうことだ。もう少し敬意を払え。
 とはいえ、さほど大声で否定もできないのが悲しいところだ。

「お前は何の取り柄もない奴を憑代にしているのか?」

 華蓮は良狐が至近距離にいることをなどまるで気にしている様子なく、少し笑って見せた。上手い逃げ方だと思ったが、秋生としては少しだけ答えが気になった。

「ふふ…ずるがしこい男じゃのう」
「お互い様だろう」

 そう答えるのを聞いた良狐は華蓮から距離を取り、そしてどこか呆れたような表情で秋生を見た。

「ますますこのような救いようないやつの相手をしておる意味が分からぬ」
「お前、どんだけ俺のこと馬鹿にしたら気が済むんだよ」
「阿呆に阿呆と言うて何が悪いのじゃ」

 そう言われると、秋生は何も言い返せない。
 自分が馬鹿…つまり、良狐のいう阿呆だということは重々承知している。

「どうせ俺は救いようのない馬鹿ですよ。ったく、突然出てきたと思ったら俺をコケに―――…って、何でお前、出て来れるんだよ!?」

 良狐は死にかけの妖怪で、ずっと秋生の体の中にいたから生きていられた。前に一度出てきたことはあるが、あれは環境が適しているから――死なない程度に力を使える環境だったのだ。しかし、この学校はあの場所とは比べものにならないほど邪気が強い。出てくればたちまち呑みこまれてしまうはずだ。

「気づくのが遅いのじゃ」

 良狐は秋生の質問には答える気がないというようにソファに座る。

「さしずめ、亞希の力に影響を受けたといったところか」
「え…?」
「お前が目を覚ます前、亞希が何かしていた。だから多分、その影響だ。…だろう?」
「察しがいいのう、おぬし」

 華蓮が問うと、良狐は尻尾を弄りながらこちらに顔を向けることなく呟いた。
 つまり、華蓮の言う通りということだ。

「あの阿呆鬼の力がわらわの弱体化を緩和したのじゃ」
「阿呆鬼って、お前……」

 亞希は、良狐が自分のことは憶えていないと言っていた。
 しかし今の良狐の口ぶりは、到底憶えていないようには思えない。

「亞希のことを憶えているのか?」
「思い出したと言った方が正しいであろうのう。あやつに触れたことで、封印されていたあやつの記憶が解放された」
「亞希さんの…ってことは、封印された記憶の全部を思い出したってわけじゃないのか?」
「そうじゃ。さきに阿呆鬼がわらわの記憶だと抜かしておった、“助からなかった記憶”も思い出してはおらぬし、ろくな記憶でないことは分かっておるゆえ思い出す気もない」
「さきに…って、お前ずっと話聞いてたのかよ?」

 それならば、どうしてその段階で顔を出さなかったのだろう。

「当たり前であろう。わらわは姿を隠すのが得意じゃからのう。あの阿呆鬼に気付かれないようにするのもたやすいことよ」
「どうして隠れるんだよ。亞希さんと知り合いなんだろ?」

 亞希の口ぶりでは、多分良狐は亞希に助けてもらった。壊れそうだった記憶の鍵をかけ直し、良狐の中に忌まわしい記憶を封印してくれた。
 それなのに、起きていて出て来ないとは。お礼のひとつでも言えばよかったものを。

「あやつが内緒にしておけと言うたであろう」

 良狐はあっけらかんとして言ってのけた。何本もある尻尾がふらふらと揺れる。

「だからって…いや、もういい。もういいからさっさと戻れよ」

 何を言っても、ああいえばこういうで返されるだけだ。良狐がこうなのはいつものことなので分かる。この場合、相手をせずに自分の奥に押し込めてしまうのが一番だ。

「断る」
「はあ…?」
「わらわが出てきたのは、このようなどうでもよい話をするためではない。戻るのはそなたの方じゃ」

 そう言うと良狐は立ち上がり、華蓮に近寄った時のように秋生に顔を近づけた。
 突如、意識が遠のいて行くのを感じた。


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