Long story
華蓮が心霊部の戸を開くと、まるで宇宙人でも見つけたかのような視線がぶつかった。秋生はしばらくきょとんとしていたが、華蓮のことを認識すると何を思ったか勢いよく立ち上がった。また逃げだす気か。
「…お……お久しぶりです…」
逃げ出すかと思ったが、秋生は意外にも華蓮に話しかけてきた。
まぁ、唯一の出口であるところに華蓮が立っているわけだから逃げることはできない。侑のように窓から自由に出入りできるほど身体能力はよくないし、いくら筋金入りの馬鹿でも、危険を承知で窓から飛びだすほど馬鹿でも――…いつかの桜生の話ではそれも十分に有り得そうだが、今日は思いとどまったということだ。
「久しぶりだな」
一緒の家に住んでいて「久しぶり」というのはおかしい気がするが、全く顔を合わせていなかったのだから間違ってはいない。
「授業…行かないんすか?」
「お前も人のことは言えないだろ」
授業開始のチャイム既に鳴り終わっている。
「俺は……世月さんにここから動いたら呪うって言われて…」
「世月?」
春人ならともかく、どうして秋生の口から世月の名前が出て来るのだ。
華蓮が顔をしかめると、秋生は困ったような表情を浮かべた。
「ええと…世月さんが加奈子と一緒にいて。…見えないはずなのに見えてて…それで、少し話しをしてたんです。先輩が来る少し前にいなくなっちゃいましたけど」
「そうか」
どうして秋生に世月が見えたのかはこの際どうでもいいことだが。世月はきっと、華蓮が来たことを察して姿を消したのだろう。気を遣ったのか知らないが、呪うと脅しまでかけなくてもいいのではないかと華蓮は思った。世月に呪われるなど、想像するのも憚れるくらいにおぞましい。
「あの…先輩……」
「何だ?」
「ええと…特に何かあって呼んだわけじゃないんですけど…」
秋生は華蓮と視線を合わせない。
1週間会話を交わさなかっただけで、これまでどう接していたかも忘れてしまったのだろうか。秋生の動きはまるで初対面の相手に話しているようにぎこちない。もしあのまま1か月会話もせずに過ごしていたら、どうなっていたか興味すら湧いてくる。とはいえ、そんなことは不可能だが。
「けど?」
「えっ……けど…あの…」
ああ、煩わしい。
いつまで経ってもはっきりしないどころか、まるでぎこちない秋生に華蓮の苛立ちは限界を超えた。いつまでもこんな茶番に構っているほど、気長ではない。華蓮はしどろもどろとしている秋生に近寄っていく。
「せんぱ…うわ!」
バチバチ!
「っ…!」
近づいたことに少し驚いた表情を浮かべている秋生の腕を引くと、体に激痛が走った。しかし華蓮はそんなことに構わずそのまま秋生を自分の腕の中に引き寄せた。再びバチバチと音が鳴り、激痛がひっきりなしに体を駆け抜けていく。
「せっ…先輩!?」
「動くな」
秋生が体を動かすと、更に痛みが加速した。
それを止めるように抱きしめる力を強めると、秋生は今にも泣きそうな顔で見上げてきた。
「しっ…死んじゃいますよ!」
「これしきのことで死ぬか」
多分。死なないだろうと思う。あの忌々しい女の悪霊にそれほどの呪い(なのかどうかわからないが)をかけるほどの力はないだろう。繰り返すが、多分。
「先輩…どうして…」
心配そうな表情と、状況を理解していないと言う表情が入り混じっている。
「お前がいつまで経っても逃げ回ってるからだろ」
「先輩が…、近寄るなって……」
やはり、勘違いしていたようだ。
「それはあのろくでなし共に言ったことであって、お前に言ったんじゃない」
「でも…、…死にますよ……」
「だから死なないと言ってるだろ。そんなに離れたいのか」
華蓮がそう言うと、秋生はまた泣きそうな表情を浮かべた。
この分だと、自分は一体何度琉生に殺されることになるだろう。想像もしたくない。
「違います…」
聞こえるか聞こえないかの声でそう言った秋生は、俯いたかと思うと華蓮の背中に腕を回してきた。バチバチと音が鳴り、新たな痛みが体を走る。
「秋生…?」
華蓮は新たに駆け抜けた痛みよりも、秋生の意外な行動に驚いた。華蓮が声を掛けると、腕にぎゅっと力が込められた。一体どういう心境の変化だろうか。
「世月さんが…俺だけの特権だから、もっと使えって」
「特権?」
何の話をしているのか理解できない。
世月は一体、秋生に何を吹き込んだのだろう。ろくなことでなければいいが。
「世月さんいわく、俺には先輩に甘えたり我儘言ったりできる権利があるって。だから…、その…甘えてみようかなと」
そう言って秋生は少しだけ顔を上げると、華蓮を伺うような視線を向けた。
華蓮は今初めて、体中を駆け抜ける痛みとあの忌々しい女の悪霊に感謝した。
「世月のやつ…ろくでもないことを吹き込みやがって……」
危うく理性を吹っ飛ばすところだった。
今回の場合世月のせいであるが、秋生も秋生で自分の言動の破壊力をいい加減少しくらい自覚すべきだ。
「だめ…ですか?」
「駄目じゃない」
もし仮にこれから理性が飛ぶことがあったら、それは全部世月のせいだ。
華蓮がそんな責任転嫁を頭の中で考えながら秋生を抱きしめる腕の力を強めると、秋生は少し安心したように、華蓮の体にすり寄った。
「大好きです…」
―――ドカンッ!
秋生が小さくそう呟いたその瞬間、華蓮の体が今までにないくらいに凄まじい音を立て、まるで稲光のような光が放たれた。ほぼ同時に、それまでとは比べものにならないくらいの痛みが、全身を襲った。
「――――…」
理性とは別のものが吹っ飛んだのか。
体中に駆け抜ける痛みに叫ぶ間もなく意識が遠のいて行くのを感じながら、華蓮はどこか冷静に冗談めいたことを考えているのだった。
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mokuji
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