Long story


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 久々の部室だ。
 この場所を避けるように行動していた秋生は、来なくなってたった1週間しか経っていないのに、随分懐かしく感じる。そんな思いを感じながら、華蓮御用達のソファに勝手に寝ころび、溜息を吐いた。
 まるで麻薬のようだ、と秋生は思った。
 麻薬は使ったことがないし使う気もないけれど、使えばきっとこんな感じなのだろう。駄目だと思うほど、欲しくなる。麻薬とは実に恐ろしいものだ。そして秋生にとっての華蓮は、正に麻薬のようだった。
 耐えられないだろな、とは思った。だが、思っていた以上に自分は華蓮に依存していた。これまではことあるごとに助けてもらったり、ときどき抱きしめてもらったり、キスしてもらったり。それなりに触れ合いがあったから気が付かなかったのだ。自分がどれだけ、華蓮という麻薬に依存しているかということが。
 顔を合わせたら触れてしまいそうになる。だから顔を合わせない。李月が言ったこの案は実に妙案だったと思う。でも、それには麻薬の副作用という弊害があった。顔を合わせなくなって2日目でその副作用は現れた。絶対に間違えるはずのない砂糖と塩を間違え、焦がしたこともない魚を焦がした。華蓮にそっくりな亞希を見ただけで泣きそうになった。桜生には呆れられてしまった。
 顔を合わさないということは、触れられないということに加えて秋生にダメージを蓄積させることとなった。それもこれも、秋生が華蓮という麻薬に強く依存しているからこそのことだ。

「さすがストーカー予備軍…」

 改めて、自分にはその素質があると思った。
 李月はないと言ったけれど。もし、華蓮に捨てられるようなことがあったら、本当にストーカーになり兼ねない。いつか華蓮が歌ってくれた、もうじき始まるドラマの主題歌。復讐をテーマにしたあのドラマは、秋生にとってストーカーの素質を開花させてしまいそうだ。…観ない方がいいかもしれない。

「世月お姉ちゃん、ストーカーって何?」
「好きな相手が自分のことを好きになってくれなかったときに、素直に諦めずにしつこくつきまとったり、嫌がらせをしたりする人のことよ」

 ふと、頭上から聞こえた会話に顔を上げる。
 視線の先には最近すっかり見なくなった加奈子と、それから双月が秋生を見下ろしながら会話をしていた。

「え…双月先輩……じゃない…?」

 双月だと認識したその人物は、加奈子と同じように宙に浮いていた。それだけではない。透けているし、服装が真っ白いワンピースだし、声が双月よりも高い気がするし、それから全体の雰囲気が少しだけ違った。双月よりもどこか落ち着いていて…美人だった。

「違うよ。世月お姉ちゃんだよ」

 秋生の言葉に対して、加奈子が訂正を述べる。
 思えば先ほども、加奈子はこの人物のことを“世月お姉ちゃん”と言った。

「えっ…えっ、世月さん……!?」
「あら、私が見えているの?」
「み…えて……る、みたいです」

 状況の呑みこめない秋生はぽかんとした表情で返した。
 目の前にいるのはどうやら本当に正真正銘の世月らしい。

「私も徐々に頭角を現してきたわね。初めまして、大鳥世月よ」

 そう言ってふわりと笑う。
 桜生は比喩でそう言ったが、その表現はきっと間違っていない。秋生に向かって笑う世月は、本当に天使のようだった。

「はじめして……柊秋生です」

 双月とそっくりである上に、世月に扮した双月を普段から見慣れているからだろうか。それとも、見えないながらもずっと近くにいたからだろうか。初めましてと口にしながらも、あまり初めましてという気がしない。

「初めましてなの?」
「直接会話をするのは初めてだから。…あまり初めましてって感じはしないけれど」

 世月も秋生と同じことを思っていたらしい。加奈子にそう返しながら、苦笑いを浮かべていた。
 しかし、それからすぐに秋生に視線を向け直す。澄んだ瞳にまっすぐ見つめられた秋生は、なんだか神聖なものに見られているような気がして思わず寝そべっていた体を起こした。

「私が見えことに関してはどうでもいいとして…秋生君、随分参っているみたいね」

 結構重要なことだと思うのだが、それをどうでもいいと片付けてしまう辺り中々凄い。
 世月は秋生を見ながらクスリと笑った。どうやら世月は、今回の件について知っているらしい。まぁ、普段から春人にくっついているらしいから、当たり前と言えば当たり前だが。

「参ってます……」

 素直に答えると、世月はまたクスリと笑った。

「秋、夏に触れないんだよね」
「うん」
「それって、そんなに大変なことなの?私、何にも触れないけど…そんなことないけど」

 そう言って加奈子は首を傾げる。
 加奈子は誰かに触れられないということが当たり前だ。そもそも、誰かに依存していることがないからそれ以前の問題かもしれない。

「加奈ちゃんの場合はこうね。加奈ちゃんが今一番仲良しな人に、今から1か月は何をしても見えないし声も聞こえない。そんな風になってしまったら、どう?」
「一番仲良しな人…?」
「そう、一番仲良し…まぁ、大好きな人でもいいけれど。他の人は見えるし聞こえるのに、その人だけ見えないし、聞こえない」

 世月の言葉に加奈子は腕を組んで考えるそぶりを見せた。

「世月お姉ちゃんにだけ見えなくなるの?そんなの嫌だよ」

 加奈子はそう言って顔を顰めた。
 一番仲良しな人、一番大好きな人、というワードから迷いなく世月を思い浮かべたらしい。どうやら、秋生の知らないところで世月と加奈子はすっかりゼロ距離になっているようだった。

「あら、嬉しいわね。私もずっと誰にも見えなかったけれど、加奈子ちゃんとそうなるのは絶対に嫌よ」
「えへへ」

 カップルではない。どちらかというと兄弟愛に近いようなものだろう。
 しかし、自分がこういう状況にある今、世月と加奈子の会話は嫉妬心を掻き立てる以外の何物でもなかった。

「…秋、大丈夫?しんどいね」
「大丈夫か…ってのは微妙だけど。ありがとう」

 加奈子は心配そうに秋生を見下ろしている。
 そんな表情を見せられると、嫉妬するのもむなしくなってきた。何より、もうしばらく相手もしていなのに加奈子は秋生にもよく懐いてくれている。

「そんなに参っているのなら、飛びついていけばいいじゃない」

 世月はいつの間にか、普段秋生が座っている椅子に腰を下ろしていた。
 机に頬杖を付く姿も綺麗だ。

「そんな申し訳ない…」
「かーくんはそんなこと思わないわよ。あなた、自分がかーくんの恋人だって分かっているの?」
「……はい」

 そう改まって言われると、恥ずかしい。

「だったらもう少し自信を持ちなさい。あなたは特別よ。ちょっとやそっと甘えたって我儘言ったっていいのよ?むしろ、するべきだわ」

 世月はそう言うと一瞬で秋生の前までやってきた。
 ここでようやく、世月が生きていないということを再認識させられる。双月とそっくりだから、どうもそういう認識が薄かった。

「でも…嫌われるかも……」
「馬鹿か貴様は」
「えっ」

 聞きなれながらも最近聞いていなかったワードに秋生が驚いた表情を浮かべると、世月はそれを予測していたかのように笑った。

「かーくんの真似よ。…さっきも言ったでしょう、あなたは特別。かーくんに甘えて、我儘を言えるのはあなただけにある権利なの。それを使わなくて、あなた一体何のためにかーくんの恋人やっているのよ」

 世月はまるで吐き捨てるように言ってから、再び椅子に戻った。
 秋生は別に、華蓮に甘えたくて、我儘を言いたくて恋人であるわけではない。
 ただ華蓮のことが好きで、華蓮も自分のことを好きだと言ってくれて。だからそういう関係にある。それだけだと思っていたが。

「キスだってそのうちよ。あなたがかーくんの恋人だからこそある権利」

 恋人だからこそ、ある権利。

「俺だけの…権利…」
「そうよ。だから、遠慮せずに存分に使いなさい」

 自分だけの権利。
 華蓮に抱きしめてもらうのも、キスしてもらうのも同じだ。
 思えばこれまでだって、秋生はときどき、華蓮に触れたいと伝えることがあった。本当にときどきだが。そうしたら、華蓮はいつも拒むことなくそれをよしとした。それも特権のおかげということだ。だが、それまでのそれは華蓮になんら悪影響がなかったからのことだ。
 しかし、今は悪影響でしかない。
 そんな今でも、世月の言うように、存分に使ってもいいのだろうか。

「先輩は……、迷惑に思わないですか?」
「あら、愚問ね」

 そう言って世月はふわりと笑った。
 秋生は天使を知らないが、正に天使のような笑顔だった。

「かーくんは喜んであなたの我儘を受け入れるわ」
「…でも、」
「私の言うことに間違いはないの」

 世月は何の根拠があるのか、すっぱりとそう言い切った。そこまで言い切られると、信じざるを得ない。いや、秋生がそう信じたいだけかもしれない。
 どちらにしても、信じる価値はある。そう思った。

「青春だねぇ」

 ふと、緊張感のない声が隣から聞こえた。

「お前、中年女性じゃないんだから……」

 まるで懐かしむように言う加奈子に、秋生は苦笑いを浮かべた。
 まだ小学校にも上がっていないような子どもの口にする言葉ではない。

「幽霊になって100年以上迷っていたわけだから、老婆もいいところよ」
「世月お姉ちゃん、ひどーい」

 そう言いながらも、加奈子はあまり怒っている様子ではなかった。
 なんだか本当に兄弟のようだ。

「でも、私も今青春してるよ!」
「え?」
「こういうのJKのコイバナって言うんでしょ?これも青春だよね!」

 いったいどこでそんな言葉を覚えてきたのか。
 どうやら最近はずっと世月と行動を共にしているようだからきっと世月なのだろうが。

「そうね。あとは加奈ちゃん自身が恋愛を経験するだけね」
「えー、できるかな?」
「睡蓮君とか…まぁ、あの子はどちらかというとお兄ちゃん気質ね」
「やだー!睡蓮がお兄ちゃんなんて御免だよ」
「でも今日もこれから遊んでもうらうんでしょう?」
「うん。ちょっと遠くの公園に長い滑り台があるから連れてってくれるって!」

 秋生の知らないところで睡蓮はしっかりお兄ちゃんをやっているらしい。
 自分で面倒を見るといっておきながらすっかり放置してしまっている自分が恥ずかしく、そして申し訳なくも思えてきた。

「ふふ、よかったわね。さて…そろそろ行くわよ加奈ちゃん」

 ひとしきり喋りつくして満足したのだろうか。
 世月は嬉しそうに飛び跳ねる加奈子の頭を撫でながらすっと立ち上がった。

「どこか行くの?」
「そうねぇ…春君と桜ちゃんのところにしましょうか」

 世月は少し考えてから人差し指を立てた。
 それならちょうどいい。そろそろ昼休みも終わる頃だし、教室に戻らなくてはいけない。

「あ、じゃあ俺も…」
「秋君はここにいなさい。動いたら呪うわよ」

 そう言って笑う世月の顔は、天使だけど天使ではなかった。
 天使は人を呪ったりなんかしない。

「じゃあまたね、秋」
「いい子にしてるのよ」
「えっ…」

 そう言った瞬間、2人はどこかに吸い込まれるようにすうっと姿を消した。
 世月には初めて会ったから何とも言えないが、加奈子はいつの間にあんな技を身に着けたのだろう。というか、どうして自分はここにいるように指示されたのだろう。授業はサボっても問題はないが、ここに居ても特にすることはない。どうしろというのだ。
 そんな思いながらつい先ほどまで世月のいた椅子に目を向けていると、ガラリと音を立てて唐部室の戸が開いた。

「あ……」

 秋生が入口に視線を向けると、まるでこの時を見計らっていたのではないかと思うようなタイミングで、華蓮がそこに立っていた。



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