Long story
体育館の中は天井が開けているにも関わらず真っ暗だった。本来なら見えるはずの星空が見えないのは、きっと瘴気に包まれているせいだろう。空だけではなく、前方にあるはずのステージもまるで黒い煙が立ち込めて視界を遮っているように見えない。しかし、歩くたびに増す悪寒と頭痛とでカレンには着実に近づいているということがわかる。
「随分長いこと入口で遊んでいると思ったらぁああ、やぁああああっと入ってきたのかぁ」
ふと、上の方から機械のような声が響いて来た。しかし実際に上から声がしているわけではない。どこからか聞こえている声がここを取り巻いている空気に反射しているのだ。
「分かっていて逃げないとはいい度胸だな」
華蓮はどこから聞こえているか分からない声に返しながら、まるで動じることなく歩みを進める。秋生は無意識のうちに華蓮の腕を掴む力を強めていた。寒気が増すのと同時に、得体の知れない怖さを感じる。
「逃げるぅ?…僕にはもうぅうう、そんなことは必要ないよぅ」
声が少し近づいたような気がした。
あちこちに気配を感じる。動きまわっているのか、それともこの空間の中では気配を感じ取ることが出来ないのか。何にしても気味が悪い。
「それなら堂々と姿を見せたらどうだ」
相変わらず動じない華蓮が辺りを見回す。李月も同じように辺りを見回していて、その隣に桜生がぴったりとくっついていた。流石にこの状況では、心臓がとか頭がとか言っている場合ではないのだろう。
「それもそうかぁ」
ばちんと、何かが切れる音がした。そして次の瞬間、先ほどまで何も見えなかった視界が急に明るみになる。先の方に見えたステージに、人影がふたつ。
「兄さん……!?」
「兄貴……!!」
桜生と秋生がほぼ同時に声を上げた。
明るみになったステージの上には、桜生にそっくりな、しかしまるで生気の籠っていない目をしたカレン。そして、そのカレンを抱えるようにして琉生が立っていた。
どうして桜生に実体が戻って尚、カレンが桜生の容姿で実体を持っているのかは分からない。しかし、それよりも琉生が一緒にいると言うことの方がもっと分からなかった。
「……何でそいつと一緒にいるんだ、琉生」
李月が問うが、琉生は答えない。
まるで何も興味がないのように、ただ平然とこちらを見ていた。
「なぁああんだ。きみたち、なぁああんにも知らないの?」
にたりと笑う顔が相変わらず気持ち悪い。
しかし、今はその気持ち悪さよりもカレンの言葉に意識が向かった。
「どういうことだ……」
華蓮の声がいつになく低く、そして秋生の掴んでいる腕が震えていた。反対の側の手にはしっかりとバッドが握りしめられている。
「せっかくだから、教えてあげよう」
粘着したような喋り方が、急に普通の喋り方に変わった。相変わらず声は機械のような声だが、喋り方が違うだけで随分印象が変わる。とはいえ、印象が変わったところで好印象になることはない。
「この子は自分から僕に体を捧げたのさ。…そいつの体と等価交換という条件で」
カレンが指差した先には、李月に寄り添っていた桜生の姿があった。
「ぼ…くの……からだと……?」
桜生は驚愕の表情を浮かべて、歯切れ悪く呟いた。
その言葉に、カレンは不気味な笑みを浮かべたままに頷く。
「そうさ。…僕がここに来たことでそれが可能になったと言っていたよ。ここに根付いている力とこの子が持っているすべての力、それを合わせて僕に与えることで僕を自由にしてくれた。僕は自分の体を自分で形成できるようになり、お前は用無し。そしてこの子は僕の手の内に堕ちた」
そう言ってカレンは琉生にすり寄った。
琉生はまるで感情のない表情で、視線をカレンに向ける。
「兄さん…そんな……僕のために……っ」
「お前のためにじゃない、僕のためにだ」
カレンの顔から気持ち悪い笑みが消え、桜生を睨み付けた。ずるずると音を立てて、カレンの周りに瘴気が集まってきた。そして次の瞬間、桜生に向かって飛びついていく。
「っ!」
目の前までやってきた瘴気を、李月が一瞬で切り裂いた。カレンはちっと舌打ちを打つが、すぐに余裕の表情に戻る。
「この子はもうお前たちの兄じゃない、僕のものだ」
「…何を……」
「そんなに震えて、僕を殺しに来るかい?できないよね?お前にはもう霊を見る力もない」
カレンがニタニタを笑うのを前に、桜生が拳を握って震えていた。
全部分かって、桜生の感情を逆なでしているのだ。
「唯一…、お前との繋がりが完全に切れなかったことは頂けないけど、でもまぁ、許容範囲だね。僕はもう自由だ、何でも思い通りだ」
カレンは桜生から秋生に視線を移して指さした。
繋がりが切れていないというのは、力の共鳴のことを言っているのだろう。
「図に乗るな」
ひゅんと、風を切る音がした。そして次の瞬間、カレンのすぐ隣をバッドが突き抜けて行った。背後の壁に突き刺さり、メキッと鈍い音が響く。秋生が華蓮を見上げると、その表情は今にもとびかかって行きそうなくらい怒りに満ちていた。
「お前が桜の体と離れたということは、もうお前を消すことに躊躇しなくてもいいということだ」
華蓮は一歩前に出る。秋生はとっさに華蓮から手を離した。さまざまな症状が体を駆け抜けるが、それと訴えることができない。
「だったら何?」
「今すぐ粉々にしてやる」
そう言って次に華蓮が前に出た時、華蓮の手にはさきほど飛ばしたはずのバッドが握られており、そしてミシッと地を踏む音がしたかと思うと一瞬でカレンの目の前まで移動していた。華蓮は容赦なくバッドを振り下ろす。
「甘いなぁ」
ミチッと、鈍い音が響いた。いつか、李月が華蓮と刃を交えた時にした金属音とは明らかに違う音だった。
「…琉生……!」
華蓮が振り下ろしたバッドを、琉生が腕で受け止めていた。今の音は琉生の腕からなった音だ。自分の腕を犠牲にバッドを受け止めた琉生は、無表情のままに受け止めた手でバッドを握り、そのまま華蓮ごと投げ飛ばした。
「っ!」
華蓮は体勢を立て直して着地する。そして、ステージの上を見上げてカレンを睨み付けた。
「言ったでしょ?この子はもう僕のものだ。…僕を簡単にやれるなんて思わないで」
「貴様…っ」
「その憎しみに満ちた顔がたまらないよ―――!?」
カレンが楽しそうに笑う背後で、李月が刀を振り下ろした。華蓮に気を取られてカレンは少し反応が遅れて危うく切られそうになるが、それよりもカレンと李月の刀の間に琉生の腕が入る方が早かった。
「!!」
李月はとっさに刀を止めたが、しかしそれが隙となった。自分の手が切れることも惜しまない琉生は素手で李月の刀を掴み、そのまま李月ごと投げ飛ばそうとする。しかし、先ほど華蓮にしたのと同じことを目の当たりにした上で食らうはずもない。李月は素早く刀から手を離し、刀だけが飛ばされて行った。
「だから、簡単にやれるなんて思わないでってば」
カレンから無数の瘴気が手のようになって李月に襲いかかっていく。しかし、李月はその全てを器用に避けて、ステージから遠のいた。先ほど飛ばされたはずの刀が、もう李月の手に戻っている。
「むかつくから、ちょっと痛い目見せてあげて」
カレンがそう言うと、琉生がカレンをステージの上にカレンを下ろした。そしてあっと言う間もなく、その場から李月の姿がなくなった。
「!?」
どこに行ったのか探そうと視線をずらした瞬間、目の前に琉生の顔が現れた。秋生が驚いて一歩身を引くよりも、琉生が秋生のみぞおちに拳を伸ばした方が早かった。
「っう!!」
みぞおちに衝撃を感じて、立っていられずその勢いに飛ばされる。華蓮のように空中で体勢を立て直すことなど到底できる訳はなく、そのまま床に倒れ込んだ。
「秋生!」
「桜生!」
華蓮と李月が叫ぶのが聞こえた。そして、桜生もいつの間にか自分のとなりで転がっていた。桜生も同じようにみぞおちに一撃を食らったらしく、腹部を押さえて顔を顰めている。
しかし、他人を心配している余裕もなければ自分の痛みに浸っている間もなく、再び琉生が秋生と桜生が倒れているところに一瞬でやってきた。
「兄貴……」
「兄さん……」
秋生と桜生が微かに呟きながら見上げる。
「……秋生、桜生」
自分たちの訴えに答えるように名前を呼ばれたかと思うと、琉生の目にふっと感情がともった。どこか申し訳なさそうな表情で笑った顔は、秋生と桜生の知る琉生そのものだ。
「俺は大丈夫だから、心配なんかするなよ」
琉生は秋生と桜生にしか聞こえないくらいの声で囁くと、今度はいつもの自信満々の表情で笑った。そして再び、今度は両手で秋生と桜生のみぞおちにそれぞれ拳を叩きつけた。
「!!」
さきほどよりも強い衝撃に、一瞬意識が遠のき声も出せずにうずくまった。
秋生は腹部に響く痛みをこらえて顔を上げたが、既にその場に琉生の姿はなかった。
「それに、僕はもうこれまでの僕とは違う……この子の力がなくても、お前たちなんか簡単に殺せる」
ステージの上でカレンがニタリを笑っていた。その周りに漂う瘴気は、この間会った時とは比べものにならないくらいどす黒く、そして多くの憎しみを秘めていた。
「でも…自由になった今では、君の全てを簡単に手にしてしまうのも惜しく感じるよ」
カレンから伸びる瘴気が、華蓮とそして李月に向かって伸びていくが、2人に届く前に止まり、そしてゆらゆらとまるで華蓮と李月をからかうように揺れた。
「今度会ったときは、本当に君の全部を奪うよ」
いつの間にか、琉生は再びステージに戻ってカレンを抱きかかえている。抱えられたカレンは琉生に愛おしそうに抱き付いてから、華蓮に向かってにやりと笑った。
「しばらくこの子と遊んでくるから、その間にみんなとお別れしておいてね」
カレンはそう捨て台詞を残して、琉生ともども闇に呑みこまれるように消えて行った。
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