Long story


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 華蓮はそこで待っていろと言ったが、漂ってくる瘴気が尋常ではなく心配になった桜生はこっそり見に行くことにした。侑と双月に止められたのを振り切って、桜生は割れた窓から外に出ると、そのまま浮遊して屋上に上った。

「わっ!」

 本当は策の外からこっそり顔を覗かせて静かに見ていようと思ったのに、屋上にいたものを見た瞬間に声を出してしまった。そのせいで、既に屋上にいた華蓮が振り返り、桜生の存在に気づいてしまった。

「待ってろって言っただろ」
「ご、ごめんなさい……」
「まぁいい」

 そう言って華蓮は視線を屋上にいるものに戻した。桜生は華蓮の近くまで行って、思わず息を呑む。
 何だろうこれは。多分、元は人間だったものだ。腕が二本と、それから顔がある。口が思いきり開いていて、中から瘴気があふれ出していた。しかしながら、本来人間にあるはずの下半身がない。胴体の真ん中で千切れてしまったらしいところから、口よりもさらに多い瘴気が放たれている。それがそのもの全体を包み込んでしまっていて、とても近寄れるような状態ではない。そしてそれは人間にしては随分と大きく、そしてあまりに醜かった。

「あれは…何ですか………?人間?」
「ああ。体を切断されたことで瘴気が溢れ、あらゆるものを引き込み肥大化したんだろう」

 両手を必死に動かし、まるで苦しいと訴えるように口を開き。もはや原型を留めていない目から溢れている瘴気は、まるで涙のように思えた。

「…苦しそう……泣いている……」
「あれにそんな感情はない」
「…でも……」

 感情がなくなってしまったのは分かっている。しかし、その光景は苦しんでいるようにしか見えない。苦しんで悪霊になってしまったのに、どうしてそれをさらに苦しめるようなことをするのか。
 桜生は既に人間の原型すらとどめていないものの無念を思うと、悲しくて仕方がなく思えた。だから、その姿をみていると涙が溢れてしまいそうになる。

「お前が泣いてどうする……」

 華蓮はどこかうんざりしたように頭を抱えた。
 確かに、感情もなくなってしまったような悪霊のために泣くのはおかしいかもしれない。でも、元々人間だったものは、望んで醜い姿になったわけではない。もしかしたら助かる道もあったかもしれない。桜生が李月に出会ったように。

「でも、あの人、きっと苦しいです…感情がないのは…分かるけど…」
「分かった。分かったから泣くな。俺が泣かしたと思われるだろうが」
「ごめんなさい……」
「お前の言いたいことは分かる」

 華蓮はそう言うと、どこか哀れむように蠢いている物体に視線を送った。華蓮が悪霊にそんな視線を送るのは意外だった。桜生が一緒に行動している中で、華蓮は全く容赦がなかったから、この学校から消し去ることができれば何でもいいと思っていたのだが。

「忌々しい」

 その言葉は、目の前の醜いものに向けられた言葉ではない。きっと、元々悪霊だった目の前のものを、こんな姿にした何かに向かって言っているのだ。華蓮の怒りに滲んだ表情を見て、桜生はそう思った。

「夏川先輩……」
「上にいろ。触れたら持って行かれる」

 体のない桜生が、あの体に触れたら一瞬であの中に溶け込んでしまうだろう。きっと、もう数えきれないくらいの霊たちが呑み込まれているはずだ。
 桜生が頷いて、屋上の給水塔の上に移動した。華蓮はそれを確認すると、再び物体に視線を戻した。

「これは酷いね」
「わっ!?」

 心配そうに華蓮を見ていると、突然隣から声がして桜生はビクッと肩を鳴らした。視線を向けると、幼い少年が腕組みをして華蓮と物体の方を見ていた。少年は桜生がその存在に気付いたことを知ると、顔を向けてふわりと笑う。

「こんちには」
「こ、ここここんにちは……」

 桜生は無意識に距離を置きながら挨拶を返す。
 その返答に再び笑った少年は、華蓮に似ているように思えた。桜生は華蓮の笑った顔など見たことがないのだが、どうしてそう思ったのかは桜生にも分からない。そしてもうひとつ、李月の中にいるあの子たちにもどこか雰囲気が似ていると思った。

「怯えなくても、取って食べたりしないよ」
「い、いえ…そんなことは……」
「って言ってる間にもどんどん距離が開いてるけど」
「え!あ…ごめんなさい』
「いいえ」

 そう言ってまた笑う。
 桜生はその笑顔に圧倒されながら、開いた距離を少しだけ詰めた。

「まぁでも、お腹が空いてるのは事実なんだが」
「え…!!」
「大丈夫。食べるのは君じゃあない」

 そう言って少年は華蓮の方に視線を向けた。
 まさか、この事態に便乗して華蓮を食べてしまおうというのかと一瞬思ったが、そうではない。よく見ると、少年の視線は華蓮ではなく、その前方にいるものに集中していた。

「あれを……?」
「あんなの食べたらお腹壊すかな?」

 そんなことは知らない。そもそも、あれを「食べる」なんて一体この少年は何なのだろうか。突然桜生の隣に現れたことから、明らかに人間でないことは分かっているのだが、見たところ霊というわけでもなさそうだ。それにそもそも、霊はあんなおぞましい物を食べたりしない。

「食べたら…あの人はどうなりますか……?」
「俺の血となり肉となるよ」
「苦しみから…解放されますか?」
「あはは。面白いこと言うね。あれに苦しみなんてあるわけない」

 それは先ほど華蓮も言っていたことだ。分かっている。
 でも、桜生にはあの物体が心の奥底で解放してほしいと訴えているように見えてならないのだ。

「亞希、無駄口叩いてないで降りて来い」
「もう、せっかちだなぁ」

 華蓮の言葉に「亞希」と呼ばれた少年は給水塔から滑るように移動して行った。どうやらそれが少年の名前で、華蓮の知り合いらしい。少年は降りて行くと、再び腕組みをしてまじまじと物体を見つめた。

「結構うまそう」
「気色の悪いことを言うな」

 華蓮はまるでゲテモノを見るような目で亞希を見た。
 しかし、亞希はその視線を気にすることなく、にこりと笑う。

「でも…今回はやめておこう」
「どういう風の吹き回しだ?」

 亞希の発言が相当意外だったようで、華蓮は顔を顰めた。
 すると、亞希はゆっくりと華蓮の周りを歩き出す。華蓮はその動きを視線で追う。桜生も同じように亞希の動きを目で追った。

「昨日飲み過ぎて胃が重いし…」

 亞希は立ち止まって腹をさすり、一瞬桜生の方に視線を寄越した。

「あの子の涙に免じて、消し去ってあげよう」

 そう言った瞬間、亞希はその場から姿を消した。桜生は辺りを見回すが、亞希の姿はどこにもない。
 次の瞬間、華蓮から赤黒い霧のようなものが立ち上り始めた。前にも一度見た。あれはたしか、初めて会った日に李月と喧嘩を始めたときだ。ただ、前に見た時よりも、色が濃いように感じた。

「あっ」

 また消えた。今度は華蓮まで消えた。桜生は目を凝らし、微かに残っていた霧の軌道を追って視線を動かしていく。霧の軌道のその先では、口にバッドが突き刺さったものが苦しげにじたばたと暴れていた。


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