Long story
旧校舎の体育館にやってきた秋生と李月は、その入り口に立った時点でほぼ同時に顔を顰めた。体育館を覆い尽くしてしまうほどの瘴気が充満している。周りにはその瘴気によってきた霊たちがうごめいていて、中には既に成仏させるには手遅れのものもいる。今の段階ではその大半がただの霊だが、放っておいたらすぐに少数の霊たちと同じように手遅れになるだろう。
「面倒そうで済むレベルかこれは」
「あの旧校舎の近くだから、悪化が早かったのかも……」
それは心霊部の部室のある旧校舎ではない。もう随分前のように思われるが、深月たちと一緒に図書室の舞姫の事件を解決したときに入った旧校舎だ。この体育館は華蓮ですら毛嫌いしているあの旧校舎のすぐ近くに位置している。そのため、旧校舎の悪い気を取り込んで悪霊の悪化が進んだのかもしれない。
「随分と酷い校舎だな。あれじゃあ、取り壊すこともできない」
秋生が旧校舎の方を指さすと、李月はそれを見ながら顔を顰めた。
「取り壊せないんすか?」
「壊し終わる前に工事の人間が全員死んでもおかしくないくらいだ」
だからあそこはあんなに不気味なのに、手つかずで残っているのか。
秋生は前に疑問に思ったが、ようやくその疑問が解消された。
「そういえば、先輩も近寄りたくないって言ってたな……」
「だろうな。あの中に何があるのかさえ知りたくもない」
華蓮と全く同じようなことを言っている。言うと絶対に怒るだろうが、本当に似た者同士だ。
「でもこれ、多分あっち行きますよね」
「ああ。そうなると最悪だな」
李月はそう言って、体育館の入り口の扉に手を掛けた。そこには「押」と書かれたステッカーが貼ってあるが、李月が引いてもびくともしないようだ。この体育館の鍵は南京錠のはずだから、それが掛っていれば分かるはずだ。しかし、南京錠はない。
「中からの圧がすごくて開かないとか…?」
「面倒臭ぇな」
苛立った様子でそう呟いた李月は、いつものように刀を取り出してまるで容赦なく振り上げた。他に策を考えようという概念はないのだ。一瞬で扉は跡形もなく消え去る。
顔さえ見なければまんま華蓮だなと思いながら、秋生は開け放たれた入口から飛び出してきた強烈な瘴気に顔を顰めた。
「酷い臭いだ……」
李月は刀を持っていない方の腕で口元を覆いながら足を踏み入れた。秋生も後に続く。既に使用していないこの体育館は昭和の趣を思わせた。床は歩くとみしみしと音がするし、所々に穴が開いている。これは下手に歩くと今は抜けていない床も抜けてしまいそうだ。
「わっ!」
あちこちを眺めながら歩いていたら、李月の背中にぶつかった。
「前を見て歩け」
「すいません……」
そもそも急に立ち止まる方も悪いのでは、なんて言葉は李月の背後から前方を覗いた瞬間に喉の奥に引っ込んでしまった。
体育館の前方にはステージがある。一般的な体育館と、何ら変わりのないステージだ。ステージの用途と言えば、一番多く使われる機会は全校朝礼での校長の無駄な演説だろう。次に卒業式や入学式の式典で、それから文化祭などにも利用される。どれをとっても利用するのは人間であるわけだが、今ステージを利用しているのは明らかに人間ではない。あれを利用していると言っていいのかも分からない。
「何……あれ………」
上半身が切れたトカゲのダンス?そんな馬鹿な冗談を言っている場合ではない。ステージの上で蠢いているあれは、ダンスをしているわけでも演説がしたいわけでもない。ただ、ただ蠢いている。四肢の半分――体の半分から上が完全になくなっているが、あれは何かの生き物だ。覆っている瘴気が凄すぎて、元々が四足歩行なのか二足歩行なのかも判別が出来ない。半分だけのそれは、もう半分の切断面から物凄い瘴気を放っている。
「人間だ」
「人間……あれが…?」
大きさからして、人間の範疇を超えている。軽く3メートルはあろうかというくらいの大きさだ。そんな人間がいたら、どこかで記事なっているだろうから上半身がなくても身元を特定するのは簡単だろう。もっとも、特定したところで何の意味もないだろうが。
「元々はそうだったものだ。色々なものを吸いこんで中で瘴気が充満していたところを…無理矢理切断されて肥大化したんだろう」
「誰がそんなこと…。でも、切断なんかしたら消えちゃうんじゃ……?」
普段から華蓮がバッドでぶった切ったものは消えてなくなってしまう。先ほどの李月が真二つに切ったものも、一瞬で消えてしまった。
「やろうと思えばできなくはない。普通はしないが」
それはそうだ。悪霊を真二つにして挙句に生きて残しておくなんて――生かしておくという言い方は少しおかしいかもしれないが、とにかく意味が分からない。
「あれ……苦しいんですか?」
「あいつらにそんな感情はない。…だが、もしあるとすれば…死ぬほど苦しいはずだ」
「許せない……」
誰だってなりたくて悪霊になるわけではない。悪霊になるだけでよほど苦しんでいるはずなのに、それをさらに苦しめるなんて。
華蓮たちが容赦なく切り捨てているのも褒められたものではないが、少なくともその魂がもう苦しむことはないのだからまだマシだ。それに、華蓮も李月も、もう手遅れだと分かっているものしか切り捨てていない――と信じたい。
「悪霊に同情か……面白い奴だな」
「だって…あんなの酷いじゃないですか!」
「騒ぐな。別に同情するなと言っているわけじゃない」
「え……」
李月は秋生と会話しているが、その視線はずっと蠢いているものの方を見ていた。全く微動だしない。しかし一瞬刀を握る拳に力が込められたような気がした。
「確かに、胸糞悪い」
そう言うと、李月はゆっくりと一歩前に踏み出した。その瞬間、李月の刀から瘴気とは違う黒い気が舞い上がる。最初に会った日にも見た、不気味な気だ。
「李月さん……?」
「外…は返って危ない。…そこの角にいろ」
一瞬振り返った李月の眼は赤いような、橙のような色だった。睨まれたわけではないのに、一瞬で背筋が凍るような感覚に襲われる。
中に何かいる。秋生はとっさにそう感じ、そして一歩後退りをした。
「あ、は……はい」
秋生は返事を返してから、李月から指摘された角に移動した。
たしか、李月の話を琉生から聞いた時に言っていた。李月は何かと契約したと。あの眼はその契約した何かの眼だ。そしてそれは李月の中にいる。秋生の中に良狐がいるように。しかし、良狐と決定的に違うのは、李月の中にいるものはこの瘴気の中でも出てこられるほどに力が強いと言うことだ。
「八都………出て来い」
李月が低い声で呟くと、刀からぬうっと首のようなものが伸びてきた。蛇のような、恐竜のような見た目をしている。李月から黒い気を放っている正体だ。
「食べていいの?」
八都(やと)と呼ばれた蛇のような頭は、見た目にそぐわない幼い喋り方で李月に話しかけた。なぜだろう。どこか、華蓮の家の縁側にいる少年に印象が似ている気がする。
「あんなもの食べるんじゃない」
「じゃあどうするの?」
「消し去る」
そう言った瞬間、李月がその場から消えた。刀から出ていた頭も、もちろん刀も一緒に消える。目で追うことができなかった秋生は、とっさに李月から発生している黒い気を追った。すると、李月はステージの上に蠢いているものに刀を突き刺していた。
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