Long story
加奈子を遊ぶ約束をしていたのに、応接室に戻った頃にはもう日が暮れかけていた。下校時刻すれすれだ。もしかしたら、華蓮は既に帰っているかもしれない。それならばそれでいいが、そうなると加奈子は怒り沸騰に違いない。
秋生はそんなことを考えながら応接室まで戻って来、そしていつもと同じようにプレートが落ちないように気にしながら扉を慎重に開けた。
「うわッ!」
扉を開けた瞬間、目の前にバッドが飛び込んできて秋生は間一髪でバッドを避けた拍子に後ろに転び、尻もちを着いた。
「ちょっと先輩!何するんすか!」
あのバッドの振りかざし方からして、あたっていれば確実に鼻の骨は折れていた。それどころか、打ち所が悪かったら死んでいたかもしれない。
「お前、何をしてきた」
「何って…もう一方の旧校舎の図書室に」
「馬鹿か貴様は」
密会調査に行った、と言う前に華蓮の罵倒が頭から降ってきた。目しか見えないが、その目を見ただけで怒っているのが分かる。
「何かいるんすか、あそこ」
「知らん」
「え」
「だが、あの校舎は近寄ることも憚られるほど気色が悪い。その時点で近寄ってもろくなことにはならないと分かるから、近寄らない。だから、何がいるのかも知らない。知りたくもない」
華蓮はそう吐き捨てて、それから溜息を吐いた。華蓮にそこまで言わせるということは、どうやらあそこは相当やばい場所だったらしい。生きて帰ってこらえてよかったと、秋生は今さらながらに思った。
「だが、貴様のせいでその知りたくもないものの一部を知る必要ができた」
「俺に何か憑いてるんすか…?」
「さっきまではいたけどー、もういない。てことはー、秋に憑いてるわけじゃないみたいだね」
「よかった…」
華蓮の後ろから加奈子が顔を出した。キョロキョロと辺りを見回してからうなずいて見せる。その言葉に、秋生は少し安心した。
「よかない。貴様に憑いてる方がよっぽどましだ。アレは元々あの旧校舎から出られなかったのが、お前の力を利用することで外に出ることができるようになった。アレが誰に憑いているのかは知らないが、お前のせいで狙われている奴が危険になったということだ」
「えっ……」
自分に憑いている方がよかったと言われた瞬間は何て薄情なんだと思ったが、その先の説明を聞くと、秋生も華蓮と全く同じ意見だった。
秋生に憑いているのなら、その場で消してしまえば問題ない。しかし、秋生から離れて本当の獲物の元へ行ってしまった今、探すすべはない。そして、そうしている間にも本当の獲物が危険に晒されているということだ。
「それに、秋がついてこられていることに気付かなかったってことは、相当強い力を持ってるってことなんだよね」
「どうだろうな。この屑があの旧校舎の邪気にやられて、力が弱くなっているという可能性もある」
サラッと屑認定。全く酷い言い草だが、秋生は何も言い返せない。自分のせいで本来出ていくはずのない者が出ていき、知らない誰かを危険に晒した。その上、標的を探すための自分の能力も使い物にならない。いくら幽霊に何でも話させることができても、標的を見つけられなければ意味がない。よって秋生は今、何の役にも立たないということだ。屑認定されてもしょうがない。
「秋、点で役に立たないのね」
「加奈にまで屑認定とか、俺って一体……」
華蓮に言われるのはともかく、こんな小さい子供にまで役立たずと言われてしまっては当分立ち直れそうにない。秋生は深い溜息を吐きながら頭を抱えた。
「落ち込んでいる暇があったら、旧校舎に入ってから出るまでに行った行為と見たものについて一切の洩れなく説明しろ」
「はい」
応接室の入り口に立ちはだかる華蓮に見据えられた秋生が「とりあえず、中に入りたいです」など言い出せるはずもなく。廊下に尻餅をついた状態のままで華蓮に事の経緯を説明した。
まずは旧校舎の図書室に行くことになった理由。図書室に入る前、そして入ってからも感じた不快感。深月は監視カメラをセットし、秋生は春人とともに証拠探し。目についたカウンターに置いてあったボックス。加速した不快感。ボックスの中に入っていた13枚の『舞姫』。借りていた人物は女性。春人は『舞姫』とその人物について詳しく調べることにした。そして旧校舎を出て応接室に戻り殺されかけたところで説明は終わり。
「確実にその図書カードだな。お前が何も見つけられなかったのは旧校舎の邪気にあてられていたからだろう。もし図書カードに縛られているなら、それも一緒に始末しなければいけないということか。全く忌々しい」
そう言うと、華蓮はポケットの中からスマートフォンと取り出した。どこかに連絡をしているのか何かを調べているのか。連絡をする相手がいるとも思えないが、何かを調べるようなタイプとも思えない。
「あの…俺、図書カード取ってきます」
「貴様は救いようのない馬鹿だな。お前が行けばまた余計なモノを憑けてくる可能性があることが分からないのか」
「あ、そっか」
「……」
華蓮は呆れて物も言えないというようは表情を浮かべてから、溜息を吐いた。本当に言葉はない。その代わりに再び秋生に向けられたのは蔑みの眼差しだ。完全に愛想を尽かされたようなその視線を浴びることは、怒りの眼差しを向けられるよりも、ダメージが大きかった。
――下校時刻になりました。まだ校舎に残っている生徒の皆さんは、速やかに帰宅してください――
秋生がダメージをもろにうけていると、チャイムが鳴ると同時に下校時刻を知らせる放送が続いた。今応接室の窓から校門を覗けば、部活動で残っていた生徒や、勉強のために残っていた生徒、用事もないのにぐだぐだと残っていた制度が一斉に帰宅していることだろう。
「帰れって言ってるけど、どうするの?」
「このまま放って帰って死なれでもしたら洒落にならん」
「でも…秋の力が役に立たない今、当てもなく探してもしょうがないんじゃないの?秋がどれほどの影響を与えたかは分からないけど、学校から外に出て行ってる可能性だってあるんじゃないの?誰を狙っているか分かれば探しようはるかもしれないけど……」
加奈子は困ったような表情を浮かべている。秋生は完全に蚊帳の外だ。いつもは今の加奈子の立ち位置に秋生がいるはずなのに。屑認定された今秋生は加奈子以下は当たり前、もしかしたら華蓮の中ではゴキブリ以下かもしれない。そう思うと、とても口を挟む気になれなかった。
「多分、獲物も憑いているものもまだ校内にいるだろう。獲物もそれがいる場所も大体見当がついている」
「え、そうなの?…どうして?」
「図書カードに書かれている本が舞姫だったと言っただろ」
「先輩…、舞姫の内容知ってるんすか?」
もしかして、先ほどスマートフォンで調べていたのはそれだったのだろうか。
「中学の時に教科書に載っていただろう。俺にはあれのどこが教科書に載るほどの名作か到底理解はできない。今思い出しても胸糞悪い」
この口ぶりからして、先ほど調べて知識を得たわけではなさそうだ。しかし、今の発言は世界中の森鴎外ファンを敵に回すに違いない。秋生は華蓮の代わりに心の中で森鴎外ファンに謝罪しておくことにした。失礼なことを言ってすいませんでした。
「どんな内容だったんですか?」
と、聞いてみるものの。華蓮はまるで聞こえていなかったかのように再びポケットからスマートフォンを取り出した。そしてしばらくそれを見つめた後、ようやく秋生の問いの答えが返ってきた。
「そんなことはどうでもいい。新聞部に行くぞ」
「新聞部?」
華蓮は秋生の質問には答えず、代わりに手を差し出した。
「さっさと立て」
「あ…はい」
秋生は華蓮の手を借りて立ち上がった。なんだかんだ優しいから、どれだけ高圧的な態度をとられても屑認定されても嫌いになれない。アメとムチが上手いということだろうか。
「私はここで待ってていいの?また戻ってくる?」
「お前も来い。今は秋生よりお前の方がまがいなりにも役に立つ」
「ほんとにッ?やったー!」
「ただし、俺が何か問いかけるか、妙な気配を感じた場合を除き新聞部の連中がいる前で口を開くな。ややこしくなる」
「分かった!」
加奈子はすこぶる嬉しそうで、飛び跳ねるように上下に移動した。この無邪気な子供よりも役に立たない秋生は、加奈子の代わりに留守番を命じられるのではないかと若干冷や冷やしたが、幸い華蓮から留守番を命じられることはなかった。
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