Long story
リビングの扉の前までいくと、ギターの音に加えて声が聞こえてきた。華蓮の声だ。どうやら李月のギターで華蓮が歌っているらしい。歌っているのは、ドラマの主題歌になる「愛執」だ。秋生は前にも聞いたが、前と少し変わっている気がする。
「やばいな」
「やばいね」
秋生と桜生は同時にそうささやいて顔を見合わせた。
自分の顔が目の前にあることにまだ慣れないのに、その上同じ感情で同じ表情を浮かべていたら尚慣れない。
「これ…華蓮って人でしょ?」
「うん。でも、名前呼んだら怒るぞ」
「じゃあ何ていうの?」
「俺は先輩って呼んでるし…春人は夏川先輩、侑先輩はなっちゃん、深月先輩と双月先輩は夏、双月先輩の世月先輩バージョンは…」
「多い、多いよ。僕はじゃあ…夏川先輩って呼ぶことにする」
「そっか」
秋生の説明を途中で遮った桜生は苦笑いを浮かべた。
ただ、華蓮は桜生の先輩ではない。まぁ、桜生がそう呼ぶというなら秋生は止めないが。
「あれ…でも待って…ってことは、今歌ってるのがヘッド様…?」
「そうだよ」
「初めて聞いた!」
「公共の場で歌ったことないから。多分、ファンで聞いてるのは俺と桜生だけ」
秋生がそう言うと、桜生は何度目かの驚愕の表情を見せた。
「すごいだろ」
「すごい!」
秋生が笑うと、桜生も笑う。
それから2人は、廊下の壁に凭れて座った。秋生は持ってきた掛け布団を膝に賭ける。元々その予定で来たのだ。
抜かりはない。
「僕…、秋生と過ごした日のこと、忘れたことないよ」
ふと、桜生が遠くを見ながら呟いた。リビングから聞こえてくる曲が、聞いたことのない明るい曲に変わっている。
「いっつも一緒だったね」
「ああ」
「秋生は悪さばっかりして、僕は何にもしてないのに怒られるのは一緒」
「…ごめん」
秋生が申し訳なさそうに言うと、桜生はニコリと笑った。
「あの時は何で僕ばっかりって思ってたけど。…でも、僕の体が持って行かれて…それで、僕ずっと叫んでた。僕が悪くなくても一緒に怒られるから、僕を秋生ところに戻してって。あいつの心の中で…ずっと叫んでた」
「桜生…」
「その声を聞いてくれたのが、いつくんだったの」
桜生はリビングと繋がっている扉のすりガラスに視線を移す。陽気な曲がとぎれとぎれに聞こえてくる。何度も弾きなおしているようだ。
「いつくんと一緒にいると、秋生といたときみたいに笑えるようになった。でも…秋生と過ごした日のことは忘れたことない」
「俺も同じだよ。忘れたことはない……」
ずっと待っていたのだ。忘れたくても忘れられないし、忘れようと思ったこともなかった。
「だから僕、今すっごく楽しくて、すっごく嬉しい。また秋生とこうして一緒にいられるだけで、何しても楽しいし、嬉しいの」
「喜ぶのは、体が戻って来たからにしろよ」
秋生がそう言うと、桜生は困ったように笑った。
「…そうだね」
「でも…俺も今、すっごく楽しくて、すっごく嬉しい。おまけに、桜生が同じ気持ちだって知って、もっと嬉しい」
秋生が言うと、桜生は笑顔で秋生に近寄ってきた。触れることはできないけれど、感じることはできる。喋ることもできる。今はこれだけで十分だ。いつか、体が戻って来たら、もっと楽しくなるし嬉しくなるのだろうと想像できるから、それだけで幸せだ。
「このまま寝れそう」
「僕も寝そう」
耳に心地よいギターの音が、眠気を誘う。今日は寒くもないし、寝てもいいように布団も持ってきている。隣で桜生が先に目を閉じたので、つられて秋生も目を閉じた。と思った矢先にギターの音が止まった。
「やばい」
「やばい」
先ほどとは違う意味で呟いて、顔を合わせる。
すぐさま立ち上がろうとしたが、それよりもリビングと繋がっている扉が開く方が早かった。
「秋生、何をしている?」
「桜生も」
華蓮と李月がリビングから顔を出した。表情から察するに、機嫌がいいとは言えなさそうだ。
「あ、えっと…、宇宙との交信?」
「馬鹿か貴様は」
「はい、すいません」
華蓮に睨まれた秋生はびくりと肩を鳴らした。
「じゃあ、僕は下界との交信…」
「桜生」
「ごめんなさい」
隣で似たような光景が広がっている。
秋生と桜生は共に身を寄せながら立ちあがり、華蓮と李月に距離を置くように一歩下がった。
「あの…ごめんなさい。僕が…秋生を起こしたから」
「いや、来ようって言ったのは俺で…」
身を寄せ合いながらかばい合っていると、華蓮と李月がほぼ同時に溜息を吐いた。
機嫌がよろしくない表情から、呆れたようなそれに切り替わる。
「入るか入らないか、どっちだ」
華蓮がリビングの扉を開けた。
秋生と桜生はまた顔を見合わせて、揃ってリビングの中に足を踏み入れた。
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mokuji
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