Long story
すっかり忘れていたことがあった。
昼間の賑やかさが嘘のように静まり返った家の廊下を歩きながら、華蓮は頭を抱えていた。本当なら寝ている時間――丑三つ時に、なぜギターと歌詞を持ってリビングに向かわねばならないのだろう。その答えは出ているが、一度寝る気になった頭はそう簡単に納得してはくれない。
ずっと放置だった作曲の締め切りが明日に迫っていることに気付いた華蓮は、慌てて布団から飛び起きてギターを手に取った。しかし、一度寝かけていた頭が覚醒するのは至難の業で、このまま部屋にいたら多分寝ると確信してリビングに移動することにしたのだ。
この頭の回転具合だと、徹夜確定だ。そう思うだけで嫌になる。睡眠時間を奪われることが大嫌いな華蓮は、心の底からため息を吐いた。
「……何してる?」
リビングの扉を開けると、ダイニングの椅子に李月が腰かけて頬杖をついていた。隣に桜生はいない。多分、今頃秋生と一緒に寝ていることだろう。
李月は何をするでもなく頬杖をついてぼうっとしており、パッと見た限りではその辺の地縛霊と変わりない。
「宇宙との交信」
せめてもう少し冗談っぽく言えばいいものを、真顔で言っているとキチガイと思われてもしょうがない。
しかし、華蓮は李月が本当は何を考えていたか大体見当は付いているので、それを本気だと受け取ることはないが。
「気でもふれたか」
華蓮は澄ました顔でそう返してから、自分の定位置であるソファに腰かけた。ガラステーブルに歌詞をぶちまけ、さてどれから手を出そうかと考える。しかし、どれにしてもすんなりと曲が出来上がってくれそうにない。楽そうなのから先に済ましていったのが間違いだった。
「こんな時間から曲作りか…ご苦労なことだな」
「好きでやってるわけじゃない」
半ば強制的にバンドに入れられ、半ば強制的に曲を作らされているのだ。
「どこが。楽しそうにギター弾いてるくせに」
「お前が俺にギターの弾き方なんか教えるからだろ」
「習う方が悪いんだろうが」
「若気の至りだ」
「それでも、割と楽しそうにしてるだろ。…双月も」
最後の一言で、華蓮は言い返すのをやめた。
ここで李月がずっと頬杖をついていたのは宇宙と更新していたからではない。ずっと双月のことを考えていたからだ。そんなことは考えなくても容易に想像が出来る。
「だから、きっともう俺の言ったことなんて忘れてるだろうと思ってた」
「忘れるわけがないだろ。あいつが」
華蓮はギターを抱えながら李月に返す。
双月の性格は李月もよく知っているはずだ。それを考えれば、ずっと思い込むことくらい分かるだろう。
「俺が忘れていて欲しいと思っていた」
「自分勝手な奴だな」
「うるさい」
そんなことは自分でもよく分かっている、と言った口ぶりだった。
いつもならこんな返し方をされたら苛立つ華蓮も、李月があまりにも意気消沈しているのでそんな気にもならなかった。
「双月に言った言葉は、本気だったのか?」
華蓮はその場にはいなかった。しかし、あの時の双月は見るに堪えなかった。
深月は「お前も似たようなものだった」と言っていたが、自分はあそこまでどん底に落とされたとは感じていない。
華蓮には復讐があった。恨む標的がいた。しかし、双月にはそれがいなかった。それどころか、その標的が双月本人に向いてすらいた。
「確かにあの時は本当にそう思った。今でも時々、思うときもある。だから、あの時の言葉を嘘だったとは言えない。でも、双月のせいだとは思ってないし……傷つけたかったわけじゃない」
「ならそう言えばいいだろ」
「今更そんなこと言って…何かが変わるのか?」
「知ったことか。そんなことは双月に聞け」
「…正論だな」
それっきり2人に会話はなかった。華蓮は作曲に取りかかり、李月は再び宇宙との交信と言う名の物思いにふけったからだ。リビングには華蓮のギターの音だけが響く時間がしばらく続いた。
その沈黙が破られたのは、華蓮が以前に作曲済みだった「愛執」を奏でたときだ。華蓮は秋生の前で歌ったとき、なんとなくこの曲に違和感を覚えていた。だから、手直しをしようと考えていたのだ。
「…何だその、恨みつらみの籠ったような曲は」
華蓮が一曲引き終わると、李月が顔を顰めていた。歌詞を歌ったわけではないのに、そんなに危ない曲だっただろうか。
「ドラマの主題歌。…あらすじ」
華蓮はソファに座ったまま、ドラマのあらすじが書かれた紙を手にしてかざした。すると、李月がダイニングから立ち上がって、ソファまでやってくるとその紙を受け取り背もたれに座って眼を通した。
「こんなドラマ作ろうとする奴の気がしれない」
「同感だ」
秋生たちは興味を持っていたようだが、こんな女の恨みを触発させるようなドラマを作って世間をどうしたいのだろう。
全国の女をストーカーにしたいのか。
「楽譜」
「そこにある」
華蓮がそう言うと、李月が手を伸ばして楽譜を手に取った。
そして一瞬で顔を顰めた。
「…歌詞もすさまじいな」
「女たちの実体験をリサーチした結果だ」
「お前やっぱり結構楽しんでるだろ?……ちょっと貸せ」
「は?…おい」
李月は華蓮が持っていたギターを奪うように取り上げた。
華蓮が睨み付けるが、李月は全く気にもしない様子で調整し、それが終わったら華蓮に視線を向けた。
「今からそれを弾くから、歌え」
「断る」
「さっさと違和感を解消して次に行きたくないのか?」
華蓮がこの曲に違和感を抱いていたように、李月もそうだったらしい。今のところ華蓮にこの違和感の解決策はない。
李月がそれを解決してくれるのなら、ここは乗らない手はない。どっちにしても、いずれは全国ネットで流れることになるのだ。
「ぞっとする」
「自分の作った曲にか」
「そうじゃない」
自分の歌声が全国ネットで流れるなんて、ぞっとする。
もとはと言えばそれも李月のせいだと言えなくもないが、それは責任転嫁というものだろう。華蓮もそこは分かっているので、自重して素直に歌うことにした。
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mokuji
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