Long story
状況は最悪だ。来るときは2時間で済んだのに、これはもう絶対2時間どころじゃない時間が経過している。それなのに、まだ山から下りられないどころか、全く進んでいる気もしない。辺りは瘴気に覆われていて、それだけでなく侑たちを標的に色々なものが襲いかかってくる。
だから言ったのだ。降りるときくらい通路を開けてくれてもよかったのに。飛縁魔は侑の苦労も知らずに頑なに開こうとしないものだから、ついつい「くそばばあ」と言ったら即刻追い出された。他の妖怪たちが色々持たせてくれようとしていたのに、結局手に持っていたのは目的のものだけ。他の妖怪たちからの餞別があれば少しはこの状況もマシだっただろうに、あの時の自分の浅はかさを恨む。
「……家を出てどれくらい経った?」
「まるっと6日」
「ああー、聞くんじゃなかった」
侑の体感的には精々1日2日だろうと思っていたのに。どうりで苛々が収まらないわけだ。
夜には戻ると言っておきながらこんなに長いこと戻らないと、みんな心配しているだろうか。それとも、気にも留めずに日々を過ごしているのだろうか。
深月は、侑のことを待っているだろうか。
「だめだ。考えたら禁断症状が!!」
考えないようにしていたのに。
ふと考えてしまうと会いたくて会いたくて仕方がなくなってしまう。深月がどう思っていようと、侑は深月に会いたくて触れたいのだ。迷惑がられても、それを許可したのは本人なのだから侑の知ったことではない。それに、迷惑そうにしながらもどうせ拒まない。侑はそんな深月にいつも甘えている。
それなのに、もう丸6日も触れていないどころか声も聞いていない顔も合わせていないなんて。考えただけでぞっとしそうな状況に陥っていると理解するとまたぞっとする。
「何言ってるの?」
「多分僕、1日1回深月に触れないと死ぬ病気だと思う!!」
出会ってから毎日どこかでかならず顔を合わせていた。そしていつしか毎日触れるようになっていた。それが当たり前になってから、こんなに長い間会わなかったことが無かったので意識したことはなかったが、どうやら自分は重度の依存症らしい。
「そういうのを人間の言葉でぞっこんらぶって言うんだよ」
「誰から教えてもらったの?」
「影女。よく街に出ては男の家に住みついているから、人間の言葉もお手者もなんてだって」
「それはいいけど、教えるならもっとまともな言葉を教えればいいのに…」
影女は一人暮らしの男の家に現れる妖怪だ。特に何をするわけでもないが、本人いわく一人暮らしの男の私生活を眺めるのが好きらしい。とんだ変態ストーカー女だと思う。
とはいえそれが性分なのだから、飛縁魔も勝手に出歩くことを容認しているのかもしれない。
「今はがしゃどくろといい感じなんだよ」
「……な、なんか凄い組み合わせだね」
「でもがしゃどくろ、この間からいないの」
そう言われれば、家に帰った時にがしゃどくろの姿は見なかった。
かなり目立つ容姿をしているから、いれば一番最初に見つけてもおかしくはないはずだ。
「がしゃどくろが出かけるなんて珍しいね」
「うん、それで影女は暇なんだって。私も滑り台ごっこできなくてつまんないから、よく二人でお話しするの。影女は物知りだから、色々教えてくれるよ。飛縁魔には下らないことを覚えるなって怒られるけど」
その点に関しては飛縁魔に同感だ。
ぞっこんラブくらいなら可愛いものだが、今はがしゃどくろに入れ込んでいるとはいえ、これまで散々男の一人暮らしを覗いていたのだから基本的にろくでもない言葉ばかり覚えているに違いない。
「侑も気を付けないと。深月にぞっこんらぶなんてあのばばあに言ったら、引き離されちゃうよ」
「言わないよ」
「でも苛々してたから、くそばばあなんて言って追い出されたでしょう?」
「……それを言われると、返す言葉もないけど」
苛々する。とにかくにも苛々する。
寝ても覚めても苛々するのに、これほど瘴気に覆われてわけのわからないものに襲われていたら寝ることもままならない。だから余計に苛々するのだろうか。
座敷童は寝なくても大丈夫なので平気そうな顔をして隣にいるが、侑はそうはいかない。いくら能力が使えるからといっても媒体は人間だ。寝不足は体力を低下させるし、疲労が蓄積されれば動きたくなくなる。寝ずに走るが6日も続けば、何もかも嫌になってしまいそうにもなる。いや、もうすでに限界は超えている。
「座敷童」
「何?」
「君の力を使えば山を下りられるかな?」
「分からない。私の力はこの状況で出来る範囲の幸運を促すだけだから…」
そう言って座敷童は辺りを見回した。
四面楚歌。ここで幸運を促してもそれは死までの時間を延ばすだけかもしれない。もしかしたら一瞬で山を下りられるかもしれない。
「使って」
「飛縁魔に怒られちゃう」
「ここでわけわかんないのに呑まれて死ぬよりましだよ。僕が使わせてるんだから、怒られるのは僕だ」
座敷童の力は特別だから、本当は私利私欲に使ってはいけないことは分かっている。だからこれまでずっとそのことを口にせずにきたのだが。これ以上はもう無理だ。逝けど戻れどひたすらに迷宮。このままでは助かる見込みはない。それならば、仮に怒られることを覚悟して、山を下りられなくても最悪家に帰ることができれば上々だ。
「分かった」
座敷童とて、状況が思わしくないことは把握しているのだろう。
もう少し嫌がるかと思ったが案外あっさりを頷いた。そうすると、座敷童は侑に向かって両手を広げた。
「…はい、終わり」
「終わり?」
座敷童は両手を広げただけで、侑が特に何か変わった様子はない。辺りを見ても相変わらず瘴気といやなものたちがうごめいている。
「うん、終わり」
「そう……。ありがとう」
これはもしかしてもしかすると、延命パターンだろうか。状況は一向に回復しないまま、無駄に生命力だけ伸びてのたれ死ぬまでの時間だけが伸びてしまったパターンだろうか。もしそうなら、それはもう幸運とは言わない。
「侑…何か来る!!」
「え?……もう、一体どこら辺が幸運なの!?」
座敷童の指差す先に、ひときわ目立つ瘴気を放っているものが立っている。山の中には似つかわしくない、セーラー服を靡かせたその姿。侑は初見だが、その容姿がよく知っている人物にあまりにそっくりだったことから、それが誰かを把握することは容易だった。
「僕の忠告を無視して動き回るなんて、肝が据わっているんだねぇえ」
ねっとりとした喋り方が気持ち悪い。
ニヤリと笑う顔にはまるで生気が帯びていない。穴の開いたような眼は、今にも吸い込まれてしまいそうだ。
「お褒めの言葉をどうも。僕に何か用事かな」
「僕の忠告を無視して山に登ったみたいだけど…収穫はそんな子ども一人かい?」
カレンは座敷童を指さしながらクツクツと笑った。話す気があるのかないのか。少なくとも侑の問いには答える気がないらしい。
侑が少し呆れていると、それを聞いた座敷童が苛立った様子で一歩前に出る。
「そんな子どもってどういう意味よっ」
「座敷童、黙って」
侑が制すと、座敷童は不満げに口を閉じた。
「悪いけど、僕はお前といたちごっこしてるほど暇じゃないんだ。さっさと山から下ろしてくれるかな?」
「僕だってそんな気はないよぉ。だからわざわざ出て来たんじゃないかぁ」
語尾がいちいち粘っているのがうざったくてたまらない。春人も時々似たような喋り方をするが、それとは違う。執拗に苛々する喋り方だ。
「出てきてどうするの?僕を引き込もうたってそうはいかないよ」
「そうだねぇ。君たちの絆は強すぎるから、それは無理だろうねぇ。でもねぇ、僕はどうしても華蓮の持っているものがぜーんぶほしいんだぁあ」
突風が吹いた。先ほどまでとは質の違う瘴気の混じった風が辺りを包む。侑はとっさに座敷童の鼻と口を覆った。頭がくらくらする。吐きそうだ。
「どういう意味…?」
「そのままの意味だよぉお。僕は華蓮の持っているものがぜぇええんぶ欲しい。お父さんとお母さんは上手にできたけど、もう上手に手にしなくてもいいのぉぉ」
上手に。それは一体どういう意味を示しているのか。
カレンは侑を見据えて、ニタリと笑った。
「それがどんなカタチでも、もう構わないんだぁ。ぜぇええぶ手にして華蓮に見せてあげたらぁ、きっと喜ぶでしょう?」
その言葉が、侑にカレンの言いたかったことが理解させた。
刹那、ぞわっと寒気が体中を駆け抜けた。やはりもう、人間の魂の領域を超過している。
逃げなければまずい。侑はその眼を見た瞬間にそう思い、座敷童を脇に抱えた。
「君の思い通りになんてならないよ」
侑はカレンを睨み付けながらそう吐き捨てて、出来る限りの力で高く跳んだ。
「逃がすわけがないでしょうぅう」
「!!?」
横から叩きつけられたような感覚に、侑は脳がぐらりと揺れるのを感じた。何かに体当たりされた。それを認識したときには既にバランスを崩すどころか、そのまま体がどこかに投げ出されてしまった。すぐに体勢を立て直そうとしたが、瘴気に当てられたせいか上手く体を動かすことができなかった。
本当に、何が幸運だろうと思った。
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mokuji
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