ギリギリと段々力の籠もる手をぼんやりと見つめながら、手の持ち主の顔にそっと手をやる。


「う…あ…」


別に言葉を発したい訳ではないのに、私の脳は往生際が悪く空気を取り入れようと勝手に口を開ける。


「なまえ?苦しいの?」

私の伸ばした手に頬を擦り寄せながら、狂喜に満ちた瞳を輝かせ綺麗な銀髪を揺らす。


「でも、俺のほうが苦しいの分かるだろ?」


分からない分からない

でもそんな言葉も発せなくてただうめき声のようなものしか出てこなかった。


「お前が他の男と喋ってんの見るとさァ、俺の息止まっちまうんだよ。」

銀八はこんな風に、と笑いながら益々私の首にかけた手に力を籠める。
と思ったら眉を下げて悲しそうに私を見つめて

「苦しいだろ?分かるだろ?」

「…頼むよ…。」


弱々しい声で私に頼んだ。


「ぎ……ぱ、ち」


私が潰れたような声で必死に銀八の名を紡ぐと銀八はハッと慌てて私の首にかけた手をのけた。



「っぐ…げほっげほ、」


途端に肺に一気に空気が流れ込んできて、咳が止まらなくなる。

泪目になりながらふと銀八に目を向ければ、先程とは打って変わってあたふたとしていた。


「わ、悪ィ、俺…」

「っ、けほ」

「だ、大丈夫か!?」

私がまた一つ咳をすれば慌てて近寄り背中をさすってくれた。


「だ、いじょぶ」

少し掠れる声でなんとか返事を返せば、銀八は辛そうにギュッと顔をしかめた後力一杯私を抱き締めた。


「悪ィ…本当に俺、」


本当に力一杯、体が折れそうなほど抱き締められてまた一瞬息が止まる。
でも銀八の謝り続ける声も触れ合う体も信じられないくらい震えてたから、じっと我慢していた。



「本当に、ごめん。」

「…も、大丈夫。」


時間が経って少し緩んだ腕の中から手を伸ばして銀八の頭を撫でる。
銀八はギュウッと一回しがみついてきた後、弱々しく顔を上げた。


「俺のこと…嫌いになった?」


潤んだ瞳。弱々しい表情。


「…ううん。大好きだよ。」



私はいつもこれに勝てない。














始めは私の片思いだった。
隣のクラスの担任ということもあって見かけることも多かった私は、すぐに周りの子たちみたいに先生のことが好きになった。

でもだからといって何か特別なことをしたわけではない。
ただ毎日平凡に生活していた。

そんな私の生活が崩れたのはある晴れた秋の日。




「あ、みょうじ。お前今日の放課後ちょっと俺んとこ来てくんない?」


移動教室でさぁ行くぞと教室を一歩出た瞬間、先生に声をかけられた。


「え、」

「放課後すぐな。」


全く身に覚えのない私は間抜けな声を上げたままただその場に立ち尽くして去って行く先生の白衣を見つめていた。

そして放課後、私の平凡な生活は呆気なく終わりを告げた。


「俺と、付き合ってくんね?」

「え、」


片思いしていた先生からの告白が、嬉しくないわけがない。
私も必死に自分の想いを告げた。


「私、も先生のことが好きで…。」

「マジ?良かったァ。俺断られたらお前のことどーしようかと思ってたんだよ。」


にっこりと何の違和感もなく言い放たれた言葉に舞い上がっていた私は気付かなかった。
そしていつの間にか私は抱き締められていて

「せん、せ」

「銀八って呼んで。」

「…銀八、」

「ん、よくできました。」

優しい優しいキスを落とされた。


銀八は先生なのになんだか子供っぽくてすぐヤキモチを妬いたり拗ねたりした。
そんなところも、愛しいと思えていた筈なのに。



ある日、それは急変した。




ガツンと頭に響いた衝撃に、私は思わず膝をついた。

屋上の冷たいコンクリートの上に、ポツポツと赤い雫が滴る。
唇にそっと手をやると指先には鮮やかな赤がついていた。

「何、するの」

ふつふつと怒りが沸いてきて目の前に立つ人物をキッと見据える。
銀八は両手を白衣のポケットに突っ込んだまま冷たい目で私を見下ろしていた。

「お前、キスしたんだろ?」

「…え、」

銀八の口から出てきた言葉は私にとっても忘れたかった出来事で

「違っ…!あれは無理矢理されて、」

「でも事実だろ?」

必死で説明しようとしても銀八は聞く耳を持たないまま私を冷たくあしらった。そして、再び迫ってくる足。
とっさに避けようと動いたけど間に合わなくてまた頭に衝撃が走った。


「いた…」

多分本気で蹴っているのだろう。あまりの痛さに涙が溢れる。
それでも銀八はしゃがみ込んで私に視線を合わせると私の顔を強く掴んだ。


「うっ…」

「なァ、なんでなまえが泣いてんの?泣きたいのは俺のほーなんだけど。」


その言葉に驚いて涙で霞んだ目を銀八に向けると本当に泣きそうな顔をした銀八が居てどうしていいかわからなくなった。


「なァ、俺はお前のこと好きなんだよ。お前もだろ?」


切なげな瞳が揺れる。


私は精一杯首を縦に振った。
すると銀八の手からふにゃりと力が抜けて代わりに抱き締められた。


「悪ィ、分かってるんだ。お前がわざとしたわけじゃねーってことも、抵抗出来なかったから仕方ねーってことも、全部分かってんだよ。でも、嫌なんだ。」


私の肩に顔を埋めたまま銀八は話し続ける。


「嫌なんだよ。お前が俺以外の奴と間違いだとしてもそんな風になるのが。許せねーんだ。お前も相手もぶっ殺したくなっちまう。本当にお前のことが好きで好きで仕方ねーんだよ。」


私は怖かった。
初めて、この人は誰なんだとすぐ近くにある銀髪を眺めて恐怖を感じた。

それでも


「俺のこと、嫌いになったか?」


そう言って顔を上げた人は紛れもなく私の大好きな銀八先生で


「…ううん。好き、だよ。」


私は泣きそうに笑いながらそう答えた。











その日を境に、銀八は度々私に暴力を振るうようになった。


しかもそれは段々とエスカレートしていて、最近じゃ何度死にかけたか分からないほど。


理由は大抵いつもくだらなくて

「男と喋ったから」

だとか

「男にメアド教えたから」

だとか、本当に些細なことばかり。
挙げ句の果てには

「男が寄ってきたのは色目を使ってるから」

とか勝手に決め付けられて散々殴られた。



私だって嫌気はさしてるしこんな生活耐えられない。
でも、私に暴力を振るった後の銀八は必ず弱々しい顔をするから私は銀八を突き放せないでいた。



そして今日もいつものようにソレは始まった。




「…スカートが短い。何、俺以外の奴誘ってんの?」

「…違う、よ。」


無駄だと分かってはいるけれど、一応否定をする。
案の定銀八は私の言葉を無視して私の顔を殴った。


「うっ、」


口の中に血の味が広がる。
女の子の顔をグーで殴るなんて酷いね先生、なんて心の中で思いながら冷たいコンクリートを見つめているとシュル、という音がして一気に首が締まった。


「なんかお前、最近反省してねーだろ。」


銀八は自分のネクタイで最初からいつもより強く絞めながら私の耳元で囁く。



やばい、思ったよりきつく絞まってる。


私が苦しくて身を捩ると先生は嬉しそうに笑って私の上に跨った。
視界には綺麗な青空と綺麗な銀髪が揺れていて


「な、今日のお前いつもより苦しそうだな。」



嬉々として喋る先生の顔がぐっと近付いてきたけど正直そんなことに構っていられなかった。


「ぎ、ぱ…や、め」


苦しくて苦しくて声もうまく出てくれなくて涙ばかりが溢れる。



嗚呼、私今日死ぬのかな。



段々とぼんやりとする意識の中、銀八はゆっくりと私に口付けて囁いた。



「愛してる、なまえ。」










と呼ぶにはあまりにも


(その感情は痛々しくて)
(私じゃ受けきれなかった)









冷たくなった私を抱えて

あなたは嘲笑う、高らかに







120623 再録