「酒が足りん。買ってこい」 師匠ことクロス元帥と一緒に旅をするようになってから早くも数ヶ月が過ぎた。最初の方こそ何をするにも怯えてたけど、そんなんじゃこの人でなしと一緒にやっていけないと気付いたのはアフリカのジャングルの中でだった。 あれから私は精神的にも身体的にも随分鍛えられて、もう絶対自分の元居た世界に帰っても平凡な普通の子じゃ居られないだろう。 「聞いてんのかなまえ」 「はいはい聞こえてますって!でも師匠、飲み過ぎは体に悪…」 「つべこべ言わず買ってこい」 「はいただいまあっ!」 ただ、私が師匠に逆らえないのは今も変わらない。悲しいことに。椅子にふんぞり返って座る師匠を恨めしげに睨みつつコートを持って部屋を出た。 ここは最初に師匠と向かおうとしていた、イタリアのフィレンツェ。私たちはフィレンツェにある師匠の隠れ家にしばらく身を置くことになっていた。 ここは意外と都市が近いのに入り組んでいて人が少なく、イノセンスを使った修行がとてもし易いんだそう。まだ1回も使ったことはないけど。 「へいらっしゃい!魚が安いよ!」 「そこのお嬢さん果物はいかが?」 立ち並ぶ露店からかけられる声に片手で応えながら通りを歩いていく。 フィレンツェは結構活気のある街で、芸術の街としても名高い。まさに美しいものや綺麗なものが好きな師匠が選びそうな場所だ。 でも、綺麗なオブジェのある噴水の横を通り抜け路地へ入ればたちまち世界は変わる。 「畜生!またスッちまった」 「イカサマでもされたか?」 「賭けようぜ!」 ワイワイガヤガヤと煩いくらい聞こえてくる荒っぽい声。漂うのは酒や煙草やクスリの匂い。あんなに綺麗な街の中にも、こんなに荒んだ場所もあるのだ。 私はなるべく周りと目を合わせないようにひたすら目的の酒場を目指して進む。 「おい姉ちゃん、幾らだ?」 「すみませんが私は身売りじゃないんで」 「そう言わずによぉ〜」 途中で絡んできたしつこい男には師匠直伝のミドルキックをお見舞いしてやり、なんとか酒場に着いた。 カラン、という軽い音と共にドアを開けば強面や悪人面の男たちが一斉にこちらを見る。 「こんにちは。また貰いに来ました」 「おお、なまえじゃねーか!」 「サイト!元気にしてた?」 「こんなもん、お前にやられた怪我に比べりゃ屁みたいなもんだぜ!」 「まったく、まだ言うか!」 明るく迎えてくれる男たちは今ではもう顔馴染みだ。初めて来た時はそれはもういろんなゴタゴタがあって何度か死にそうな目に遭ったけど、普段師匠といるせいか彼等がまったく怖いと思えずに派手に喧嘩をしたこともあった。 その時一番私からの被害を受けたのがこのサイトという男だった。全治何ヶ月かの重体で入院したサイトを謝罪を含めお見舞いに訪ねたら何故だか気に入られ、それ以来此処に来る度に酒を分けて貰ってる。 もちろん、それなりの対価はあるが。 「病み上がりにはきついんじゃない?」 「はっ、馬鹿にすんなよ。腕力にゃ関係ねーよ」 サイトがドンと腕を構えたテーブルの向かいに私は静かに腰を下ろす。 サイトは炭鉱で働く男だ。情熱の国イタリアと呼ばれるほどイタリア人の男性は女性に紳士なはずだが、どうやら炭鉱でのルールはそうではないらしい。 「今日こそなまえをやっちまえサイト!」 「おお任せろ!」 「なまえ!今日もサイトに負けんなよ!」 「腕も折ってやれ!」 「出来るわけないって!」 サイトから酒を貰うにはサイトとの“腕相撲”に勝つ必要があった。ある日戯れで誰かが言い出した勝負に面白そうだと乗ってみればなんとあっさり私が勝ってしまった。 プライドが傷ついたサイトだったけど誰がやっても私が勝つのでどうやら私が強いのだと認識するようになったらしく、以来会えば毎回勝負を挑んでくるようになった。 初めのころは断っていた私も師匠の酒を買いに来ていることを知っていたサイトに賭けの対象として酒を提示されれば乗るしかない。以来、毎回酒が足りなくなると私は此処で腕相撲をして酒を持ち帰っていた。 多分師匠はこんなこと知らないんだろうけど。 「足は本当に大丈夫?」 「心配性だなお前は。勝負には全く関係ねーよ」 サイトは炭鉱での仕事の際足を折ってしまったらしく最近来ていなかった。 久しぶりに会っても相変わらず気の良いサイトに笑顔をこぼしつつ、じゃあ手加減しないねと言いながら手を握った。 「当たり前だ!手加減なんかしたらぶっ飛ばす」 「ぎゃはは、サイトじゃぶっ飛ばせねーだろ!」 「煩ぇ黙ってろお前ら!」 野次馬にからかわれ赤くなるサイトを見て私も笑う。 此処の人たちは見た目も柄も悪いけど案外根はいい人たちばかりだ。 だから私は、意外とみんなと過ごすこの空間が嫌いじゃなかったりする。 だから、まさかあんなことになるなんてその時の私はまだ想像もせずに幸せそうに笑っていた。 |