「ん…あれ」


気が付くと、少女は自室のベッドの上に横たわっていた。真上には見慣れた天井、周りには見慣れた家具。
私はどうやってあそこから帰ってきたんだろう。
なまえが首を捻っていると静かにドアが開いて人が入ってきた。


「…具合はどうだ」
「あ、師匠」


入ってきたのはもちろんクロスだった。クロスはトレーに乗せた食事をベッドのそばの机の上に置くと、どこから持ってきたのかベッドの横に置いてあった椅子に座った。


「具合は…全然大丈夫なんですけど、あの、なんで私は此処に…」
「あの酒場で」


クロスに言葉を遮られ、ピタリと動きを止める少女。対するクロスもいつもの彼からは考えられないような真面目な顔をしている。


「…酒場であったことを全部話せ」


真剣なクロスの顔に誤魔化せないことを悟ったなまえはぽつりぽつりと酒場であったことを話し始めた。

サイトが戻って来ていたこと。いつも腕相撲をしていたこと。テッドの様子がおかしかったこと。
そして、テッドがAKUMAだったことも誰も守れなかったこともすべてを正直に話した。


「私は怖くて…自分が死ぬことが怖くて、自分だけ隠れました」


少女は俯いて、ベッドのシーツを強く握り締めながら続けた。


「いつもと違うテッドの様子に気付いた時…妙に血が騒ぐ感覚がしました」
「!」


クロスは何かいいたげに顔を上げたが、俯いたままの少女を見て何も言わずに口を閉じた。


「多分私、その時にもうテッドがAKUMAだって気付いてたんだと思います。だから、私だけあんなに早く隠れられた。私だけ、怪我もせずに死にもせずに…友達を助けもせずに、ずっとテーブルの影に隠れてた」
「…なまえ」


クロスがそっと少女の手に自分の手を重ねる。
一瞬だけなまえの肩が跳ねたが、彼女はそのまま続けた。


「私には…力があったのに。みんなを守れる力が。それなのに、みんなが死んでいくまで怖くて怖くて出ていけなくて、結局自分だけを守って」
「なまえ」


幾分かしっかりした声でクロスがなまえを呼ぶが、少女は聞こえなかったかのようにぼんやりと顔を上げた。途端に、彼女の頬を涙が伝う。


「私、みんなを見殺しにしたんです」
「なまえ!」


クロスがぎゅっと少女を抱き締めた。クロスは柄にもなく焦っていた。
コイツはこんなにも脆そうな今にも崩れそうな女だっただろうかと。今にも消えてしまいそうで、抱き締める腕に力が籠もる。


「し、しょう…」
「自分を責めるな、なまえ」


ありきたりな言葉しか投げかけられない自分を歯痒いと思った。
自分の腕の中にいるこんなにも危うい女を守れる力すら、俺にはないのかと自嘲する。


「俺が悪かった。お前にはまだ早いと思ってイノセンスの使い方を教えなかった俺の責任だ」
「師匠のせいじゃない!」


突然噛みつくように叫ばれて驚くクロスに、腕の中のなまえはなおも叫ぶ。


「師匠のせいじゃない…から…ひっく、師匠も、自分のこと、責め、ないで…くだ、さいっ!」
「なまえ…」


クロスはなんだか心臓を掴まれたように苦しい気持ちになった。
今更になって、きちんとイノセンスの訓練をしてやればよかったと後悔する。
クロスは彼女の身体をきちんと作ってからイノセンスを使わせようと考えていたが、それが裏目に出てしまったようだ。

クロスは自分の腕の中で小さくなっている少女を見て守らなければという想いに駆られていることに自分自身で気付いていなかった。