「団長命令だ」
この一言をこれほど面倒に思ったことはなかっただろう。数日前のやり取りを思い出すと思わず深い溜め息が出た。
「“人魚の涙”がない?」
「ああ。俺たちが行った時にはもう盗まれちまってたらしいぜ」
「フェイタンが生き残ってた警備員の体に聞いたから本当だよ」
顔をしかめる団長を前に俺とシャルは今日の仕事の報告を始める。
今日の仕事はそこそこ有名な美術館に特別展示されていた“人魚の涙”とかいう宝石を盗ってくることだった。
メンバーは俺とシャルとフェイタン。大した警備もねーから俺とフェイが警備員を殺って、シャルが最後のセキュリティーを開ける予定だった。
しかし美術館に行ってみれば、警備員の半数は死に、セキュリティーは壊されショーケースは空っぽだった。どういうことか警備員に吐かせたところ、既に盗まれた、ということらしい。
「どこのどいつか知らねーが、俺たちの獲物を横取りするなんて無謀な奴もいたもんだなァ」
カッカッカ、と楽しそうに笑うノブナガは刀の手入れをする手を止めると嬉しそうに此方を見た。
「で?どこのどいつかは分かってんのかい?」
スッと広間に入ってきたマチの一言に、シャルが小さく頷く。
「怪盗“none”。相手はそう呼ばれてる奴だよ」
「怪盗ノーン?なんだそりゃ」
俺の言葉にシャルは仕方ないなと苦笑いを零す。…悪かったな、そんな奴知らねーよ。
「“none”って言うのは元々“なにもない”ことを意味するんだ。これは本人がそう名乗ってる訳じゃなく、周りが勝手に名付けたらしいよ。奴が去った後にはお宝も警備も“なにもない”っていうのが由来らしい」
「ほォ〜。ちったァ出来る奴らしいな」
シャルの説明にノブナガが顎を撫でながら嬉しそうな声を上げる。どうやら奴に興味を持ったらしい。くだらねぇ。
「オイ団長、これからどーすんだ?」
お宝が盗まれちまった以上、もう此処に居る理由もない。俺の言葉に返ってきたのは団長らしい言葉だった。
「もちろん、残るさ。俺が欲しいものを諦めると思うか?」
「…思わねぇよ」
ニヤリと笑うクロロに俺もニヤリと返してやると血まみれのフェイタンがいつの間にか広間に来ていた。全部返り血だな、ありゃあ。
「奴このまま逃がすわけないね。蜘蛛なめてるよ」
「そうだな。フェイタンの言うとおりだ。」
団長はフェイの言葉に無表情で頷くと、下を向いてぽつりと言葉を零す。
「怪盗“none”か…。面白い」
それを聞いて嫌な予感がしたのは俺だけじゃないはずだ。
「各自、この街に宿を取って別々に行動しろ。奴を見つけたら生かして連れて帰れ。抵抗されたら殺していい。いいな?」
面倒くせぇ。今までの仕事の何倍も面倒くさい命令に思わず抗議の声を上げようとすると、クロロはニヤリと笑って俺たちに告げた。
「団長命令だ」
そんなわけで、俺は街外れのボロアパートに住む羽目になった。もちろん俺が借りた訳じゃなく、此処の住人を殺して俺が代わりに住んでいる。
このアパートには近所付き合いも何もねぇらしく他の住人はもちろん大家にも会ったことがない。
(此方としたら好都合だ)
「げ。ビール切れてやがる」
その日も特に奴について分かることもなく、寝る前に1杯やろうと冷蔵庫を開けると買い込んでいたビールは1本も残っていなかったためコンビニに買いに出掛けた。
ボロアパートだが意外に立地条件は良く、徒歩5分ほどでコンビニに到着した。
「ありがとうございましたー」
自動ドアをくぐりピンポーンという機械音を後にして帰路に着く。つい買いすぎてしまったがビールとおつまみは今夜のうちになくなるだろう。
俺の部屋はアパートの1階で1番通りに近い場所にあった。怪盗ノーンとやらが見つけやすいように此処を選んだ。
「…あ?」
鍵を出そうとドアの前に立てば何かに脚を掴まれた。蹴ってやろうかと脚に力を入れると思いの外強く抱きつかれた。
「なんだぁ…?」
暗闇に目を凝らすと、脚にしがみついているのが小さな子供らしいと分かった。だが服は明らかにサイズが合っておらず、体からは嗅ぎ慣れた血の匂いがした。
「う…あ…」
「オイ、何だてめぇ!」
声を掛けると子供は気を失ったのかどさりと倒れ込んだ。
…死んだか?
息を確認すると微かに呼吸していた。だが、このまま放って置けば確実に死ぬだろう。
「っだぁぁー、クソっ!」
俺は頭を掻くと仕方なくガキを抱えて部屋の中へ入った。
面倒事が増えやがった。