「じゃあ、ちゃんと俺様に着いてきてね。」


すたすたと長い長い廊下を勝手知ったるとばかりに歩き続けるお兄さんの後ろを大人しく歩いていく。歩くたびふわふわと揺れるオレンジ色の髪の毛を見て、とても彼があの猿飛佐助だなんて思えないなあと溜め息をつきたくなった。


「そういえば、名前は?」


突然くるりと振り向かれ尋ねられる。


「えと…なまえ、です。」

「へぇ、なまえちゃんねぇ。」


名字を言うべきか迷ったけどなんとなく名前だけにしておいた。戦国時代に名字持ってた女の子なんてお姫様だけだった気がする。


「俺様ちょっと大将たちに報告に言ってくるから、なまえちゃんは此処で大人しく待ってて。」

「あ、わかりました。」


連れて来られたのは一見普通の和室。今の時代にもありそうな本当に普通の和室だった。ただ、開け放たれた障子から見える庭は見たこともないくらい立派だ。


「わぁ…綺麗な庭!」

「気に入った?」

「はい!すごいです!誰のご趣味ですか?」

「大将だよ。此処は大将のお屋敷だからね。」

「たいしょ…武田信玄公ですか?」

「そうそう。」


猿飛さんの言葉にへえと相槌を打ちながらも見事としか言えない庭を見つめる。広々とした庭には綺麗な木々や花々が育っており、その下にある綺麗な池もキラキラとした光を反射していた。此処から見える景色は最早芸術の一部と言っても過言ではないだろう。私が感動してぼけっと庭を眺めていると後ろから猿飛さんの声がかかった。


「じゃあ、しばらく大人しくしててね。」

「はーい。」

「勿論分かってると思うけど…絶対にこの部屋から出ちゃダメだからね。」

「…出たらどうなるんですか?」


戸に手をかけにこりと微笑む猿飛さんに好奇心からそう訊ねれば彼は先程より一層笑みを深くして片手にキラリと光るクナイを振った。い、いつの間に。


「俺様が“お仕事”しなきゃいけなくなるかな。」

「お、大人しく待ってまーす!」

「くす、いい子。それじゃあまたね。」


あまりの恐さに勢いよく手を挙げて返事をすれば猿飛さんはくすりと笑いながら出て行ってしまった。くそう、自転車にびびってたくせに。


「なんだいなんだい、猿飛さんのドSめ。」


なにもあそこで刃物なんか出さなくたっていいじゃんか、とぶつぶつ猿飛さんに対して文句を垂れつつ庭がよく見える縁側らしき場所に腰を下ろす。此処ならさっきより広い範囲を見渡せる。約束も破ってないし一石二鳥だと思いながら首を伸ばしてあちこち見回していると

ぐううう〜


「…お腹空いた。」


自分の情けないお腹の音が響いてきた。猿飛さんが居なくてよかったかもしれないと思いながら鞄を漁ってお気に入りのお菓子とパンを取り出して食べ始める。ペットボトルから水を飲みそこそこ飢えを満たしたところで畳にごろりと寝転がる。


「家、どうなってるんだろうなー…。」


それがいま、私の一番気がかりなことだった。家に帰ろうとしていたら突然こんな場所に来てしまっていたわけで、当然家族は何も知らない。帰りの遅い私を心配してくれているのだろうか。それともまだ気付かずいつも通りに過ごしているのだろうか。


「気付いてなさそうだなあーみんなマイペースだし。あーでもお母さんは心配してそう。」


いつも予定の時間より少し遅くなっただけでメールを送ってくる心配性な母親を思い出す。ていうか家って基本的に過保護だよね。家の他にどこに年頃の女子高生を五時までに帰らせようとする家庭があるだろうか。いやない。(反語。あ、そういえば明日漢文のテストだった。)


「…どうしよう。」


このまま帰れなかったら、どうしよう。その前にこのお屋敷を無事に生きて出られなかったらどうしよう。「怪しい奴め!」とか言って斬り殺されたりしたら…。


「笑えないっつーの…。」


自然とぼやけてきた視界を手のひらで覆う。いま、泣いたってなんにもならない。だから泣くな。必死に自分にそう言い聞かせてなんとか溢れそうな涙を堪える。


「あの、気分でも優れぬのでしょうか?」

「…へ?」


突然聞こえてきた声に思わず間抜けな声を上げて手のひらを放す。途端に視界に入ってきたのは端正な顔立ちのドアップ。


「ひぎゃっ!」

「もっ申し訳御座らぬ!某、驚かせるつもりは…!」


私が女の子にはあるまじき悲鳴を上げた所為か、その人は慌てて私から顔を離すと目の前にぴんと立った。


「突然声をかけたこと、誠に申し訳御座いませぬ。しかし、何やら御様子がおかしかった故…勝手ながら声をかけさせていただき申した。」

「え、いや、はあ。」


え、どうしよう何これどうしようどうしたらいいのこれ。目の前に立つ赤い人はこっちが恐縮するくらい馬鹿丁寧な話し方だし、私もこんな感じにしたほうがいいのか?いやでも女の子が御座る口調ってどうよ。

なんて悶々と考え込んでいたらその人は何を勘違いしたのか「やはり具合が芳しくないのですな!暫しお待ち下され、いま薬師を…」とかなんとか言って走り出そうとするので慌てて服をがしりと掴んで引き止めた。


「いえいえいえいえ!勘違いです大丈夫です私は元気ですのでそのまま此処に居らしてください!」

「しっ、しかし…」

「しかしもなにも私は元気満タンですから!新しい顔を貰ったアン●ンマンにも負けないくらい元気ですから!」

「そ、そうで御座りますか…(あんぱん●ん…?)」


微妙に納得していないような彼をなんとか引き止めることに成功した私は、とりあえず先程から一番気になっていたことを口にした。


「あの…ところでどちら様ですか?」


私の言葉を聞いた彼は驚いたように一瞬目を丸くした後、いま思い出したとでも言うようにハッとした表情を浮かべて私に向き直った。


「某もそれを訊ねようと思っておったのです!貴女はどういった方で御座いましょうか?」

「どういった方…って…。」


どうしよう。一難去ってまた一難か。私は小さく溜め息を吐いた。