「は、はは…」


乾いた笑いしか出てこない。目の前に大人しくちょこんと座っている黒猫を見詰めたまま、私は顔をひきつらせていた。

今の今まで目の前に居た筈のお兄さんは跡形もなく消え、クロが表情の読めない顔で座っている。
ていうか、びっくりしすぎて腰抜かしたわ。


「…クロ?」


名前を呼べば、立ち上がって此方にするりと近寄ってきた。撫でようと手を伸ばすと避けられる。ちくしょう。

なんとなくそのまま手を差し出して動かないでいると、ゆっくりとクロが近付いてきた。自分から私の手のひらの下を通り抜けていく。撫でているというより、クロに擦られているような感覚。

クロは何度かそれを繰り返すと、満足したのかへたりこんでいた私の膝の上に再び乗ってきた。どうやら私の肉厚な太ももがお気に入りらしい。そりゃ柔らかいでしょうけどね!


「…本当に、さっきのお兄さんはアンタなの?」


膝の上に乗ってきたクロに半信半疑で訊ねれば、もちろん無言が返ってくる。
まぁわかってたけどね!どっちの姿でも無口だしね!


「あ、でもお兄さんなら筆談できるかも…?」


クロを見詰めながらそう溢せば、なんだかクロがこくりと頷いたような気がした。筆談ができるならすごくありがたい。なかなかクロとコミュニケーションがとれなくて言いたいことがわからなかったから。


「じゃあ、お兄さんになってくれるかな?」


クロにそう言うと、突然クロが私の顔目掛けて飛び掛かってきた。


「うわ、危なっ…ん!」


グラリと身体が傾いて背中にあったベッドにもたれかかると、飛び掛かってきたクロに唇を塞がれた。
あれ、なにこれデジャブ。


ぼふんっ


「…えぇー。毎回これしなきゃなんないの…?」


そうだった。忘れてた。
さっきと同じように唇を奪われてから軽率な発言だったと後悔するも、時すでに遅し。お兄さんになったクロはベッドにもたれかかる私を跨ぐように膝立ちになっていた。
かなりの至近距離でイケメンがこくこくと頷く。どうやら私の先程の呟きに律儀にも返事をしてくれたらしい。


「えーと…クロ?」


声を掛ければ、なに?と言わんばかりに首をこてんと傾げられた。
なんなんだいちいち可愛いなコイツ…!


「筆談、できる?」


私の問いにクロはこくりと頷いた。よかった、これでやっと会話ができる!
私は小躍りする勢いで立ち上がると、自室からボールペンとメモ帳を取ってきた。そこにサラサラと文字を書く。


“あなたは何者?”


じっとそれを見詰めていたクロにボールペンとメモ帳を手渡すと、何故かクロはこてんと首を傾げた。
まるで、なんて書いてあるかわからないみたいに。


「えっと…クロ?これ、なんて書いてあるか読める?」


まさかそんなことあるわけないと思いながらもクロにそう訊ねると、クロは少し考えるような素振りをした後、メモ帳にボールペンを置いて何かを書き始めた。
決してスムーズとは言えない動きながらもなんとか書き終えたクロは、メモ帳を此方に向けた。


「…クロ?これって冗談?」


そこにはミミズがのたくったような、私には到底解読できないような文字が書いてあった。
しかも何故か縦書き。
しかし、私の言葉を聞いたクロはどことなくしゅんとした雰囲気になってしまった。


「わわ、ごめんね!ちょっと待って、これよく見たらわかるかも!」


なんとなくしゅんとしたクロを見たくなくて、私は必死にメモ帳を見詰めてみた。すると、なんとなく文字が読めるような気がする。


「もしかして…草書ってやつ?」


問いかければこてんと首を傾げるクロ。ううん、草書って言い方がわからないのかな?
小学生の頃に習字をやっていた私はなんとか目を凝らして丁寧に解読していく。


「えーと…“少し理解できる。己は小田原が主、北条に仕える忍”…?」


私の問いかけにクロはこくりと頷いた。いやいや、冗談キツイです。


「忍って忍者のことだよね?一体いつの時代の話だ…」


思わずぽつりと呟いた言葉を聞くと、クロは私が持っていたメモ帳をパッと取ってサラサラとボールペンを動かし出す。
さっきよりも早く、しかも綺麗に書かれた言葉は簡単に私の思考を停止させた。


「戦国、時代…」


どうやって帰るの?という問いかけにクロはまたこてんと首を傾げた。

そりゃそうだ。