松陽先生は、偉大な方だ。私達は先生から多くを学んでいる。剣術、道徳、学問、知識、そして人としてどう在るべきかなど。
稽古や勉強は楽しかった。辛いことも悲しいこともそこそこあったけれど、それ以上に楽しいことや幸せなことのほうが多かったから。



「…ねぇ、銀時」


隣に居るのは、共に学び共に育った同志の1人。でも、その表情は俯いている所為で窺い知れない。彼のトレードマークのようなふわりとした銀髪は、室内の薄暗さに比例するようにくすんだ色を放っていた。


「先生、何時になったら帰ってくるのかなぁ…」


松陽先生は、5日前幕府に呼び出されて江戸城へ赴いていた。今、江戸…いや、地球は、“天人”とかいう異星人たちに脅かされている。鎖国を続けて早何百年。そろそろ地球も太陽系の惑星として開国せよと迫られているのだ。


「先生の知恵を借りたい気持ちは分かるけど、いくらなんでも時間がかかりすぎだよね」


やんなっちゃう、と肩を竦めて見せても、目の前に座る2人同様、隣の銀時もなんの反応も返してくれなかった。


「…晋助も小太郎も、なんとか言ってよ」


そうだなって、冗談混じりに笑い飛ばして欲しかった。じゃないと、不安で押し潰れそうな気持ちが止まらなくなるから。


「…なまえ、先生は…」
「黙れ、それ以上喋んじゃねェ」


口を開きかけた小太郎を晋助がギロリと睨み付けて制した。一体なんだっていうんだろう。


「しかし、なまえにも知る権利はある」
「…先生は望んじゃいねェよ」
「…ねぇ、一体なんの話?」


私の問いかけに、二人は押し黙る。チラリと銀時に目をやると、黙って首を横に振られた。
私以外の3人は、私の知らない何かを知っているようだった。だから、私以上に暗い顔をしているのかもしれない。


「ねぇ、私だけ仲間外れなんて嫌だよ」
「…なまえ」
「お願いみんな、教えて」


半ば泣きそうな表情で懇願すれば、小太郎がため息を吐いた。


「言ったろう、なまえにも知る権利があると」
「じゃあ…!」
「しかし、耐えられるか?」


真剣な表情に、思わず身が竦む。ハッとした私を余所に小太郎は話を進めていく。


「俺たちでさえ、見ての通りなんだ。お前はそれを聞いて、冷静でいられるのか?」
「…無理だろ」


ズバリ、晋助に言い当てられた。不安で仕方ない気持ちは今でさえ自分でコントロール出来ない位なのに、これ以上不安になるような話を聞いたとしたら、私は絶対に冷静でなんて居られない。


「やめとけ。お前ェが聞いて得することなんざ何もねェよ」


晋助は、硬い表情のままだったけれど、優しく私の頭を撫でてくれた。その優しさに、何度救われただろう。


「でも、知りたいの」


それでも私は、今度ばかりはその優しさに甘えちゃいけないんだ。


「知らなきゃいけないような、そんな気がするの。お願いみんな」


絶対に迷惑だってわかってる。みんなが私を守ろうとしてくれてることも分かる。けど、それじゃダメなんだ。


「辛くても悲しくても、私もみんなと同じものを受け止めたいよ。じゃないと、みんなの隣になんて立てない」


真っ直ぐに晋助を見詰めて、そう言い切る。一番私に優しくしてくれる、私の一番大切な人には解って欲しかった。


「…知らねェぞ」
「うん」


突き放すような言葉は、優しさからきたものだって知ってるから。
頷いた私を見てため息を吐いた晋助は、「勝手にしろ」と言って部屋を出ていってしまった。


「先生はな、俺たちにだけ言伝てをして行かれたんだ」


晋助が部屋から居なくなった途端、小太郎が静かに口を開く。隣に居る銀時は、相変わらず黙ってただそこに居た。


「…先生は、なんて?」


懸命に震える声を絞り出せば、小太郎は一瞬躊躇った後、私から視線を逸らしてぽつりと呟いた。


「…『4日経っても私が戻らぬようであれば、此処を捨てて逃げなさい』、と」


脳みそがちゃんと動いてないみたい。小太郎が今なにを言ったのか、うまく飲み込めなかった。
そんな私を、小太郎が見詰める。まるでその目は、私に何らかの返答を期待しているように見えた。


「……」


何か喋ろうと口を開く。しかし、間抜けにぽかんと空いた口からは、声にならない吐息混じりの音しか出てこなかった。


「…言ったろう、耐えられるか、と。今日でもう5日目なのだ。動揺するのも無理はない」


小太郎の言葉にハッとした。そうだ、今日で先生が出ていかれてから5日経っているのだ。じゃあ、もしかしてみんなは…


「此処を、出ていくの…?」
「行かねぇよ」


私の言葉に、ずっと黙っていた銀時が声を発した。バッとそちらを見れば、真っ直ぐに前を睨み付けるようにして見据えている銀時が居た。


「俺たちは何処にも行かねぇ。此処で先生を待つ」
「銀時…」


真剣を通り越して痛々しくすら見える銀時に思わず手を伸ばすと、ガタリと部屋の戸が揺れた。咄嗟に3人で顔を見合わせる。



「…晋助?」


声をかけると、それに答えるように扉が開いた。


「しんすけ?誰だそりゃ」
「…餓鬼3人しか居ねぇじゃねーか」


入ってきたのは、頭がタコみたいな奴と頭が狼みたいな奴だった。こいつらが“天人”だということはすぐに分かった。


「…ッ、なんだお前ら!」


噛み付くように叫んだ銀時の視線は、天人たちの持っている刀に注がれていた。嫌な予感に背筋に冷たい汗が伝う。


「なんだじゃねぇよ。此処は罪人の屋敷だから、焼き払えっつうご命令だ」
「死にたくなきゃ今すぐ出てくこったな」


そう言いながらにやつく天人たち。その口ぶりとは裏腹に、逃がす気なんてまるでない様子にざわりと心臓が揺れる。恐くて思わず隣の銀時の着物をギュッと握ると、それに気付いた銀時が私の手を握ってくれた。


「大丈夫だ、怖がるな」
「うん…!」


小太郎が部屋の隅に置いてあった木刀をそっと手にとった。普段は危ないから竹刀しか使わないけど、此処は道場じゃないし相手は本物の刀を持ってる。そう考えると木刀でも少し心細く感じてしまうが、他に獲物もない。


「あァ?オレ等とやろうってのか?餓鬼どもが」


小太郎に続き私も木刀を手に取り、銀時が真剣を取り出したところで天人たちがせせら笑う。どう見たって腰が引けてしまっているけど、此の場所と彼等を護るためには戦うしかない。


「さすが罪人の教え子だなァ」
「…あ゛?」


天人の言葉に、銀時の目付きが変わる。そんなことも気付かないで、天人たちは嬉しそうに話し始めた。


「その様子じゃ知らねぇみたいだから教えてやるよ。吉田って野郎は処刑されたぜ?」
「なっ…!?」
「馬鹿な奴だよなァ。呼ばれてノコノコやってくるから処刑されんだよ」
「しかも信用してた幕府に処刑されるなんざ…同情しちまうぜ」


目の前の会話が理解できない。ガハハと馬鹿みたいに笑う天人たちの声が頭の中で反響して頭痛に変わる。だって、いま、処刑、って。なに?なにを言ってるの?
何一つ理解できずに固まる私の視界に、突然一閃の銀色が瞬いた。一拍間を置いて、次いで赤が飛び散る。


「え…」
「ガッ…!くそっ、この餓鬼ィ!…ぐわっ!」


目の前に、ゴトリとなにかが落ちた。反射的に目を瞑ると、小太郎の焦ったような声が響く。


「なまえ!後ろだ!」


声に反応して自然と体を反転し、木刀を突き出していた。ぐちゃりと手に鈍い感触が伝わり、反射的に目を開く。私の木刀は狼顔の天人の口を貫いていた。ぼたり、ぼたり、と私の腕に血が伝う。


「…え、あ、やだ」


咄嗟に腕を引くと、ずるりと木刀が天人の頭から抜けた。それと同時に、生暖かいものが私に吹きかかってきた。真っ赤、あつい、なにこれ。


「や、だ、やだやだ嫌だ嫌だ赤い赤い紅いアカ、イ」
「なまえ!!」


がくがくと肩を揺さぶられ、真っ赤な視界の中で小太郎が心配そうに此方を見ている。大丈夫、と言いたかったのに、また声にはならなかった。震えは止まらない。


「しっかりしろ!!」


突然怒鳴られて、びくりと肩が跳ねる。そんな私を暖かい体温がふわりと包んだ。


「しっかりしろ。大丈夫だから」
「…ぎ、んとき」


言葉とともに、私を抱く腕に力が籠る。そこで漸く私は銀時の腕も小さく震えていることに気が付いた。
当たり前だ。一番最初に、私たちを護るために剣を振るったのは銀時だったのだから。恐かったに決まってる。嫌だったに決まってる。それなのに、私がこんなんじゃダメだ。私だってみんなを護りたいから。


「もう大丈夫。ごめんね、ありがとう」


いつの間にか震えは止まっていた。私を離した銀時は、ふっと優しく笑うと私の頭をくしゃくしゃと撫でた。その仕草が、私に大切な人を思い出させる。


「ねぇ、晋助は…?」
「確かに…アイツを早ぇとこ見付けねぇと」
「手分けして探すか」


嫌な予感にざわつく胸を押さえながら、それぞれが晋助の居そうな場所を探しに行く。私は迷わず裏手にある井戸へと向かった。だっていつも何かあったときには晋助はそこに居るから。

走って井戸側へと向かうと晋助の姿が見えた。安心してほっと息を吐いて、晋助に声をかける。


「…よかった、晋助」
「来んな!」


突然、後ろを向いたままの晋助に怒鳴られて、びくりと体が止まった。


「…来るんじゃねェぞ」


尚も念を押すように言う晋助は珍しく俯いたまま此方を見ようとしない。


「どうしたの?晋助…?」


恐る恐る近付くとツンと鉄の匂いがキツくなる。先ほど顔に浴びた時のように、吐き気がますます増える気持ち悪い匂い。思わず眉をしかめながら近付くと、晋助が此方を振り向いた。


「っ…!晋助!!」


晋助の顔は、半分以上が赤く染まっていた。片側の瞳から止まることなく流れ続ける赤はどんどん晋助の着物を赤く染めている。私は血の気が引くのを感じながら慌てて晋助の顔を押さえようとした。


「大丈夫!?怪我、治療しなきゃ…!」
「…いい、ほっとけ」
「でも!」
「ほっとけっつってんだろ!」
「っ…!」
「もう、治りゃしねェよ」


ハッと嘲笑った晋助の表情があまりにも辛くて悲しくて、涙が出た。


「…先生は、きっともっと痛かったろうなァ」
「もっと悔しかったろうなァ」


夜空を見上げてぽつぽつと晋助は話す。流れる血と涙が混ざって、地面に血溜まりを作った。
私は、なにも言えなかった。言葉がでない。ただ、馬鹿みたいに目から水分を垂れ流していた。


「くそっ…くそォォ!!」


突如叫び声をあげた晋助をぼんやりとした視界で見詰める。絶望に歪む顔の中で、ギラギラとした瞳だけが異彩を放っていた。


「殺してやる…!奴等を…松陽先生を奪った奴等を許さねェ…!」


こんなに悲しい夜なのに。見上げた夜空で月だけは酷く美しく輝いていて、それが尚更恨めしかった。



十六夜月に獣の咆哮


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