「な、にコレ…」


目の前で起こっている現実を受け止めきれなくて、私の口からはただ呆然とした言葉が零れていた。




私はあれから急いで自分の耳と尻尾を隠した後、みんなに逃げるように言うために村に戻ってきたのに…目の前に広がるのは、見慣れた村の残骸たちだけ。
轟々と火の手が上がり、あちらこちらから悲鳴や叫び声が響いている。八頭大蛇にやられたのだろうか。あまりの悲惨な光景に思わず叫び出す。


「っ、なんで!?まだ約束の満月の夜じゃあ…」

「ないですねぇ」


途端に、背後から耳元へ優しい声が吹きかけられた。その声は確かに柔らかい響きを持っていたのにそれを聞いた途端背筋にぞわりと悪寒が走って、私は思わず前に飛び退いて振り向いた。


「おやおや…そう怯えなくともいいでしょうに」


くすくすと長い白髪を揺らしながら笑うその男は、手に巨大な鎌を持ち痛々しい棘の付いた鎧を着込んで立っていた。
でもそれだけじゃない。明らかにおかしいのは、コイツから生気が全く感じられないことだ。


「…あなたも妖?」


私が彼を警戒しながらもそう訊ねれば、彼は何が可笑しかったのか先程のくすくす笑いとは比にならない程勢い良く「あははははは!」と笑い始めた。
いきなりのことに面食らって動けずにいると、漸く笑いが治まったらしい彼が笑いを堪えながら此方を見据える。


「ふくくっ…なんとも面白いことを言う方ですね。まぁ私が人外のものだということはお分かりになられたのでしょうが」

「だってあなた生気が全く感じられないもの」


私の言葉に彼は一瞬だけ驚いたように目を丸くすると、それからにぃと口の両端を上げた。
不気味な、嫌な笑い方。
死人のような白い肌に不釣り合いなほど綺麗に色付いた赤い唇から、これまた真っ赤な舌がちろりと顔を出す。


「私は妖などではありませんよ。強いて言うならば…そうですねぇ、あなたの仲良しの八烏に近い存在でしょうか」

「…ハチに?」

「えぇ」


私を見てゆうるりと笑うその男は自分はハチと同じ、つまり神の部類だという。こんなに不気味でこんなに嫌な感じのする神なんて居るんだろうかと考えていると、目の前の彼は恍惚とした表情を浮かべて私に近付いてきた。


「そんなことよりも…どうですか?大切なものを壊された気分は?守ろうとしたものが呆気なく崩れていく様を見せ付けられてどうお思いですか?絶望?恐怖?それとも…怒りですか?」


愉しそうにそう話す男にぴくりと私の耳が反応する。コイツはどうやら私の反応を楽しんでいるらしい。
それでも、怒りで歪む顔も膨れ上がる霊力も立ってしまった耳と尻尾も、どうにも私は鎮められそうになかった。


「お前か…お前がこんなことをっ!」

「あぁ…いいですねぇ、その表情。怒りに歪んだ美しい顔…直ぐにでもその顔に絶望を植え付けたい」


男はそう言うと持っていた鎌をするりと愛おしげに撫でて―――気付けば目の前に居た。


「精々私を楽しませてくださいよ」

「っ、きゃあ!あっぶないじゃないこの似非神!」


突然振りかぶられた大鎌を悲鳴と共になんとか避けると彼は嬉しそうに喉を鳴らした。


「おや…少しは楽しめそうですね」

「楽しめそうってあんた…!さっきから言ってるけど、村をこんなにしたのはあんたなわけ?」


私が体勢を整えながら訊ねれば男は少し呆れたような表情で言葉を吐いた。大鎌をゆっくり振りかぶることも忘れずに。


「ですから、先程からそう言っているでしょうに。信じられないのでしたら…あぁ、あなたの父親でも連れてきてあげましょうか?」

「な、にを言って…」

「魂だけ、ですがね」


くすりと笑った男が片手を手のひらを上にして開くと、その上にぼうっと青白い火の玉のようなものが浮かんで、ゆらゆらと激しく揺れ動き出した。


「嗚呼、苦しいのですか?大丈夫ですよ、これからもっと苦しいところに行くだけですから」

「ひっ…嫌だぁ、わしはまだ…!」

「死にたくない、とでも?あはははっ、滑稽ですねぇ。貴方はもう死んでいるというのに」

「お、とう、さん…?」


揺らめいていた火の玉がぴたりと動きを止める。此方を凝視しているのがわかった。しばらく止まっていた火の玉はぶるぶると震えだし―――輪郭のぼやけた、実体のない父親の顔になった。


「お父さん!お父さん、なんでこんなっ…」

「…なまえなのか?」

「うん、お父さん、私!私だよ!なまえ…お父、さん?」


一瞬だけ私を見て笑顔を浮かべたお父さんは、すぐに無表情になり「なぜ…」「どうして…」と俯いてぶつぶつと繰り返し呟き始める。
まるで、私の声なんか聞こえてもいないように。

嫌だ、嫌な予感がする。
つうと額を伝った汗を拭って、もう一度父親の名前を呼んだ。


「お、とうさん?」

「なぁ、なんでお前は死んでない?」


虚ろな目が私を映す。びくりと足が竦んで動けなくなる。
や、だ。嫌だ。こんな目知らない。こんなお父さんを、私は知らない。


「な、に言って…」

「村のもんも、わしも、みぃーんな死んだ。なのに…なんでお前は死んでない?」


責めるような視線と冷たい言葉に心臓が悲鳴を上げる。
目をそらせ、耳を塞げ。聞くな、見るな、喋るな。
そう脳が警報を慣らしているというのに、私は何かに取り憑かれたかのようにその場を動けない。


「なぁ…なんでわしらは死んだ?なんでわしらが死なんとならんかった?」

「っ、あ…」


がくがくと手足が震えてうまく立っていられない。いっそのこと気を失ってしまいたかった。その先の言葉を聞かなくてすむなら、なんだってする。
だから、お願い。その先は―――



「お前のせいだ」



言わないで



「お前のせいだ…お前のせいでみんな死んだ」


「いや…嫌だ…」


「お前がみんなを殺した」


「嫌だっ…言わないで…」

「お前が死ねばよかったのに」


「あ…うわああああ!」


ぷつり、と何かが切れる音がした。




それきり、私の意識は深く沈んでいった。









「あ、れ…?」


次に気がついた時には、辺りには人気のない村の焼け跡とぽたりと私の片手からしたたる血しか残っていなかった。