「本当にすまない」 「…ううん」 月曜日の朝、いつものように一緒に登校していると土曜日のことを謝られた。 気を抜くと「ほんとは何してたの?」なんて口に出してしまいそうで、最低限の言葉しか出せない。 「…その、やはり怒っているかな」 「怒ってるわけじゃ……仕方ないよ」 本当に申し訳なさそうに眉を下げる赤司くんを見て、なんだか此方が悪いことをしてしまったような気分になる。無理にでも笑顔を向けると、赤司くんは何故だか私の顔をじっと見た後、さらにバツが悪そうな顔をした。 「すまない…。それと、もうひとつ謝らなければならないことがあって」 「え?」 「実は、大会が近くなってきたから朝練を始めようと思っている」 「朝練…」 「ああ」 こくりと頷く赤司くんは、強い瞳で真っ直ぐ前を見据えている。それは、この提案が単なる思い付きなどではなく、もはや決定事項であるということを私にまざまざと伝えた。 つまり、こうして一緒に居られる唯一の時間すらも、これからはなくなってしまうということになる。 「…そっか。大変だろうけど、がんばってね」 残念な気持ちはもちろんある。なのに、どこかほんの少しだけほっとしている自分が居た。しばらく赤司くんと離れれば、この胸のもやもやした気持ちも落ち着くかもしれない。 「…ああ」 私の答えを聞いた赤司くんは少しだけ目を開いて、そのまま私からふいと視線を逸らしながら頷いた。 「…なにかあったの?」 「なにかって、何?」 赤司くんと一緒に登校しなくなってから、一緒に登校しだした友達が心配そうに尋ねてきた。私はなんとなく何を聞かれてるのかわかっていたけど、わからない振りをした。 「赤司くんとに決まってるじゃん。一部では、別れたんじゃないかって噂になってるよ」 「…そっか」 それでも、やはり放っておいてくれるつもりはないらしく、聞きたくもない噂についていろいろと聞かされてしまった。もちろん、別れてはいない。だけど、こんな状態で付き合っているといえるのかどうか、私には分からなかった。 一緒に過ごすことも、デートに行くこともない。部活を見に行きたくとも、ファンの人たちから何をされるかわからないから来ないほうがいい、と赤司くんから言われているからそれもできない。 携帯は私が持っていないから、たまにパソコンでメールのやり取りをするくらいで、電話もほとんどしない。 赤司くんが今まで以上に忙しいことくらい、私にだって分かってる。それでも、こんな状態が一体いつまで続くんだろう。本当に私は、赤司くんに好かれているんだろうか。 考え事をしながら聞き流していると、友達が突然真剣な顔をして此方を向いた。 「あとさ、これが一番厄介な噂なんだけどね」 友達はきょろきょろと周りを見回すと、内緒話をするように声を落とす。 「なんか、バスケ部のマネージャーの1人と、いい感じらしいって」 「マネージャー…?」 「うん。休日に一緒に出かけてるのを見た人が居るんだって」 友達の言葉を聞いて、すぐにあの画像が頭に浮かんできた。あの女の子が、マネージャーさんなんだ。いつも、赤司くんが部活をしてるときは、いつもあの子も一緒に居るんだ。 そう思ったら、嫌な気持ちでいっぱいになった。思わずじわりと視界が滲んでくる。 「で、でもほら!噂だからさ!大丈夫だよ!!」 「う、ん…」 慌ててフォローしてくれる友達の前で泣くわけにもいかなくて、なんとか涙を堪える。 その後はいつも通りにテストの話だとか駅前のケーキ屋さんの話だとか、そんな話をしていたけど、どうしても嫌な気持ちは消えてくれなかった。 「ちぃーす」 「もう…また?」 「いーじゃん別に。オレんとこ今クーラー壊れちまって暑いんだよ」 よっこいせ、と言いながら和ちゃんが窓を乗り越えてくる。そんな和ちゃんに向かって「仕方ないなぁ」なんて言いながらも、私は用意していたオレンジジュースをことりとテーブルの上に置いた。 あの日以来、和ちゃんはまた昔に戻ったみたいに私の部屋に入り浸るようになった。 理由を聞いてみても「風水的にこっちのがいいんだよ」とか「西日がまぶしい」とか毎回よくわからない理由ばかりで、最初は少し対応に困ったりもした。 それでも、正直私は嬉しかった。和ちゃんは相変わらずお喋り上手で、私のこともよくわかってくれてて、和ちゃんと居るときは赤司くんのことを考えずに済んだから。 「何してんの?」 「ん?課題だよ」 「げっ。くそ真面目だな〜そんなもん今しなくてもいーだろ」 「あっ!もう、和ちゃん!!」 いそいそと私の部屋に入ってきた和ちゃんは私の手元を覗き込むととても嫌そうな顔をして、解きかけの問題をノートごと取り上げてしまった。ひょいと和ちゃんの頭上に持ち上げられたノートはもちろん私の手が届く範囲にはなく、恨めしげに見上げても和ちゃんはいたずらっ子のような笑みを浮かべるだけ。 「もー!絶対届かないじゃん!」 「へぇ〜、お前こんな小さかったっけ?」 「違うもん!和ちゃんがおっきくなったんでしょ!」 むっとしながら文句を言うと、和ちゃんはにやにや笑いながら私の頭を撫でてくる。 確かに、和ちゃんを見上げるときは少し首が痛い。いつも隣に居る赤司くんはもう少し私と目線が近いから、和ちゃんが余計に大きく感じるんだろうなぁ、なんて、つい赤司くんのことを考えてしまって、ふるふると頭を振った。 「な〜に頭振ってんだよ」 「…なんでもない!それより、早くノート返してよ〜」 ぴょんぴょんと飛び跳ねてみても和ちゃんはノートを返してくれる気配がない。 悔しくなって勢い良く飛びつこうとすると、和ちゃんが少しだけかがんできてぼそりと呟いた。 「オレが居るんだから、オレに構えっつーの」 「、え……っ!きゃっ!」 「おわっ!?」 勢いをつけ過ぎたのと和ちゃんの言葉に驚いたのとでバランスを崩してしまい、着地に失敗してしまった。ぐらりと傾いた体はそのまま目の前に居る和ちゃんにぶつかり、どすん!と鈍い音を立ててそのまま床に倒れてしまった。 「ってぇー……」 「いた…あ、」 ぱちりと目を見開いた先に、和ちゃんの顔があった。至近距離で目が合ってしまって、私はかちりと固まってしまう。 昔より少しだけ細くなった顎、高くなった鼻、そして、射抜くような瞳。 “男の人の顔”が、そこにはあった。 「っっ…!!ご、ごめ…っ!」 かあっと熱くなる顔を自覚して、謝りながら慌てて体を起こそうとする。途端に、ぐいと腕を掴まれてすぐに引き戻されてしまった。 「か、和ちゃん、離して…」 「なぁ、なまえ」 すぐそばで声がする。少しかすれたような声。和ちゃんの声は、こんなに大人っぽかっただろうか。 なんだか恥ずかしくて堪らない。顔が見れなくて声のするほうを向けないでいると、声が一層近くなった。 「なまえ。こっち見て」 「や、無理…」 「見ろって。…オレのこと、ちゃんと見て」 懇願するような声に、心が揺らぐ。ゆっくりと顔を向けると、真剣な顔をした和ちゃんの瞳と視線がぶつかった。 和ちゃんのこんな顔、見たことない。少しだけ苦しそうな、それでいて熱っぽい顔。 「好きだよ」 和ちゃんが、ゆっくりと言葉を紡いだ。なんとなく分かっていたけど、聞きたくなかった言葉。 「オレは、昔からずっと、なまえが好きだ」 頼りがいのあるお兄ちゃんみたいな存在だった和ちゃん。大切な私の幼馴染だった和ちゃん。これから先も、ずっとそんな関係だと思ってた。そうありたいと思ってたのに。 「オレと付き合ってよ。今の彼氏なんかとは別れてさ、オレと…」 「ごめん」 気付いたら、そう口に出していた。和ちゃんも驚いた顔をしてる。私自身も、自分の口から即座に出た言葉にびっくりしていた。 彼氏と別れて、って言葉を聞いた途端に、赤司くんの顔が浮かんだ。優しく笑ってる顔、真剣な顔、少しおかしそうに口元を緩める顔、眉を下げて慈しむような顔…。いろんな赤司くんの顔が浮かんで、気付いたら和ちゃんの言葉を遮っていた。 「ごめん…ごめんね和ちゃん。私、」 「わかってた」 ちゃんと伝えなくちゃ、と謝罪を口にした私の唇に、そっと指が乗せられる。そのままゆっくりと体を押されて、向かい合って座る形になった。 私の言葉を遮った和ちゃんが、へにゃりと眉を下げて笑う。 「悪い、わかってたんだ。ほんとは、こんなこと言うつもりじゃなかった。なんつーか、我慢できなくなっちまったっていうか」 「和ちゃん…」 「なまえは好きでもないやつと付き合うようなやつじゃないって知ってるし。それに、お前オレのこと兄貴みたいに思ってるだろ?」 図星を付かれてうっと言葉に詰まると、和ちゃんは「あーあ、やっぱりなぁ」と言いながら私の頭をわしゃわしゃ撫でた。 「わぷっ」 「お前警戒心なさすぎなんだもん。オレのこと男として見てねーなってすぐ分かったし」 「ご、ごめ…」 「謝んなって。むしろ謝んのオレだろ。こんなこと言ったらお前が困るって分かってたのに、結局言っちまったし」 やっちまったなぁ、なんて言いながらがしがしと頭をかく和ちゃんは少し無理をして笑ってるようで、それでもその原因である私がかけられる言葉なんてなにもなかった。 「ま、もうこれでお前のことすっぱり諦めつくし。これからも、今まで通り接してくれよ?相談とかも乗ってやるし」 和ちゃんはスッと立ち上がり、すれ違いざまに私の頭をぽんと撫でるとお隣に面してる窓に向かって歩いていく。私も立ち上がって後を追い、なにか言おうと口を開きかける。 「あの、和ちゃ…」 「だからさ、」 和ちゃんは窓枠に足をかけたまま、此方を振り向かずに言葉を発した。 「無視とかだけは絶対すんなよ。…頼むから」 それだけ言うと、和ちゃんは静かに自分の部屋へと戻っていった。 私には、和ちゃんの声と肩が少しだけ震えていたように思えた。 「っはよ!なまえ!」 「え…?あ、お、おはよう!」 「おいおい、何ぼーっとしてんだ?まだ寝ぼけてんのか?」 次の日の朝、家を出たら何故か門の前に和ちゃんが居た。しかも、出てきた私を見て満面の笑みで手を挙げてくれた。 突然のことに混乱している私を見て、和ちゃんは私の頭をちょっと乱暴にがしがしと撫でた。 「ちょっ、いた、痛いよ和ちゃん!」 「寝癖も誤魔化せるし目も覚めるし、一石二鳥だろ?」 「どこが!もーっ…ぐしゃぐしゃになったじゃん…」 うう…とへこみながら懸命に頭を撫で付けていると、和ちゃんがふっと優しく笑って私を見つめていた。見られていたことに気付いてかぁっと赤くなると、和ちゃんが優しい顔のまま頭を綺麗に撫で付けてくれる。 「ほら。直ったぜ」 「ん。…ありがと」 なんだか気恥ずかしくて仕方なくて視線を逸らしながらお礼を言えば、和ちゃんはすごく嬉しそうにニッコリ笑ってくるりと私に背を向けた。 「…オレのほうこそ、ありがとな!」 そのまま、片手をひらひら振って歩き出す。 和ちゃんのありがとうの意味がなんとなく分かった私は、なんだか嬉しくって安心してしまった。 これからもきっと、和ちゃんとはうまくやれる。そんな気がした。 だけど、そんな私の考えは甘かったということがすぐに分かった。 「っ…!!」 ドン!!と思い切り目の前の体を突き飛ばすと、案外簡単にふらりと離れていった。 「な、んで……」 そう呆然と言う和ちゃんは、ぽかんとした顔のまま、ゆっくりと自分の唇を指でなぞった。その仕草を見て、ついさっきまで私の唇に触れていたそれの感触を思い出して、私の顔も全身も、途端にかぁっと熱を持つ。 なんで、だなんて、私の台詞なのに。 「っ、ごめっ…オレ、わざとじゃ…!」 「わかってる!!」 何故だか泣きそうな顔で謝ってくる和ちゃんの言葉を遮って、私も俯きながら口許を押さえた。 本当に単なる事故だった。和ちゃんがたまたま私の目線と同じくらいにしゃがんでて、私が足元の荷物に躓いて、唇がぶつかって。 悪いのは私だ。不注意だったのも私。和ちゃんはなにも悪くない。なのに、和ちゃんは本当に泣きそうな顔で、何度も私に謝ってきた。 「ほんとごめん、オレ…」 「いいよ、私が不注意だったし…それに、私こそごめんね?痛くなかった?」 よく見ると、和ちゃんの唇の端から血が出ていた。触れ合うというよりはぶつかるといった方が正しいくらいの勢いだったから、切れてしまったらしい。 「ごめんね、痛いよね…沁みる?」 そっと近付いて和ちゃんの唇に手を伸ばすと、それが唇に触れる前に、ぱしりと腕を捕まれてしまった。 「…和ちゃん?…きゃっ!」 俯いた和ちゃんの顔を覗き込もうとするとぐいと手を引っ張られて、気付いたら和ちゃんに抱き締められていた。捕まれた手もそのまま、肩口に顔を埋めるようにぴったりと抱き締められて、密着する体に気付いた途端に恥ずかしくなる。 「か、和ちゃ…離して…?」 「…ごめん、ムリ」 「え…?」 返された言葉が予想外すぎて固まっていると、何故か和ちゃんは少しだけ力を緩めて、本当に至近距離で私を見つめてきた。 「っ…!!」 ゆらゆら揺れる瞳はそれでも何か強い意思を湛えていて、見ていられなくなった私は咄嗟に顔を逸らそうとした。でも、それは和ちゃんの力強い腕に邪魔されてしまった。 ぐい、と少しだけ乱暴に顔を押さえつけられて、眼が逸らせない。 「和ちゃ…んっ!?」 沈黙に耐え切れなくなって名前を呼ぶと、言い切らないうちに和ちゃんの唇に飲み込まれてしまった。さっきのとは違う、明確な意思を持ったキス。 「っん、…や、和ちゃっ…ふぁ、」 だんだんと深くなっていくそれに抗うこともできずに、抵抗の声すら飲み込まれて、私は随分と長い間和ちゃんに好き勝手されていた。 「…な、んで…?」 漸く唇が離れたときにはもう私の息は絶え絶えで、なんとか搾り出した声は震えていた。視界がじわじわと歪んで、あぁ私泣いてるんだなぁなんて他人事のように考えていた。 「…ごめん、オレ…我慢できなくて」 俯きながら、小さな声で謝る和ちゃんの姿がやけに小さく見えて、何故か胸が苦しくなる。和ちゃんは小さい頃から私のお兄ちゃんみたいな存在で、いつも私を助けてくれてた。だから、こんなに苦しそうな和ちゃんなんて、私は見たことなくて。 「なまえのこと、やっぱ諦めらんねーよ」 苦しそうに搾り出した和ちゃんの声も、私に負けず劣らず震えていた。私の心の中もぐちゃぐちゃで、なんて返していいのかわからない。黙ってばかりの私をよそに、和ちゃんは尚も独り言のように呟き続ける。 「何年…何年ずっと好きだと思ってんだよ…」 「和ちゃん…」 「それを、パッと出てきた男なんかに…渡したくねぇんだ…!」 突然また腕が伸びてくる。避けようと思えばきっと避けられたのに、私はそうしなかった。きつくきつく抱きしめられて、和ちゃんの腕の中で、いろんなことを思い出す。 初めて会ったとき、「よろしくな!」って笑顔で言ってくれたこと。 幼稚園のとき、周りの男の子にちょっかいをかけられて泣いてばかりだった弱虫な私を、守ってくれて、いつも一緒にいてくれたこと。 小学生のとき、クラスの男子に「お前ら付き合ってんのかよ」なんて冷やかされたりしたときも、いつものように明るく「そうそう!俺らラブラブだからさ〜!…なーんてな!冗談だよ冗談、ただの幼馴染だっつーの!」だなんて言って、その場を和ませてくれたこと。 私の今までの人生には、いつでも和ちゃんが居てくれた。 その和ちゃんが、どんな気持ちで傍に居てくれたかなんて、私は考えたこともなかった。 いつもいつも、頼って、守られて。先回りして、私に気付かれないようにいつも自然とお世話をしてくれてた和ちゃん。 私はずっと、そんな和ちゃんの気持ちに甘えてたんだ。 「今まで…本当にごめんね、和ちゃん」 「なまえ…」 今までの和ちゃんの気持ちを考えたら、なんだか涙が出てきてしまった。私が泣いたって、何も変わらない。そんなことはわかってるけど、溢れてくる涙は止まってくれなくて。 「私、いつも和ちゃんに頼ってばかりで…きっと、和ちゃんは今までも辛い思いとか、悲しい思いとかしてたんだよね。私、全然気付かなくて…ごめんなさい」 「謝んなよ!別にお前が悪いわけじゃ…」 「ううん。知らなかったから、許されるわけじゃないと思ってる」 抱き締められている体をもぞもぞと動かして和ちゃんの背中にそっと腕を回すと、和ちゃんがびくりと反応する。 「ごめんね。…それと、ずっと傍にいてくれて、ありがとう」 精一杯の気持ちを込めて、和ちゃんの背中に回した腕にも力を込める。お礼を言って、抱き締め返して。たったそれだけのことなのに、和ちゃんはすごく嬉しそうに、はにかむように笑ってくれた。 そんな和ちゃんに、私が返せることなんて本当に少なくて、それがとても苦しかった。 私は、和ちゃんに何もしてあげられないのかな。 「なまえ…」 和ちゃんは私の名前をすごく、すごく大切そうに呼んでくれる。大事なものを見るように見つめてくれる。そして、愛しくてたまらないとでも言うように、優しく微笑んでくれた。 「あー…やべぇ、」 「どうしたの?」 しばらく抱き合ったままでいると、和ちゃんが突然片手で顔を覆ってパッと体を離した。触れ合っていた場所にあった温かみが消えてしまって、なんだか肌寒く感じる。 「和ちゃん、大丈夫…?」 顔を抑えたままうー、とかあー、とか呻く和ちゃんが心配になって顔を覗き込もうとすると、慌ててもう片方の手で目を塞がれてしまった。 「きゃっ!?な、何も見えないじゃん!」 「いーんだよ、見えなくて!!つーか、今は見んな!」 「なにそれっ…う、んんっ!」 真っ暗な視界のまま、また柔らかなものが唇に押し当てられる。 またちゅーされた、と理解したときには、とっくに目隠しは外されていた。 「…和ちゃん」 「…んだよ、」 「……すごい、顔真っ赤だよ」 「っだぁーー!わかってんだよ!だからそれ以上は何も言うな!!」 本当は、すぐに文句を言うつもりだった。また勝手にキスしてきたこと、私の気持ちなんて全く考えてくれてないこと。だけど、手のひらが離れて最初に視界に飛び込んできた和ちゃんの真っ赤な顔を見たら、何も言えなくなってしまった。 なんで、そんなに嬉しそうな顔、するんだろ。 焦って恥ずかしがって、そんな和ちゃんを見たのはいつ以来だろう。わたわたと慌てる和ちゃんが可愛くて、いつの間にか私の怒っていた気持ちは消えてしまった。 「和ちゃん、」 「…んだよ、」 ゆっくりと名前を呼ぶと、まだ赤みが残った顔のまま、少しだけ不貞腐れたように返事をする和ちゃん。どうやらさっき笑ってしまったのを根にもたれたらしい。 そんなところも可愛く思えてしまうなんて、私はどうかしたのかもしれない。 「私、赤司くんとお別れするね」 私がぽつりと紡いだ言葉を聞いて、和ちゃんはぴたりと動きを止めた。呆気にとられたような態度に少しだけ笑いそうになったけど、真剣な自分の気持ちだから、真剣に和ちゃんに伝えたいと思った。 「和ちゃんとちゅーしちゃったことを、なかったことにはできないから」 「っ…ごめん!!!オレ、別れさせたくてキスしたんじゃ…!」 「わかってるよ」 さっきまでとは違って、一気に泣きそうになってしまった和ちゃんに、安心して、と笑いかける。 「和ちゃんの所為じゃないの。私の気持ちの問題なの。例え、和ちゃん以外の人にキスされてても、赤司くんとは別れなきゃって思ったと思う」 「お前…」 「だから、自分の所為だって思わないでね」 笑顔の私に対して、顔を歪める和ちゃん。私がいくら気にしないでと言っても、きっと優しい和ちゃんは、やっぱり自分の所為だって、ずっと自分を責めるんだろうね。 それが何故だかとても悲しいことだと思った。 「でもね、1つだけ言っておくね」 こんなに悲しそうな顔をしてる和ちゃんに、こんなことを言うのはとても酷いことなのかもしれないけど。 「私は、赤司くんと別れたからって、和ちゃんとお付き合いはできません」 それでも、きちんとけじめをつけたかった。大切な人だからこそ、伝えてくれた気持ちに対しては、曖昧じゃなく、はっきりと答えたかった。 「そっか…、ま、お前らしーよ」 私の言葉を聞いても、和ちゃんは泣いたりなんてしなくて、へにゃりと眉を下げたまま、優しく私の頭を撫でてくれた。 「じゃ、これからも、オレのことは兄ちゃんと思っていいからな?」 「え?…いいの?」 「モチロン。オレからしたら、お前に会えなくなんのが1番辛いからな」 なんでもないように言われた言葉にドキッとしてしまった。和ちゃんは特になんの意味を込めた訳でもないようで、そのままいつも通り「んじゃ、また明日な!」なんて言って自分の部屋に帰ってしまった。残された私は、ベッドにごろんと寝転がって、今日の出来事を思い返す。 最初は、ただの事故だった。 本当に、お互いなんの他意もない、事故だったはず。だけど、それがきっかけで、今までたくさんたくさん我慢をしてきた和ちゃんの心が、溢れてしまった。最後の一滴を垂らしたのは、きっと私で。 「赤司くん…」 目を閉じて名前を呼べば、綺麗な赤がまぶたの裏に浮かぶ。優しく微笑んで、穏やかな顔で「どうした?」って言ってくれる赤司くん。 私は、そんな彼を裏切ってしまったんだ。 「うっ…ごめ、なさ…い、ごめんなさ、い…赤司くん…ひっく」 彼のことを疑ってしまって、彼以外の人とキスまでしてしまった。 そんな私には、赤司くんの彼女でいる資格なんてない。 私はベッドの中で丸まりながら、泣いて、ただひたすら謝罪を口にすることしかできなかった。 朝になった、夢じゃなかった 翌朝、鏡を見たらそこには泣き腫らした所為で瞼が腫れぼったくなってる不細工な私がいて、あれは夢じゃなかったんだ、と、また少しだけ泣いた。 (「ごめんなさい」しか言えなくて、ごめんなさい) |