「はい早乙女さんお弁当!」

「おー。」

「今日も飲み?」

「多分なー。飯食って先寝とけ。」

「はーい、行ってらっしゃい!」


こんな新婚さんみたいな会話にも慣れた、今日この頃。 時が過ぎるのは早いもので、私がこの世界に来てもう一週間になる。
毎日同じことを繰り返していれば上達も慣れも早く、すでに早乙女さんの家は私の家も同然になりつつあり、私は自分がここに居ることに疑問を感じなくなっていた。

もともと考えても仕方ないことを考えるのが酷く苦手で、もうよくね?不自由もないし、と勝手に自己完結して過ごしていた。




私はいつも通り早乙女さんを見送るといつも通り食卓を片付け掃除機をかけ洗濯をし少し広いベランダに洗濯物を干す。
マンションの五階に位置するこの部屋は結構見晴らしがよく、この世界のこの町をしっかりと観察することができた。


「あれ、かな…?」


早乙女さんの会社っぽい建物を見つけてくすりと笑みを漏らす。最初に比べて、あの人は格段に優しくなった。優しくなったというよりは警戒心が薄れたと言ったほうが適切だろうけど。


早乙女さんは、不思議な人だと思う。
私を甘やかすわけじゃないのに(それどころか逆に虐めてくるのに)、一緒に居るのが心地良い。
私にこの暖かい居場所をくれた彼に、些細なことでもいいから何かしてあげたいと、柄でもないのにそう思うんだ。


「國春さん…」


ぽつりと名前を呟いてみれば、思いの外恥ずかしくて慌てて部屋の中に戻った。
あったかいようなくすぐったいような気持ちは、 胸に残ったまましばらく消えなかったけれど。


「ふふ、」


ごろりとリビングのソファに寝転ぶと幸せ、と小さな呟きが口から漏れて驚いた。
私今、幸せなんだなあ。


「國春さん…」


また小さく彼の名前を呼ぶと、ゆったりと浸食してきた睡魔に身を委ねた。










暗い暗い暗い。此処はどこ?
以前と同じような浮遊感なのに、今度はきちんと実体感がある。 視界も以前よりはクリアに見え、そして以前は感じなかった嗅覚が鉄臭い匂いを捉えた。むっと鼻をつく匂いに思わず顔をしかめる。
普段嗅ぎ慣れない、しかしどこかで必ず嗅いだことのあるような匂いはこの空間に充満しているようだ。


「ん…?」


ふと下に目をやれば、やはりぼんやりと人影が浮かび上がり、それは泣いていた。

嗚呼、あれは私だ、と脳が瞬時に理解する。
なぜ私が私の泣いているところを見ているのだろう?




……ぉ…と、…さ、ん




怪訝に思って耳を澄ましても、以前よく聞こえたはずの声は以前よりも聞こえづらくなっており、なんと言っているのかよくわからなかった。


「ねえ、なんで泣いてるの?」


今度ははっきりと聞こえる自分の声で、下で泣く自分に問いかけるが、返事はない。 それどころか目の前に居る自分は、益々声を張り上げてぎゅっとなにかを抱きしめて泣くだけだ。

背中越しに見ているため何を抱きしめているのかはわからない。だいたい、サッカーボール位の大きさだろうか。


くるりと前に回り込んで何を抱きしめているのか見ようと思い動こうとすれば、どこかで國春さんが私を呼ぶ声が聞こえた気がした。






ちょっと待ってよ



(あとちょっとで、大事な何かに気付ける気がするんです)