「はぁ…」

ここ最近、私の口から止めどなく漏れるのは、何度目になるかもわからない溜め息。その原因は、突然現れてまた突然去っていった、1人の青年だった。





神威に無理矢理抱かれたあの日以来、神威とは会ってない。会ってないというより、神威が船を出ていった。
阿武兎さんは私に気を遣ってか、「デカい仕事があるからなァ、仕方ねぇさ」なんて言ってくれたけど、避けられてるということは自分が一番よくわかっていた。

「はぁ…」

毎日、溜め息ばかり吐いてしまうのはやっぱり神威の所為で。あの日無理矢理抱かれたことは、確かに本意じゃなかった。でも、嫌じゃなかった。
それはきっと、もうとっくに、ずっと前から彼のことが好きだったからで。

「伝える時間もなかったし…」

本当は、最中にでも気持ちを伝えたかった。いや、伝えるべきだったのかもしれない。だけど、あの日はとても荒っぽく抱かれて、快楽と苦痛で今までにないくらい泣いて、結局最後は気絶してしまったのだ。私が目覚めたときには、すでに神威は船を出た後だった。

「ほんと、いつもいつも勝手なんだから…」

大切なブレスレットの兎を撫でながら、じわりと目に浮かんだ涙を拭う。なんだかやけに涙脆くなってしまったみたいだ。

私が泣いたから、弱くなったから、神威は出ていったのかもしれない。元々、私は彼に気に入られるほど強くもなくて、ハリボテの強さでなんとか乗りきってきただけだった。
それを、あの日に見抜かれたのかも。

「あーあ…強くなりたい、なぁ」
「じゃ、強くなる為に特訓でもするか?」
「あ…阿武兎さん」

ぼそりと呟いた独り言は見事に聞かれてしまったみたいで、振り返ると片手をあげた阿武兎さんが傘をさしたままこちらにやって来ていた。
阿武兎さんは私の隣に並んで、甲板から眼下に広がる青い空を見下ろす。

空が下にあるなんて変だなぁ、なんて最初は思っていたのに、今は見慣れてしまったのだから恐ろしい。それほど、私は長くここにいるということで。

「それとも、地球に帰してやろうか?」

ぼんやりと空を眺めていたら、隣からビックリするような提案をされる。突然の阿武兎さんの申し出に、心臓がドキリとした。今なら、元の生活に戻れるのかもしれない。神威と出会う前の、平凡な、普通の生活に。

「団長がなんて言うかは知らねぇが…最近のアンタを見てると、辛そうでいけねぇ」
「阿武兎さん…」

本当に、彼は優しい人だ。勝手なことをすれば怒られるのは自分なのに。そんな彼の気遣いを有り難いとは感じるものの、何故だか私は帰りたいとは即答できなかった。

「で?どうすんだ?一応、団長は1ヶ月後には船に戻ってくるらしいぜ?」
「ええっ!」

初めて聞いた情報に驚く。いつも、彼がいつ帰ってくるかとしつこいくらいに聞いているのに。
恨めしげな視線を送っていると、阿武兎さんは面倒くさそうにボリボリと頭をかいた。

「いや、ついさっき無線で連絡が入ってよォ。…んで、どうする?」
「う…」

選択肢は、2つに1つ。神威が帰ってくるのを待って此処に残るか、神威が帰るまでに元の生活に戻るか。

ここにやってきてから、今までのことが走馬灯のように思い出される。良い思い出も、悪い思い出も、嬉しかったことも悲しかったことも、一緒に過ごしてきた時間を思い出す。

「阿武兎さん、」
「ん?」
「お願いがあります」

私は、1つの道を選択した。









コツリコツリと廊下を歩く足音がして、それがだんだんと近付いてくる。カチャリとドアノブを回す音を聞いて、いつの間にか足音は部屋の前まできていたことに気付いた。
ゆっくりと扉が開いて、それからまた静かにパタンと閉まる。そこまで確認した私は、握りしめていたカーテンを思いきり開いた。

「っ、」

反射的に後ずさった相手を逃がさないように、ぐるりと鞭のような縄で縛り上げる。上手いこと縛り上げた相手を布団の上に転がすと、開けたばかりのカーテンをサッと閉じた。

「…お帰りなさい、神威」
「ただいまなまえ。酷いなぁ、帰って早々縛り上げるなんて」
「そう?こういうのもたまにはいいかと思って」

お互いにニコニコと笑顔を向けながらも、表面的なものでしかないのはわかりきっている。
私はすぐに無意味な笑顔を引っ込めると、ぐるぐる巻きになっている神威の上に乗り掛かった。

「ぐえ、」
「こら、全然体重かけてないでしょ!」
「あはは、冗談だヨ。なんなら全体重かけてもいいけど」
「重くもないくせに重いとか言いそうだから止めとく」

こんな風に軽口を叩きあうのも、いつぶりだろう。懐かしさと嬉しさに一瞬だけ涙腺が緩みかけたけど、いつでも抜けようと思えば抜けられるくせに、私に捕まったまま待っていてくれる神威のためにもグッと堪えた。

「ねぇ、神威」
「ん?」
「なんで避けるの?なんであの日から、帰ってきてくれなかったの?」
「それは仕事が…」
「仕事なんてとっくに終わってたんでしょ?」

声が震えないように、気を付けながら喋る。神威はいつも通りの笑顔のままで、何も話そうとしない。

「ねぇ、答えて神威。こんな弱い私なんて、要らなくなったの…?」
「なまえ、」
「こんなことで泣くような弱虫は、嫌いになった…?」

我慢してたはずなのに、神威の顔に水滴がポタポタと垂れていく。きっと酷い顔なんだろうな、なんてぼんやりと思いながら、私にできる精一杯の力で神威の首筋に噛み付いた。

「っ…!」

息を飲むような音と一緒に、噛み付いた横にある喉仏がひくりと動く。それをそっと指先で撫でながら、いつかされたのと同じように、舌先で傷をえぐるようにしながら、ねっとりと舐め上げる。

「…ちょっと会わないうちに、なまえもなかなか過激なことを覚えたんだネ」

口のなかに広がる鉄の味を何故か美味しいと思う。たぶん、それは相手が神威だからで。

「美味しいね、神威」
「怖いなぁ、俺のこと食べちゃう気?」
「それもいいかなぁ。私に食べられて1つになる?」

冗談に少しの本気を隠して、今度は本当に心からの笑顔を向ける。涙の所為できっとぶさいくな泣き笑いにしかなってないだろうけど、神威はそんな私の顔を見るといとも簡単にぶちりと縄を千切ってしまった。
そのまま、ぐるりと世界が回って、形勢逆転。

「なまえに食べられるのもいいけど、俺がなまえを食べる方がいいな」
「それはヤダ」

ペロリと首筋を舐め上げてきた神威の頭をぐいと押し退けて、狭い布団の上で見つめあう。

「…なんで?」
「だって、神威はきっとまたどこかで私を置いていくから」
「ちゃんと帰ってきたでしょ?今度も…」
「嫌なの」

神威の言葉を遮って、目の前の大馬鹿に抱き付く。

「離れるのが怖い。いつか、そのまま帰ってこなくなりそうで怖いの」
「なまえ…」
「今はまだ弱いけど、少しずつ強くなるから。足手まといにならないように頑張るから。強いって言ってくれた中身も、本当はこんなんだけど、ちゃんと強くなるから」

とくりとくりと耳に響く神威の心音と、そっと背中に回してくれた腕から伝わる体温の所為で、また私の涙腺はじわりと緩み出す。
それでも、神威にしては珍しく、とても優しく背中を撫でてくれていたから、私はそのまま話を続けられた。

「神威に、ずっと返事をしたかった」
「…返事?」
「最後に言ってたでしょ?『なまえを全部頂戴』って」

緩い拘束から抜け出して顔を上げ、そのままぽかんとした顔の神威に柔らかなキスをする。

「あげるよ、全部。私を神威にあげる」

私の言葉を聞いた神威は、やっぱりいつもみたいな噛み付くようなキスをしてきた。

「…いいの?たぶん俺、これからもいっぱいなまえに怪我させるよ?」
「ん、」
「いっぱいなまえのこと泣かせるし、いっぱいなまえのこと傷付ける」
「っ、ん」
「それでも、いいんだ?」
「う、んっ…」

器用にもキスの合間に子供のような不安ばかりをぶつけてくる神威が可愛くて、つい笑顔になる。
キスは今まで通りの荒っぽいものだったから、短い返事しかできなかったけど。

「じゃあ、ほんとになまえを貰うネ」
「あ、ちょっと待って」

いつもの笑顔でがばりと覆い被さってきた彼の目の前に、ぴしりと指を突き付ける。

「ただし、条件がある」
「…なに?」
「私を神威にあげるから、神威を私に頂戴。それが条件」

にっこりと笑って言えば、神威はきょとんとした顔から一転して、にやりと笑った。

「まったく、なまえは欲張りだなぁ」
「どうするの?」
「おとなしくなまえをくれないと、殺しちゃうぞ?」

いつかのやり取りの真似事を、笑顔でじゃれるようにする私たち。

「好きにすれば?その代わり、私もアンタを殺すから」
「おー、それは楽しみだネ」

クスクスと額をくっ付けあって、笑いながら啄むようなキスをする。

「それで?どうするの?」
「仕方ないなぁ」

スッと私の左手を取った神威は、ポケットから取り出した綺麗なゴールドのリングを、そのまま私の薬指にはめた。

「え…?」
「地球ではこうするんでしょ?探すのに時間かかってサ」

うん、似合うね、なんて言いながら、再び私を押し倒す神威。まったく状況が理解できなくて固まる私のおでこに、珍しく優しいキスを落とした。

「俺はなまえを全部貰うから、なまえにも俺を全部あげる。これでいいんだよネ?」

いろんな感情がごちゃごちゃになって声がでない。泣きながら必死で何度も頷く私の目尻をペロリと舐めて、神威はいつも通りの顔で笑った。

「なまえはどこも美味しいネ」







傷つけてもいいから
(これからもずっと、あなたの側に)


20130814