「はぁ…」 ここ最近、私の口から止めどなく漏れるのは、何度目になるかもわからない溜め息。その原因は、突然現れてまた突然去っていった、1人の青年だった。 遡ること、約1ヶ月前。 深夜までかかった仕事をようやく終わらせ、意気揚々と愛しの我が家に帰ってきた私は、玄関の前で途方にくれていた。 「行き倒れ…??」 ご丁寧に我が家の目の前でうつ伏せに倒れているのは、見たこともない男だった。肌は透けるように白く、髪の毛は眩しいくらい明るい橙だ。 そのコントラストが美しくて、思わず近寄る。鼻筋はスッとしていて、どこか中性的な顔立ちにも見える。 「おーい…生きてる?」 恐る恐る声をかけると、突然、弱々しいとは到底言いがたいほどの力で足首を掴まれた。 「いっっ゛っ!!」 「オネーサン、ご飯…」 どうやら私の声で意識が覚醒したらしい青年は私の悲鳴などお構いなしに、足首を掴んだ手を離すこともないまま小さな欠伸をこぼした。 「ふ…っざけないで!離しなさいよ!!」 痛みと混乱で、ついきつめの口調で叱りつけながら手を振り払ってしまった。 青年は「いつもならすぐ殺してあげるのに…」とかなんとかよく聞こえない声でぶつぶつ呟くと、またぱたりと動かなくなった。 …邪魔だ。果てしなく邪魔だ。 玄関の目の前でこう倒れられては、家の中に入ることもできない。疲れ果てた頭で、このまま朝までこいつと外にいるか、一瞬中に入れてなにか食べ物を与えて即座に追い出すか、どちらを選ぶべきか考えてみる。 答えは簡単に出た。 「…ありあわせでいいなら作ったげるから、そこ退いて」 「よかったー、助かるヨ」 私が言葉をいい終えないうちに、青年は今までの様子はなんだったのかと言いたくなるほど素早く起き上がり、そのままの勢いでついでに我が家の扉を破壊した。 「どうしたの?はやく入りなよ」 壊した扉をぷらぷらと片手に下げたその満面の笑顔に殺意がわいたのは言うまでもない。 「はー、喰った喰った。オネーサン、なかなか料理上手だネ」 寛いだ様子で我が家のソファーに腰掛ける男とは対照的に、私はキッチンで項垂れていた。買い貯めておいた1週間分の食材を、1食分で食べきられてしまったからだ。 「あんたの胃袋はブラックホールか…」 ぼそりと呟いた怨み言も全く聞こえていないようで、呑気にテレビなんかを見始めている。 ニュースでは、ここ最近世間を騒がせている【宇宙海賊春雨】について報じていた。 「さて、食べるもんも十分すぎるほど食べたし、もういいでしょ。早いとこ出てって」 「んー、それが、そうもいかなくてネ」 「は??」 意味のわからないことを言い出した青年はついとテレビを指差す。そこには、目の前でニコニコと笑う顔と全く同じ顔が映っていた。 「もう一度繰返しお伝えします。只今、【宇宙海賊春雨】の幹部と見られる天人が、地球に潜伏している可能性が高いとのことです。この天人は夜兎という稀少な戦闘種族でとても好戦的なため、非常に危険です。市民の皆さんは、夜間の外出は控えるよう、ご注意ください」 「…だって。ホラ、いま出てったら捕まっちゃうだろ?」 ああ、何でだろう。頭痛がする。 テレビのアナウンサーの声がやけに頭に響いて苛立つ。ぶちりとテレビを消してから、相変わらず目の前でニコニコと笑う男をもう一度見て、溜め息を吐く。 …なんで私がこんな厄介な目に。 「まぁまぁ、そう落ち込まないで。1週間くらいすれば、俺の部下が迎えに来るから」 「1週間!?」 思いの外長い期間に思わず声を荒げる。なんたって、1週間分の食材を1食分で食べきる男だ。 私のお財布どころか貯金までもがすっからかんになること間違いない。 「そんな余裕はうちにはないので却下」 「あ、もちろん金なら部下が迎えに来たときにきちんと払うヨ。謝礼もつけるけど」 「謝礼…」 思わず唸るように呟いてしまった言葉に、青年はウン、と笑顔で頷く。 魅力的な言葉だ。とても。いまをときめく宇宙海賊からの謝礼なんて、一体いくらもらえることか。 (それに…) ちらりと視線を向ければ、こてりと頭をかしげる青年。私は、いくら不本意とはいえ、彼を拾ってしまった。その責任は、もちろん私にもあるわけで。 「…仕方ない。本当に、1週間だけだから」 「もちろん!ありがとネ、オネーサン」 溜め息を吐きながらもOKを出した私に嬉しそうに笑う青年。そんな彼の前に、私はぴしりと人差し指を突きつけた。 「ただし、条件がある」 「え?」 「私の名前はオネーサンじゃなくて、なまえ。次にオネーサンって呼んだらすぐに追い出すから」 「なんだ、そんなこと。わかったヨ、なまえ」 「あと、あんたの名前は?」 「…それ、言わなきゃダメなの?」 すうっと細い瞳が開かれて、初めて彼の瞳を見る。底冷えするような深い色に思わずぞくりとしたけど、それを顔には絶対に出さずに言葉を紡いだ。 「ダメ。名前もわかんないような奴を1週間も置けない」 「…まったく、おとなしくしてあげてたのに。あんまり煩いと、殺しちゃうぞ?」 今度は、完全な脅しと共に腕を掴まれた。ミシリと嫌な音がするそれは、たぶん彼が力を込めれば簡単に砕けてしまうのだろう。 「殺したきゃ殺せば?その代わり、あんたはまた宿と食事を失って、行き倒れるかブタ箱にいくかのどっちかになるだろうけどね」 腕に走る激痛を自慢のポーカーフェイスでひた隠して、青年に吐き捨てるように告げる。彼は一瞬だけ驚いたように目を開いてから、笑いながら私の腕からパッと手を離した。 「アハハ、面白いね、アンタ。気に入ったよ」 「それはどーも。それで、あんたの名前は?」 アザになった手を極力見ないようにしながら訊ねれば、彼はにっこりと笑って答えた。 「カムイ。俺の名前は、神威だよ」 こうして、私と神威の奇妙な1週間は始まったのだった。 それから1週間、神威のセクハラやら物騒な発言やら大食いやら脅しやら無茶なお願いやら、様々な問題に断固として屈しないよう接していたら、何故か益々気に入られてしまった。 挙げ句の果てには、「俺の船にこない?」と海賊に誘われる始末。勿論丁重にお断りした。 神威には振り回されてばかりの日々だったけれど、日が経つにつれ、私は彼のいる毎日を段々と大切なものだと感じるようになっていた。 「神威は強い人が好きなんでしょ?私みたいな弱い地球人のどこがいいの?」 一度、食後にまったりとデザートを食べながら、こんな問いかけをしてみた。 彼は一瞬だけきょとんとした顔をして、それからすぐに笑い出した。 「何言ってるの、なまえは強いだろ?」 「は?神威こそ何言って…」 「なまえは中身が強いんだヨ。外側の器が地球人みたいに弱っちい種族じゃなく、俺たちと同じ夜兎だったら最高によかったのに…。残念だネ」 言うだけいった彼はまた美味しそうにデザートを口に運び始めたが、私はぼんやりとそれを見ているしかなかった。 誉められたはずなのに、残念、という言葉がどうしても頭から離れなかった。 始まりも突然だったが、終わりはそれよりも唐突だった。 「よォ、邪魔するぜ」 ちょうど彼が来てから1週間経ったその日、突然我が家に大柄な髭面の男がどしどしと入ってきた。 いつかのように再び破壊された玄関の扉を見て、思わず声をあげる。 「なっ…!あんた一体何もごっ、」 「ああ、阿武兎。思ったより早かったネ」 「ったく…世話の焼ける団長だなァ、アンタは」 「俺の世話をするのもお前の仕事だろ?」 「ハッ、そりゃ身体がいくつあっても足りねーぜ」 文句を言おうと開いた口は、神威によって強制的に閉じられ、二人はそのまま親しげに話始める。 というか、鼻の骨折れそう。しかも、息できない。 苦しさも限界に近づき、ギブギブ!!の意味を込めて神威の腕を叩くと、「あ、忘れてた」なんて笑顔でいいながらサッと腕を離した。 ふざけんなという気持ちで鼻を摘まんでやると倍以上の力で返されて思わず手を離す。くそう、鼻もげるかと思った。 「…アンタ、すげぇな」 「は?」 そんな私たちのやり取りを静かに見ていた男が、顎髭を擦りながら私を上から下までじろじろと観察する。 「見たところ普通の地球人だが…団長にエラく気に入られてんじゃねぇか。腕っぷしには自信があんのか?」 「あるわけないでしょ」 そもそも、天人と人間を比較するとこから間違ってる。しかし、そんなことを目の前の相手に話す理由もない。 顎髭の男から目をそらしふいと横を向くと、簡単な荷造りをする神威が目に入った。どうやら、生活必需品として買い揃えた物の幾つかは持っていくみたいだ。 1週間という時は、私の部屋に彼の痕跡を増やすには十分すぎる時間だった。 「…行くんだ?」 「ウン。仕事があるからネ」 笑顔で軽い荷物を持ち上げた彼に、何か言いたいのに何も浮かばない。 「あ、そういえば、謝礼」 しばらく考えて、やっとでたのがこの言葉だった。 「ああ、あれね。そういうことはしっかり覚えてるんだ。…阿武兎」 「はいよ団長。ちゃんと用意してるぜ」 どさりと部屋におかれたのは、袋いっぱいに詰められた金貨。 本当はこんなものが欲しかった訳じゃないのに、「ありがとう」と勝手に口が動いていた。 「此方こそ、ありがとネ。楽しかったよ、なまえ」 顎髭の男が静かに家を出て、彼もそれに続こうとする。無意識のうちに伸ばしていた手が、彼の服を掴んだ。 「…ん?何カナ?」 笑顔で振り向いた彼の顔には、寂愁の念など微塵もなかった。 私だけ、か。 すとん、と何かが胸に落ちる。 「…また、近くに寄ったら来なさいよ。ありあわせでいいなら、ご飯くらい作ったげるから」 素直になれない私に言える言葉は、これくらいしかなかった。そんな私に向かって彼はいい笑顔で頷き、そのままあっさりと行ってしまった。 「あ、そうだ」 …と思いきや、ひょっこりと開きっぱなしの玄関から顔だけ覗かせて、私を呼んだ。何事かと近くによると、チャリ、と何かを手渡される。どうやらアクセサリーのようだ。 これはどういうことかと尋ねようと顔を上げた途端、一瞬だけ、唇に噛み付かれた。 呆然とする私を放って、彼はそのまま、一言だけ残して去っていった。 「はぁ…」 またしても、別れ際の詳細まで思い出してしまった所為で溜め息が漏れる。文字通り噛み付かれてしまったため、ピリッとした痛みと共に出血までしてしまったが、その傷もいまではもう癒えてしまっていた。 「ほんっと…勝手な奴。もう1ヶ月だし」 自分の右腕に揺れる金色に向かって、独り言のような呟きを溢す。あのとき手渡されたのは金色のブレスレットで、可愛い兎のチャームが1つだけ付いている。赤い目の部分にはルビーのような石がはめてあり、それに向かって愚痴るのが癖のようになってしまっていた。 「1ヶ月まったく連絡なしってどうなの?てゆーか、最後のアレとかほんと卑怯だし」 「アレ?最後のアレって何だっけ?」 「アレはアレに決まってんじゃん。最後に私に…ーーっ!!」 一人だったはずなのに。誰と会話してんの私!! 半分パニックになりながら、だけど、声を聞いたときから、半分は確信していて。 勢いよく振り返ると、そこには思っていた通り、相変わらずのニコニコした顔でこちらを見る神威が居た。 「っ…!あんたねぇ!!いままでなんの連絡も寄越さずに、どこほっつき歩いて…っ!んうっ、」 私の盛大な文句は、途中から神威の大馬鹿にぱくりと食べられてしまった。文句も、非難も、寂愁も、嫌悪も、すべて神威に食べられて消えていく。 ここ1ヶ月ほど私を悩ませていたどす黒いものたちは、すべて神威に食べられて跡形もなくなってしまった。 暫く私の口内で好き勝手暴れていた神威は漸く満足したのか、最後に私の下唇をやんわりと噛んで離れていった。今度は、ピリッとした痛みも、鉄の味もしない。 「あぁ、そっか。最後のアレってもしかして…今の?」 何も言えないでいる私と違って、神威はニコニコ笑いながら私の唇を今度は指で撫でた。 ずるいずるいずるい。 そんな言葉ばかり出てきてしまいそうで、必死で唇を噛む。 「こら、」 「いだっ!」 と思ったら、突然神威にでこぴんされてしまい、あまりの痛さに声が出る。 「ありゃ、手加減はしたんだけど。…やっぱり地球人は脆いねぇ」 珍しく、神威が私の額を撫でてくれた。そんな労るような動作をされたことがない私は、不覚にもドキリとしてしまう。 神威は私の額を撫でた指を…そのまま、自身の舌で、ぺろりと舐めた。舌先には、赤い液体。 「ちょっ、こらあああ!!出血!!血ィ出てる!!」 「煩いなぁ、わかってるから舐めたんでしょ。舐めときゃ治るヨ、そんな傷」 けろりとした顔で、自分がつけた傷を何でもないように言ってくる彼はすごく恐ろしい、…のだと思う。普通の人なら。 「…普通、指じゃなく傷を舐めるでしょ」 「あり?そうだっけ?なら…」 顔を掴まれて、引き寄せられて、ピリピリとした痛みと共に、確かに舐められている感触が伝わる。 「これで、すぐ治るネ」 「…そうだといいけどね」 悪態を吐きながらも、ドキドキとうるさい心臓の音が彼に聞こえてしまわないことを願う。 こんな彼が好きな私は、どこかで普通の人から外れてしまったのかもしれない。 「てゆーか、なんできたの?」 私の額の治療(?)が終わると、私は気になっていたことを訊ねる。彼はそこら辺にある荷物をすべて、持ってきた大きな箱に入れながら答えた。 「いつまで経ってもなまえが素直に俺のこと呼んでくれないから、我慢できなくなって来ちゃったんだよネ」 「え?」 「言ったでしょ?魔法の言葉で迎えに来るって」 話ながらもどんどん私の部屋は物が少なくなっていく。まるで、引っ越しをするみたいに。 「え、ちょっと待っ…」 「待たない」 最終的には、制止する私すら担ぎ上げて、彼はまた玄関の扉を破壊して外へ飛び出した。 正確には、我が家の目の前に止めてあった、大型の宇宙船に飛び乗った。 「いやいや!!離して!帰る!!」 「嫌じゃないデショ?」 物凄くいい笑顔で顔を覗き込まれて、思わずグッと言葉に詰まる。言い返せないのはつまり、それが図星だからで。 「そもそも、なまえが素直にならなかったのが悪かったんだヨ」 「っ、だって、あんなこと言うの…」 「恥ずかしがるなまえも可愛いけど、俺はいーっぱい待たされたんだから、少しはご褒美貰ってもいいよネ?」 「ご、ご褒美…?」 嫌な予感にひくりと頬が引きつる。そんな私にお構い無く、神威はいい笑顔で言い放った。 「今日からなまえも春雨の一員だから」 「はぁ!?」 「ちなみに俺の部下ね」 今すぐ会いたいよ (使わなかった魔法の言葉) 20130814 |