「…そういえば、クロの包帯替えなきゃ、ね」


ぼんやりと何かを考えていた主はふと己の脇腹を見てぽつりとそう呟いた。己の手中から紙と黒いものを取って卓上に置き、寝台の前に座らせられる。


「えーと…確か切傷と刺傷だったよね」


己に問うのではなく、記憶を辿るようにそう呟きながら己の傷を確認していく主。傷のない、白くて小さな手が己に巻かれた真っ白な布にそっと触れる。


「クロ、包帯替えるけど…痛かったら手、あげてね」


この布は包帯というらしい。心配そうに顔をくしゃりと歪める主に向かって安心させるようにこくりと頷いた。
主は己が頷いたのを見て、包帯に手をかけしゅるしゅるとほどいていく。


「うわぁ……」


腕と足の切傷は本当に掠り傷程度で、普段なら包帯など巻かずとも放っておけば治る程度の傷だ。しかし、主はそれも手際よく手当てしてくれた。
そして脇腹の刺傷の番になると、主はついに声を出した。今までテキパキと手当てを施してくれていたからすっかり手慣れているのだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。

ぺらりと服を捲り上げているため己からは傷口が全ては見えないが、チラリと見えるのは抉れた肉が少し引き吊れたように固まりかけている部分だった。
己からしてみれば大した傷ではなくよく見かけるものだが、主はそうではないらしい。
先程よりもぐっと眉を寄せ、まるで自分がその怪我を負っているかのような表情をしている。


「…絶対痛いだろうけど、ちょっと我慢してね」


こくりと頷くと、覚悟を決めたような表情をしてなにやら液体を傷口にかけられた。
己がいつも使う薬よりは、刺激が少ないようだ。


「…………」


そう思っていたが、だんだんと焼けつくようなピリピリとした痛みが酷くなってきた。今までにない感覚に少しだけ口を強く結ぶ。


「ふはっ、」


すると、突然目の前に居た主が笑った。何か楽しいことでもあったのかと思い視線をそちらにやれば、まだ笑みを残したまま少しだけ申し訳なさそうな顔になった。


「あ、ごめんねクロ。やっぱりクロも痛いのは痛いよね。我慢してえらいえらい」


えらいと言いながらスッと主の手が己の頭に伸びてくる。一瞬だけ身を固くしてしまったが、主には殺気もなければ武器もない。警戒することなどない、と言い聞かせて動きそうな身体を抑える。
小さな手はぽふんと柔らかく己の髪を撫でた。


「うはー…すごい触り心地いいね。サラふわ」


大人しくされるがままになっていると、主がどんどん笑顔になっていく。己の頭はそれほどまでに触り心地がよかったのだろうか。包帯を巻き直され、手当てが終わってからもしばらく主は己の頭を撫でていた。どうやら触り心地を気に入ったらしい。己の頭の触り心地は分からないが、己の頭を撫でる主の手が暖かくて優しくて心地よいということは分かった。


「ん?どしたのクロ?」


だからだろうか、主の手が離れていった途端、つい反射的に主の手を掴んでしまったのは。
主に怪訝な顔で問いかけられ、己の腕を見つめればあることに気付いた。
そういえば先程、己は主に爪を立ててしまっていた。少しだけ焦る気持ちを隠し主をひょいと抱き上げる。


「え!?は、ちょっ、なに?」


わたわたと慌てる主に構わず主を寝台にゆっくり下ろす。そのまま、主の着ている変わった着物に手をかけた。袴とも随分造りが違う不思議な着物をなんとか脱がそうと試みる。


「ちょっ、クロ!!こらチャック開けるなズボンを脱がすなあああ!!」


いろいろと試すとなんとなく脱がせ方がわかった。主はバタバタと暴れていたが、構わず着物を脱がせる。脱がした着物がシワにならないように丁寧に畳み、寝台の脇に置いておいた。おろおろと焦る主の前に跪き、心の中で謝罪しながら主の細くて白い脚にするりと手を這わせた。


「うひゃっ!く、クロ!!」


くすぐったいのか、身を捩り己の頭を抱えて声をあげる主。主がとても嫌がっているのはわかるが、いくら遅効性のものだからといって毒は早めに取り出すに限る。
暴れる主の脚をしっかりと掴み、患部に顔を寄せる。

…やはり、少しだけ毒が回ってしまっているようだ。


「んっ…!ん?それ…」


そっと患部を撫でれば漸く主も気付いたようだった。少し紫色に変色し、小さな赤い痕が2つぷつりと付いている。まだ紫が濃くないので自覚症状はほとんどないはずだ。


「何それ?そんなのいつ…っひあ!」


そっと患部に口付けて、いつもやるように毒抜きを行う。己はこの毒に耐性があるため、吸出した毒はそのままこくりと飲み込む。毒と共に入ってくる主の血が、なんだかとても甘美な味に感じて目眩がしそうだ。


「ぎゃあああ本当に止めて頼むからあああ!!」


ぎゃーぎゃーと叫ぶ主に構わず何度か毒抜きを繰り返す。


「も、止めてよ…クロ…」


少し弱々しい主の声。反射的に顔をあげて主の顔を見ると、顔を真っ赤に染めて涙目で懇願するような表情をしていた。


「…………」


これはなんだ。
込み上げてくる言い様のない感情が勝手に己の表情を変える。頬が緩む感覚を自覚して、すぐに毒抜きに戻った。
もうほとんど毒抜きは終わっていたけれど、唇を這わせた時の主の表情になんとも言えない感覚が背筋を震わせた。


「もうやめてくれえええ」


結局、主が根をあげてしまうまで毒抜きを続けた。だいぶぐったりとした主の脚に、労るように己の薬を塗っていく。


「…はぁ。今塗ってるのってなんなの…?」


丁度塗り終わる頃に主に訊ねられて、置いてあった紙と黒いものをサッと取ると返答を書いた。


「…かい、かいどく…ん?“解毒剤”?」


こくりと頷くと、主の顔から面白いほど一気に血の気が引いていく。
青い顔のまま困惑する主は状況を把握できていないようだ。再び手を動かして事情を説明する。


「えーと…“己の爪で主を傷付けた時に”?あぁ、もしかしてあの時!」


主の言うあの時がいつかは分からないが、思い当たる節があったのか主も理解したようだ。
それから、何かに気付いたようにハッとした顔で此方を向いた。


「え、クロの爪って毒あるの?」


その問いに答えるため、鉤爪を取り出して手にはめた。主は数秒ほどぽかんと己の手を見つめていたが、突然驚いたように目を丸くして叫び出した。


「ちょ、物騒にも程があるでしょおおおお!私が死ななかったからいいようなものの、毒って…!」


どうやら主は毒というものと無縁の生活を送っていたようだ。己の持っている毒の中でも一番弱いものでもあれだけ効いていたのだから、耐性もないのだろう。


「ん?“遅効性の毒だからなかなか死なない”?ってそういう問題じゃない!!」


一応遅効性の弱い毒であることを伝えると余計に怒らせてしまった。
「なに考えてるの!」やら「大体物騒なものが世の中に溢れてるから…」だなんてよく分からない話が始まってしまった。
結局何が言いたいのか分からずきょとんと首を傾げると、やはり主は一瞬だけ融けるような顔をして慌てて首を振っていた。


「とにかく、今後我が家ではそういう装備は禁止!丸腰で大丈夫だから!!」


主は己に武器を持つなと言った。しかし、丸腰ということは己にしてみれば殺してくれと言っていることと同義である。そんなことは考えられない。
そしてふと頭に浮かんだのは、主が危害を加えられる場面だった。一瞬浮かんだそれを考えただけで、気付けば自然とクナイを握ってしまっていた。
主を怖がらせぬよう、言葉を書きながらそっとクナイを仕舞う。


“いざという時、主を守る為に武器は必要”


己はまだいい。しかし、こんなに弱くて細くて頼りない主が、いざという時に敵に立ち向かえる筈がない。己が守らねば、一瞬で主の命は散り行くだろう。


「正論っちゃ正論なんだけどね…」


ため息を吐きながらそう言う主の前で鉤爪を外す。主は知らなくていい。暗く、汚いものは主には似合わないだろう。

それは全て、己の仕事。