「おーい、クロ。ご飯だぞー」


女がそう言って茶色い何かをずいと近付けてきた。明らかに、見たこともない色や形、嗅ぎ慣れない臭いについ警戒心が募る。兵糧丸のようでもあり、カサカサと乾燥しているそれは非常食のようでもあるが…なんだか魚の匂いが混ざっているような気がする。


「おーい…お腹減ってんでしょ?食べなよー」


ぐいぐいと寄せてくるが、こんな明らかに怪しいものを食べる気はない。体力を回復したいところではあるが、致し方ないと己を叱咤する。ジリジリと一定の距離を保っていると、痺れをきらしたのか、女が動いた。


「仕方ない、一か八か……秘技、ねこまんま!これならどうだ!!」


女は一度背を向けてカチャカチャと何かを用意すると、目の前にババーン!と言いながら粥のようなものを椀に出してきた。見た目は粥に近いが…匂いからしてどうやら味噌汁の中に白米を混ぜたものらしい。贅沢なものだ。


「ほらほら、ご飯食べなきゃ元気になれないよ」


とん、と器を置いて、女は隣の部屋まで下がる。手を出す気はない、と示したいらしい。

何度か女と出された椀を交互に見て、体力回復が優先だと判断をくだした。椀の前まで行き、じっとその飯を見る。


「……」
「美味しいから食べなって」


いつもより鋭くなっている鼻で匂ってみたところ何かが混ぜられているような匂いはしなかった。女の言葉を信じたわけではないが、ゆっくりと口を寄せる。
パクリと食べてみれば、想像よりも少し味の濃い、しかし美味いものだった。ガツガツと食べていると、「よかった」と女がぽつりと呟くのが聞こえた。どうやらずっと己の心配をしていたらしい。変な女だ。

ササッと食事を終わらせて女を見ると、ガサガサと何かを取り出している。中身が見える箱に黄色や茶色の色とりどりの何かが詰め込まれているようだ。なんだあれは。

台の下からではよく見えないため仕方なく女の膝に飛び乗る。女は己に気付いてないようだ。

ぱかりと蓋が開けられてなんとも言えない匂いが鼻をついた。やはり、見て匂ってみてもこれがなんなのかは皆目検討がつかない。


「あ、お茶…ってうわ!!」


ぴくりと女の足が動いたため、反射的にしがみつこうと身体が動く。女は今己の存在に気付いたらしく、大変喧しく叫びだした。


「クロ!爪立てちゃ危ないでしょーが!こら、一回降りなさい!」


降りろと言われてもこんな微妙な態勢から飛び降りられる筈もない。まずは先程のように足場を安定してくれないことには降りようにも降りられないのだ。


「クロ!!」


そんなこともわからないのか、女はひたすら己に向かって何かしらを叫んでくる。ついには手で無理矢理引き剥がそうとしてくるからつい此方も余計にしがみつく。


「っ、いい加減に…おわあっ!」


ガタン、と嫌な音がしてぐらりと足場である女が傾いた。反射的に身体に力が入って、爪が少しだけ肌にぷすりと刺さる感覚。それを利用して、グッと前足に力を入れて飛び上がろうとした。


ごつんっ!


「うあっ…ん、」


しかし、跳んだ先には女の顔があった。女のアホみたいに開いていた口に自身のそれが当たる。途端に、カッと身体が熱くなってぼふん!という音とともに視界が白に覆われた。


「…!?」


何事かと反射的に女から飛び退いて、自身の身体に違和感を覚える。視線も先程より高い。手には鉤爪を填めている。手?ああ、人間の、己の手だ。


「……」


自身の身体を見て、元に戻ったのだと理解した。目の前には横たわる女。どうやら気絶しているらしい。原因は、とふと考えたところで先程の口に当たった柔らかな感触に思い至った。まさか、あんなもので。


「……………、」


とりあえず、手に填めていた鉤爪を外して気絶している女を抱き上げる。一応この女のお陰で戻れたのだから、此処に居る間だけでもこの女を主としよう。

女を抱えたまま最初に己が目覚めた部屋へと向かい、寝台のようなものに女を寝かせる。


「んっ…」


ゆっくりと横たえたが頭を乗せると少しだけ眉を寄せて呻いた。そういえば強く頭を打っていた気がする。確認のため頭の後ろに手をやれば、確かに少しだけぷくりと腫れて瘤が出来ていた。そこをそっと撫でると主がぴくりと動いた。


「んあ…?」


うっすらと瞳が開いて、視線が合ったような気になる。慌てて身体を引こうとするといつの間にか己の首に主の腕が回っていたようで身体がガクリと揺れた。


「っ、」


途端に、再び掠れるように触れる唇。主から己が離れるよりも早く、身体が熱を持ち再びぼふんという音が響いた。


「…………」


どうやら、接吻は変身の切欠であるらしい。己は完全に人間に戻れたわけではなかったようだ。自分の真っ黒な前足を見て、再び黒猫の姿になってしまったと認識する。


「むにゃ…クロぉ…」


名を呼ばれたのかと思いチラリと主を見てみればどうやら寝言のようで、思わず嘆息する。幸せそうな寝顔だ。

黒猫の姿はなにかと不便なので、寝ている主の口元に顔を寄せて再び人の姿に戻った。その際、再び主が眉を寄せて「クロめ…」と言っていたので軽く頭を撫でるとにこりと笑顔になった。
主に布団を掛け直してから、先程まで居た部屋に目を向ける。


散乱したあれを主が目覚めるまでに片付けておこう。