ドキドキします、あなたを見ると

 雨の日に必ず見かける人がいる。愛犬ペチを連れて毎晩のように散歩する俺は、その人が雨の日だけ出会うことを知っていた。なぜ同じ人物か判るかというと、その人はいつも傘を差していないからだ。

 傘を差さずに歩く人は、俺と同い年ぐらいだと思う。もしかしたら年上かもしれないけど、子供ではなかった。子供があんな時間に雨がふるたびに町を徘徊していたら親が止めるだろうし、流石に誰かが警察かどこかに然るべき対応をお願いすると思う。それが無いから、そういう人なんだと勝手に思っている。向こうは俺のことなんか、気付いてないんだろうな。すれ違う度に傘を深めに差して、チラリとそれでいてじっとその人を見つめる俺なんか。


 どうしてこんなにもあの人に興味が湧くのか不思議だった。普通なら気味悪く思うはずなのに、これも不思議だが、そう感じることは一度も無かった。

 あの人はどこの人で、なぜ雨が降る夜の町にいるのだろう。なぜ傘もささず悲しげな目をしているのだろう。あの人は、晴れた昼間に会えたら俺はどう思うのだろう。きっと、喜んで後を追いかけるかもしれない。そして、夜には聞けない「なぜ?」を訪ねてしまうかもしれない。

 そう、今のように。


「え…?」
「だからー、君って雨の日にここら辺散歩してるでしょ?」
「…」

 俺は見つけてしまったのだ。昼間にけだるそうに町を歩く彼を。彼は地元の高校の制服を着て、欠伸をしながらすれ違った。思わず俺は腕を掴んで、日頃の「なぜ」を彼にぶつけてしまっていた。


「なんで雨の日だけなの?」
「おにーさんは誰ですか、」

「俺は、隣駅前にある大学に通う大学生。犬を散歩させてたら、君と擦れ違うんだ。雨の日にだけ」
「だい、がくせ?」

「うん、そう。高校生だったんだ、びっくりした。いつも声かけようか悩んでたんだ」
「…」

 眉を潜めて怪訝な顔を見せる。思ったよりも肌は白く、目や髪の色素が薄い。そして体が細いせいで、手を離せば消えてしまうのではないかとすら思えた。だからかもしれない、俺は無意識に手に力が入っていた。


「…いたい、」

 彼のその小さな声にも俺はさほど罪悪感はなく、その手を緩めたが掴んだままで話を続けた。

「あ、ごめん。ねえ、教えてくれない?教えてくれるだけでいいんだ。雨の日に擦れ違う度に俺もペチも気になって仕方ないんだ」

「ペチ?」

 彼の顔が変わった。高校生らしく幼い目を、丸くして俺を見上げる。

「あ、犬の名前。一度君に近付いていったこともあるんだ、白色っぽい雑種で」

 雨の日にペチは一度彼に接触したことがある。例外なくずぶ濡れの彼はペチの頭を優しく撫で、ペチは嬉しそうに彼に擦り寄っていた。俺は数秒、時間が止まったかのようにそれを見つめていたが、思い出したようにベリリとペチを引きはがしてがむしゃらに走って帰った。

 今思い返しても、惜しいことをしたと思う。あの時、傘を貸した方が今より幾分もスマートに会話が出来たのではないだろうか。


「あ、あの子…」
「もしかして、覚えてる?」

「はい、……あの子ペチっていうんですか」
「うん。白い尻尾をペチペチさせるから、ペチ」

 ペチはもう7歳だけど、家族や好きな人を見つけると尻尾を(パタパタ、ではなく)ペチペチと鳴らしてこっちにやって来る。ペチは良い奴だと思う。少なくとも俺よりかは空気が読めると家族はいつも笑うほどに。


「ふふ、可愛い名前」

 あ、笑ってる。ああ、彼が俺の目の前で笑っている。俺はこの一瞬でも見逃すまいかと目を見開き、鼻息を荒くした。ドキリと胸が痛い。いま、このくうきをすべてすいつくしたい。


「あ、…ごめんなさい」
「?」

「名前笑ってすみません、僕…」

 どうやら彼は俺が怒っていると勘違いしたらしい。違うのに。みるみるうちに彼はあの雨の日と同じ表情を浮かべる。なんとかしなければ。彼はまた「すみません」と言った。何も悪いこと言ってないのに。そんなに俺は怖いのか。気が付けば、俺は彼の頭を、優しく撫でていた。

「…は」

「あ。」

 なにやってんだよ、俺。いくら可愛くても子供でもこれはないだろう。


「変なおにーさん、ふふ」

 本日2回目の笑顔に胸が高鳴っていた。一輪の花のようだとも思った。艶めく髪はもう少し撫でておこう。


「ペチ見においで。俺の家、あの角曲がってすぐだから」

 俺は勝負の言葉を投げた。彼の口元を見るとこに全神経を注ぎ、チラリと汗が額から流れる。空はどこまでも澄み切っていた。
END


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