俺はスーツがとてつもなく好きだ。40代でスーツを着て紳士の様に微笑むおじ様がいたら、間違いなくお持ち帰りされるだろう。
とは言え、理想と現実は違う。3年間勤めた就職先で人間関係のゴタゴタに巻き込まれ、遠回りをしながらいつの間にか大学生をしている自分とか。
「なにしてんの」
「え、」
そんな俺を家に住ませてくれる人が、年中ジャージ男とか。
「…何もしてません」
本当に何もしてない。煮物は出来てるけど。テーブルに肘をついて、余熱でさらに美味しくさせる時間と言い訳をしてボーとしていた。
そもそも、声かけられるまで、あの人が帰ってきてたことすら気付かなかった。あは、ははは。
「ふーん」
「何ですか、その顔」
眼鏡から見える釣り上がった目は胡散臭そうに俺を見つめ、俺の向かいにある椅子に音を立てて座った。
「悪かったな、生れつきだ」
いや、生れつきではないだろ。赤ちゃんの時は可愛かっただろうし。ちょっと歳の割には筋肉質で、余分な脂肪が無い分、目付きが鋭く見えるだけで。そんな、ふて腐れなくても。
「そこまで言ってないけど…」
「あー暑い、怠い。」
「はいはい、ご飯用意しましょうか」
小さな子供をあやす様な俺の一言が気に食わなかったらしい。眉間にシワを寄せて、首を鳴らした。
気付いた頃には、とき既に遅し。
「はあ?まだなわけ?俺がこんなに汗水垂らして働いてきたのに」
「うるさいな、好きなこと職業にしてる人が良く言うよ」
あー、またそうやって悪態つく。天職を全うしているくせに。
「んな好きでもねーよ」
「なっ、そんなの生徒が泣くよ」
「うるへー」
こんな悪態ばかりなのに学校では生徒に好かれているのだから、世の中良くわからない。
まあ、俺もそのひとりだったんだけど。(…4年前って、随分昔かな?俺はまだ若い?)
俺がよそったご飯をひとりで黙々と食べはじめる。まじで?俺が座るまで待てないんですか、このダメ教師は。ああ、嫌になってきた。年中ジャージ男のどこがいいんだろう。わかんなくなってきた。スーツも似合うくせに、「肩が凝るから」と着ようとしないし。
もうちょっと着てくれてもいいだろ。俺の理想は、
「黒木先生ならそんな事絶対言わないと思いますよ」
黒木先生は50代の白髪気味のダンディズムを感じさせる先生だ。どんなに暑くても黒いスーツをサラリと着こなしていて、俺の憧れの人。
目の前の先生と黒木先生は同じ教科を担当している。なぜ、こっちを選んだんだろ。
「あーそーですね。黒木さんは良いから、早く座れ」
「ふあーい。今座りますよ、先生」
「…もうお前の先生じゃねーし」
「先生は先生でしょ。」
すると、俺の声を無視して新作の煮物を自らの口に入れた。また無視するし。
「67点だな」
「はい、頂きました67て…、え!最高得点じゃん!」
やった!
「うるへーって」
「…はいはい、いただきます」
今回の煮物は100点のつもりだったんだけど。それでも口の肥えたこの人には中々勝てない。
はあーあ。自称美食家は手強いなあ。
「今回はいけた気がしたのに、うーん。やっぱみりんを後もうひと匙足せば…ブツブツ」
「うるさい」
「あ、すんません」
「お前は黙って食えば可愛いんだから、黙って食え」
「は…?(たまに、こういうこと言うよねこの人って…。)」
「だから黙れって」
「それって顔を褒めてるの?」
「フン、親に感謝だな」
この人はそう簡単に男に可愛いなんて言う人間じゃない。だから、ちょっと自然と口角が上がってしまう。えへへ。
「ねえ、今日…する?」
久しぶりに、愛し合う?
わくわくと上目がちで微笑む俺をちらっと見ると、また茶碗に視線を戻した。
「知らん。」
「はっ?なにそれ!あっそ、いいですよー」
もう、知らない。俺が夜のお誘いするなんて高校時代じゃ考えられないのに。「もう知らないんだから」とブツブツ呟く。
すると、ハア、と溜め息が聞こえた。先生?
「…それなりに誘えよ。それしか能がないんだから」
「はあ?明日学校行けなくなっても知りませんよ」
「アホ」
あ。笑ってる。腹立つな、やっぱり好きとか思っちゃう。いつか俺以外には勃たない体にしてやるんだから。
待ってろよ、先生
「お前、腕上げたな」
「え、嬉しい」
まだまだ先?
END