02

 目的地へ向かうべく二人で手を繋ぎ長い廊下を歩いていた。すると、向こうの角から聡さんが現れた。白衣が眩しい。僕が軽く会釈するとあさみちゃんに気が付いたのか、目を見開く。

「あさみじゃないか」

「…うわ、お父さん」
「こら、あさみちゃん」

 それからワンテンポ遅れて父親に気付いたその小さな少女は直ぐさま僕の後ろにその身を隠した。

 聡さんは困ったように眉毛を下げ、両手を差し出した。


「あさみ、こっちに来なさい」
「いや!私、お父さんより陸くんがいい。」
「なっ、」

 聡さんは大きな声を上げそうになって止めた。冷静さを装い骨張った右手を使ってコホンと咳ばらいをする。

「ここは遊び場じゃないんだ。それに陸くんに迷惑だろ?」

「いーや」
「あさみ。」

 あれ?僕は何故、この親子に板挟みされているんだろう?聡さんは僕の肩越しに優しい声であさみちゃんの名前を呼ぶ。あさみちゃんは僕の服を掴んで離さない。気が付けば、僕は二人の小さな争いに巻き込まれていた。

 それにしてもあさみちゃん必死だな。そんなに突っ掛からなくてもいいのに。

 そんな二人の態度に居てもたってもいられず僕は声を出した。

「…あの、大丈夫ですよ?僕があさみちゃんの面倒見てますから」



「私は子供じゃないわ!」

「「……まだ子供だ(よ)」」


 思わず聡さんとそう言うとあさみちゃんは大きな瞳いっぱいに涙を溜め、僕の腰をぎゅっと抱きしめた。

「…う、陸くーん」

「よしよし」

 僕はカルテを抱えていない方の手で少女の柔らかい髪を撫でた。聡さんは困った声で彼女の名前を呼ぶ。

「こら、あさみ」
「聡さん。とりあえず、泣き止むまで僕がついてますね」

「すまない、陸くん。疲れているところを」

 カルテに目線を向けてからそう言った。僕の患者さんのことを知っているんだと思う。僕の専門は心臓だからリスクの高い患者が少ない訳ではない。現にそれで悩まされているし。


「大丈夫ですよ。」

 でも、貴方に心配してもらえるだけで僕は幸せだから。だからそんな困った顔しないで。それに、プライベートを持ち込むのを嫌う父親みたいな顔なんてしないで。


「聡さん、お仕事は?」
「え?あ、しまった。これからカルテのチェックが入ってるんだった」
「ふふ、行っていいですよ」


「…あさみを頼む」

 暫し考えたのか聡さんはふわりと笑ってそう言うと、僕が持つカルテをさらりと掴み上げた。

「え?」
「こっちもチェックしておくよ」
「ありがとうございます」

「こちらこそ」
 彼は優しく微笑みを浮かべると、白衣を閃かし廊下を歩いて行った。

 ああ、行っちゃった。



「お父さん行っちゃったよ?良かったの?」

「…だってお仕事だもん。仕方ないわ」

 ぐずつきながら彼女は答えた。家に定時で帰ることが出来ないから昼間にこうして会うことなんて当たり前なことじゃないはずなのに。優しく頭を撫でる。

「あさみちゃんは偉いね」

 涙が止まった少女の髪を撫でる。あさみちゃんは僕の方を見た。

「陸くんの方が偉いわよ。ねえ、陸くん抱っこ出来る?」


「ふふ、出来るよ。」

 そう言って中学生にしては小柄な身体を抱き上げた。あさみちゃんは甘えるように僕の首に腕を巻き付け、笑顔をみせた。昔からこうして彼女をあやしていた。懐かしい記憶。良かった。まだ僕にも出来た。


「陸くんすごい」

 彼女は笑い、それから小さな声で「お父さん、陸くん元気無いから心配したみたい。」と教えてくれた。

「え?」
「だから私が来たの。お父さんがこき使ってるくせにね。」

「聡さんは…悪く、ないよ?」


「うん。陸くんはそう言うと思った。でもごめんね。許してあげてね」

 彼女は柔らかく微笑んでいるのだろうけど、抱き上げたせいで顔は見れない。だから顔が見える様に抱き直した。

「わ、すごい!陸くんが力持ちだなんて意外だわ」

 ここで働く以上、体力は自然とついて来る。でも僕は自負するほど力があるわけじゃない。

「そんな力持ちではないよ。あさみちゃんが軽いから」

「ふふ、ありがと」


 すると彼女のピンクのポーチがよく耳にする電子音が鳴って震え出した。抱き上がったまま、彼女は慣れた手つきで携帯を取り出した。

「あ、メールだわ。え?大変!もう帰らなくちゃ!」

 よほど重大な内容だったのか彼女は慌てて僕から降りた。少しめくれ上がったスカートを手で元に戻す。


「じゃあね、陸くん」

 彼女は笑顔で手を振った。僕もそれを返す。そして走り出そうと背を向けたが、思い出したかの様にくるりと振り返った。

「あ、お父さんをよろしくね」


 僕がこちらこそと言うとにっこり微笑んで、薄い唇でこう言った。


「陸くん、元気出た?」
「もちろん」

 それを確認した彼女は満足げに「またね」と言うと軽やかに走って行った。僕はその後ろ姿をいつまでも見つめていた。

 僕はあの小さな天使に当分頭が上がりそうにない。そう思いながら、空っぽになった片手で頭をかいた。


END


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