「好きだから」
そんな言葉ひとつで片付けるには、私は傲慢過ぎていた。本当に痛みを覚え、一番苦しんでいるのは、誰なのかな。
こんな私にも付き合っている人がいた。バイト先で知り合った二つ上の大学生。私がホールで彼はキッチン、小さなカフェだから平日なんかは二人だけでぼーと過ごすこともあった。彼は直ぐにここを辞めてしまったけれど、私は高校三年間、このモアで働いている。
「沢田さんお疲れ様、先上がってもらっていいですよ」
「……そう?えへ、ありがとう春香ちゃん」
食器を洗いながら微笑む春香ちゃんは二つ年上。だけど、私には敬語。理由を聞くと「先輩ですから…」というから、そういうことなんだと思う。もう慣れてしまったからなんでもいいんだけど。
私はタオルで手を拭いてから、退勤のタイムカードをピッときった。自営業のくせにこういう形だけはしっかりしてるんだよね、この店。
そそくさと私服に着替えると、まとめていた髪を下ろす。くるんと揺れてシャンプーの匂いがした。そのままキッチンに寄って春香ちゃんに声をかける。
「春香ちゃーん、押したから先帰るね」
「はい、お疲れ様です。……あ、沢田さん!」
「んー?」
「…………」
「…春香ちゃん?」
「……あ、あの。時間遅いですけど、帰りひとりで大丈夫ですか?」
「へ?」
「ひとりじゃ夜道、危ないでしょう?」
何を言い出すのかと思えば、夜道と言ってもまだ21時だし、夏の夜は色んな意味で明るいから意識したことはなかったのに。
春香ちゃんってば優しいなー。
「ヘーキだよ?春香ちゃんは心配性なんだからー!」
「あ…そうですか、」
「どうかした?」
? どうしたのかな。春香ちゃん、変。優しいのはいつも通りだけど、この不思議な違和感は何?
「え?いや、あのっ」
「えーなにー?」
私はクスクス笑った。すると、春香ちゃんはなんだか気まずそうに、それでいて優しく微笑んだ。
「あ、いや。えっと、沢田さんアイツと…あの、すっすみません…アイツから聞きました。沢田さんとあの、別れたって」
あ、そういうことか。春香ちゃんって疎そうに見えて、実は早耳なのかな。いや、あの人が教えたのかも。
私は溜め息がてらにクフンと鼻を鳴らした。眉は下がったままで口角を上げる。
「うん、そう。別れちゃった。なんだか、呆気ないよね」
「…あの、やっぱり送りましょうか?」
流石、気が利くね。春香ちゃんはいつだって優しい。茶色のマッシュが揺れる。イギリスの男の子みたいで可愛い。
いや、そもそも春香ちゃんは男の人なんだけどね。
「ありがとう。男の人は優しいね」
「いえ、俺はただ…」
春香ちゃんは嬉しそうに微笑む。名前通り可愛い笑顔。だからみんな「春香ちゃん」て呼んでるんだけど、可愛いは禁句だから口をつぐんだ。
「いつ?」
「え?」
「いつ聞いたの?」
「あ。あの、昨日です。だから俺、心配で…」
昨日か。んじゃあの人、春香ちゃんにすぐ話したのかな。春香ちゃんはあの人と同じ歳で、しかも同じ大学だから未だに付き合いがあるって昔言ってた。
心配してくれるんだ、私なんかに。あの人に話聞いたなら私悪者になってそうなのに。
「心配してくれてありがとう。」
あ、春香ちゃんの真剣な顔。
「…俺も上がれないか店長と話してきますね」
「いっいいよ!春香ちゃんは気にしなくて大丈夫。」
春香ちゃんがそこまでする必要なんてない。なかなか進展しなかった私達のために、今まで充分尽くしてくれたもの。
だから、もういいよ。
「いやでも、ひとりで帰るより二人の方がましでしょ?」
二人?ああ、春香ちゃんと私ね。でも、
「ひとりで大丈夫だよ、」
「沢田さ」
ひとりで大丈夫。その方が楽だよ。
「ありがとう。気を遣ってくれて」
「……気をつけて下さいね、沢田さん可愛いんですから」
ほらまた、優しい微笑み。だから春香ちゃんは愛されてるんだね。
「あっはは、春香ちゃんも可愛いんだから帰りは店長に送ってもらいなよ〜」
「なっ」
私は知ってるんだ。春香ちゃんは店長と話しているときが一番嬉しそうな顔をしてるって。
春香ちゃんはきっと店長を想っているんだと思う。性別は同じだけど。でも、春香ちゃんがしたいことをすべきだと私は思うよ。だって店長も春香ちゃんが、いや、この話はまた今度でいいよね。
「(フラれるって初めてかも)」
そう。私はフラれた。二日前、それはそれはバッサリと。1年半も付き合ってたのに。
「…―じゃないだろ?」
「え?」
「俺のこと好きじゃないだろ」
「何言い出すの?」
彼はすごくすごく優しい人だった。年上ぶることもなく等身大で私に接してくれた。包んでくれた。ぬくぬく腕に縋りついたままで居られると思っていた。
でも、違うみたい。
もう何も考えられないと思っていたら、彼は困った顔で「泣くなよ」と言った。そして、「俺はお前の泣き顔に弱いんだ」とさえ言った。
「好きだから、辛いんだ。解放してくれよ」
何からの解放なの。
ガタンゴトン。気が付けば、私は電車に乗っていた。窓を見れば、雨が降っている。真っ暗闇に吸い込まれる雨粒が怖くて目線を逸らした。
私は彼を傷付けた。胸が痛い。苦しい。悲しい。傷付いた。傷付いたなんて、そんな甘えていい?
気付けば、どこもかしこも雨で濡れていた。下を見れば、スカートが雨で張り付いた何の変哲もない私の二本の足が見えるだけ。
ただ、滑稽。
ゾクリと肩が揺れる。寒い。冷たい雨のせい?夏でも寒くなるんだね。知らなかった。
あれ、ここはどこだろう。そう思えば、何駅か確認せずに降りてた。頭がボーとする。
世間は雨と共に冷たくて、傘を差さず立ちすくむ私には目もくれない。
なんて暗いの。
何も考えられない。
このまま誰にも知られずに、雨と溶けてしまいたい。
そうすれば私も、