「無理です!」
( …え?)
叫んだのは俺ではなく、見れば司が道路に立っていた。走って来たのか息は荒く、司が着ていたオレンジと白のボーダーの服は大量の汗で色が鈍くなっている。
「つかさ、」
「椿は俺のだから」
すると無理に俺を掴んだ。スローモーションで倒れゆく自分の自転車を他人事のように見ていた。ガシャンと大きな金属音が響いて、ハッと我に返る。
「つかさ、なんで」
「遅いから、捜しにきた」
遅いからなんて。そんなに時間は経ったのだろうか。それにしても汗だくになってまで捜しに来てくれたのか?顔を見つめると、荒い息を整えつつ、俺にそっと笑ってみせた。
「先輩、震えてる」
「つかさ」
「…ごめん椿。」
何に対する謝罪だろうか。俺もお前に謝らないといけないことばかりだ。そっと司が俺の肩を抱いた。
「松田さん。嘘なんか言ってすいませんでした。でも、俺の大事な人泣かせないで貰えますか」
「お前っ!俺は泣いてなんか、っ」
「少なくとも、今にも泣きそうだよ。」
司はその温かい手を俺の冷たい頬に押し当てた。気が付けば松田さんは掴んでいた手を離し、目を見開いていた。
「松田さん」
「…は、い」
「気持ち悪いと思われても仕方ない、です。すいません。でも俺は、このままがいいんです」
「…っ、ひく、私じゃ駄目なの?」
「ごめんなさい」
「…っ。そっか」
「泣かせてごめんなさい。」
そっと松田さんに手を伸ばした。彼女の頬に触れ、涙を拭いとった。彼女は俺の動きを止めようとはしない。だから、親指の腹で彼女の涙袋の部分も拭った。ふわりと風が揺れる。
「…涙、止まらないや」
「ごめんなさい」
頬に触れていた手を彼女は優しく両手で掴むと松田さんは弱々しく微笑んでみせた。
「…フフ、諦めてあげる。後悔しても、っ…知らないんだからね!」
「ありがとう」
精一杯の優しさが勿体なくて涙が溢れた。口を開けば嗚咽と「ごめんなさい」の言葉だけが漏れた。ぐずぐずだ。
「もう帰って」
「松田さ」
「これ以上…村上くんと居たら私、顔が腫れて大変になる。あ、あと今まで送ってくれてありがと。今度からはバイトの人に頼んでみるわ。私、自慢じゃないけど結構モテるの。」
くるりと背中を向けた。彼女の背中はとても小さく弱々しく、頼もしかった。
「まつ」
「だから帰って。ひとりに、させて」
「まっ」
「先輩帰ろう」
「……うん。」
最後にもう一度頭を下げると倒れた自転車を起こし彼女と逆方向に歩きだした。
俺達にまた朝日は昇るだろうか。彼女は花に戻るだろうか。隣に居る司の手がそっと背中に伸びる。どれだけ優しく摩ってくれても、この涙が止まることはなかった。
END
『Lie true near』(真実に近い嘘)