背伸びする夕日

 突然の「好きだ」から気が付けばもう一年が経っていた。

「…ミキ?」

 俺は普段居るはずのない場所に立っていた。少し上を見れば小さなプレートに3年1組と書かれている。“3年1組”俺には縁のない場所。そんな教室を控え目に眺めた。すると奴は俺に気が付き、忙しなく走らせるペンを止めて微笑んだ。

「やっぱり、ミキだ」
「よ よう」

 俺は声をかけられたのを口実にゆっくり教室に足を踏み入れた。

「どうしたの?ミキがこっちに来るなんて珍しい」
「…別に。偶然通ったら、正木見えたから。」
「ふーん、「別に」ね。最近、元気?」

「…元気だけど」

 俺は無愛想に答えていた。正木と上手く会話が出来ない。

 アレから一年。受験生になった俺達は自然と口数が減り、クラスもわかれ、滅多に挨拶すら交わさない仲になっていた。正木を見たのも久しぶりだ。7組と1組では教室自体離れすぎている。

 俺は1組の床を踏み締めながらゆっくり正木に近付き、苦笑を浮かべた。正木が居る机の上の参考書に目をやる。どれも難しそうだ。


「…ひとり残って勉強か。正木も国立狙い、だっけ?」

「んー、まあね。ミキは親父さんの店継ぐんだろ?」

 やる気もなく正木が頷く。俺達が通う高校は進路の希望やレベルによってクラスが決まる。正木はトップ。俺はその反対だ。

「…嫌々だけどな」

 三木家は代々酒屋で、俺も高校卒業後はそこへ永久就職が自動的に決まっていた。
 正木はこっちを見ながらニヤニヤ笑いを浮かべた。なんだよ、その顔。俺はじっと睨む。


「えー?なんかミキ、相変わらずだね」
「は?意味わかんね、」

 正木は笑いながらノートを綺麗に揃えると形の良いリュックの中へ詰めていった。


「もういいのか?」
「え?」

「べんきょう」
「うん。おしまい。ねえ、今日はどうしたの?」

「え?別に」
「ふーん。何か言いたそうな顔してるけど」
「……」

 もちろん正木に用はあった。でも、何故だろう。喉の奥で何かが絡まって上手く言葉が出ない。すると、正木はふわりと笑った。


「あ、わかった。俺に告白だ?」

「ばっ!ばか言うな!」

 俺の否定の声に正木は「ちぇー」と言って笑うとリュックを背負い、薄手のマフラーを巻いた。コイツ、また背が伸びた?

「なーに?」

 俺が黙り込んでたからか、正木は腰を曲げて目線を俺に合わせた。笑顔が優しく過ぎて困る。


「ミキ、大丈夫?」

 なにが?何の心配だよ。目を見て話せない俺は赤くなりそうな頬を堪え下を向きながら、ボソボソ呟いた。

「…か。帰ろうぜ」

 すると、不意に頭を撫でられた。俺はビクリと肩を鳴らし、反射的に身を引く。

「! なにすっ、」
「あ、ごめん。ミキが可愛いから、つい」

 さして、悪びれもなく正木は笑った。降参とでも言うかのように手を軽くあげる。つーか、可愛いとか爽やかに言うな!

「んなの、男に言う言葉じゃねーだろ!」

 俺が真っ赤になって怒っているのに正木はさっきからクスクス笑いが止まらない様だ。なんだよ、笑いやがって。誰も居ない教室に西日差し込む。眩しい。

「ミキだけは特別なんだよ」
「は?んなの、誰が決めたんだ」

 爽やかに笑って教室を出ていく正木の後ろをゆっくり追いかけた。廊下から冷たい風が吹き抜けて立ち止まった。


「俺?」
「ばかじゃねーの」
「あはは、ひどいなー」

「…ひどくねぇ」
「もう、素直じゃないね。で、何の用事?ミキはわざわざ一組に来ないでしょ?」

「…あ、えっ、だから別に」

「あ、デートのお誘い?」
「だからちが…っくしゅん!」
「あれ、風邪?」

 すると自身が巻いていたマフラーを取って、俺の首に巻いた。ふわりと正木の匂いが鼻を掠めた。

「顔、赤いね。可愛い」

 目が合えば優しく微笑まれた。また可愛いって言ったのに、駄目だ。何も言い返せない。

「風邪流行ってるから気をつけてね」
「おう、」
「貸してあげるよ、それ」


 薄手の柔らかいマフラーくしゅりと触った。理由はわかんないけど落ち着くんだよな、この匂い。去年までいつもこれを枕にして屋上で寝てたからかな。

 あ、屋上で思い出してしまった。




「こ、この前のって……彼女?」
「え?」

 正木は聞き取れなかったのか目を丸くしてこっちを見つめる。間抜けな顔してんじゃねーよ、ばか。

「…なんでもねぇ」

「ミキ?良くないだろ。ちゃんと言えって」

 正木が俺の腕を掴む。あ、また同じだ。あの時と。フラッシュバックするかの様に正木は真っ直ぐ俺を見つめる。唯一あの日と違うのは夕日が痛いくらい眩しいことだった。

 それこそ、涙が出そうなくらいに。

 俺は声を搾り出す。


「…屋上で一緒に居た奴、彼女なのか?」

「屋上?いつ?」


 正木は直ぐさま手を離し、目を逸らした。そして、階段に向かって歩き出ず。何でだよ。さっきみたいに俺のこと見とけよ。なんだよ。それになんだ?この落ち着かない気持ちは。

 俺は無意識に俯いていた。


「…月曜」
「一昨日?んー?誰のことかわかんな…あ、あや子かな」

 アヤコて誰だよ。呼び捨てなんて、本当に彼女なのかも。なんだよ。俺が好きだって言ってたくせに、やっぱり女がいいのかよ。

 なんだよ。

「……」
「うん。部のマネージャー。俺の後輩が好きならしくて、屋上で相談受けてたんだ」


なんだよ、うんなんて軽く言いやがって。相手は、まね…マネージャー?
「え。マネ…、ジャー?」


 俺の声なんて聞こえてないかのように面倒臭さそうな声で「なんで俺に相談したのかわからないけどね」と正木は溜め息を吐いた。部活か。そっか、サッカー部のマネージャーか。そっか、そっか。


 彼女じゃないのか。


「あ、そ…そっか」
「安心した?」

 その声に答えようと顔を上げると、また整った顔が近付いていた。 ! 俺の心臓が(今日何回目かわからないが、)ドキンと鳴った。

「まっ!だ、だから近いって!」
「照れちゃってミキは本当に可愛いね」
「う、うっせ!」


「ふふ、はいはい」
 目の前の正木は先程みたいにニヤニヤ笑いを浮かべていた。


「なっ!なに笑ってんだよ」

「んー?時間の問題かもなって思って」
「なにがだよ?」

「ひみつ」

 気色悪い笑みを浮かべたままくるりと背を向け、階段を下りて行くのを俺は見失わまいと追いかけた。

END



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