図書室の中は静かで、どこからか空調のサアアと言う音だけが満ちていた。岩場に挟まれて安全な、光が差す澄んだ海底みたいだった。いつもならば静かにしていなければいけないと、見えない重圧をかけられているようで苦手な教室なのだが、目の前のこいつの付き添いなら仕方ない、そう思ってやってきた。意外にも夏休みの図書室は閑散としていてオレ達の他に生徒はおらず、グラウンドでは野球部が小気味良い音を空っぽの校舎へ響かせている。
 テツはオレを気にすることなく、さっきからずっと本を取り出しては真剣な面持ちでパラパラと捲る動作を繰り返している。
「テツ」
「なんですか青峰君」
「暇だ、構え」
「今、委員会中なので」
 テツは視線を本に落としたまま、こちらをチラリと見ようともしない。委員会と言っても誰も借りになんか来ていない上に、ただ本を物色してるだけだ。暇を持て余して見下ろしたテツの襟ぐりからは白い首筋が覗いていて、あーとなった。あーって、なんだ。
「テツ」
「はい」
「こっちむけ」
 名前を呼ぶ時に、ほんの一瞬、一秒にも満たない瞬間迷ったけれど、ただ触れるだけじゃ面白くないなと思って、テツの下唇を噛みついた。動かないように掴んでいたテツの肩が驚きで強張る。それに喜んでいる自分に気がついて、オレってSだなと実感した。さっきのどうしようもない“あー”ってこれか。一人で納得する。“あー”解決したわ。満足して唇を離すと「っは、」なんてテツが息を吐くのが聞こえて、払拭したはずの“あー”が再燃しそうだった。
「…なに発情してんです、か、僕は男ですよ」
「あーそうだな、テツは男だな」
 適当に頷いて見せて、オレは寝場所確保のためにガタガタと椅子を並べた。さっき噛みついたので満足したことにして、ひと眠りしよう。
「ばかじゃないですか…」
 本棚に向き直って、そう呟くテツの耳が赤い。次に“あー”ってなったらどうなるかな。
 それきり黙ってしまったテツは、それでも決められた時間まで仕事をするだろう。こいつは見た目以上に頑固だ。仕方ねえな、とため息をついて椅子に寝ころんだ。図書室がもとの静けさに戻るとサアアと空調の音がしていて、やっぱり透明な海の底にいるみたいだった。