「あ、ナイス名前ちゃん、中間の範囲教えてくんねー?」

底冷えのする校舎はすっかり薄闇に包まれて、最後まで残っている教室の光がやたら明るく見える。午後六時二十分。だらだらと委員会後に友達と話していたらこんな時間になってしまっていた。

「わっ、びっくりした」

「えっ、なんだよ」

「だって、もう誰も来ないと思ってた」

もうすぐ近付く中間テストのために、生徒はほぼ予備校へ行ったり帰宅している人が多い。さすが秀徳。さっきまで散々喋っていた友達には日誌を書き忘れていたと告げ、待たせるのは悪いからさきに帰って?と言うとほっとした表情でお先にと帰って行った。
学ランは手に持ったまま、暑そうにしている高尾はきっとテスト前で部活動出来ない代わりに、誰かと体育館でバスケしてきたのだろう。

「そっか?」

薄く不敵そうな笑みを浮かべる高尾に視線を合わせず私は手帳を開いて、テスト範囲を調べた。

(気づかないふり)

そう、気づかないふり、しらないふりをするのが暗黙のルール。いつからかテスト期間だけは、放課後遅くまで残り二人で帰る。予備校へ行く緑間くんのリアカーを引かなくて良いので、空いた自転車の後ろを使うことができる。ふらふらと回り道をすることもあれば、どこかへ寄ってテスト勉強を一緒にする。「今度のテスト期間も一緒勉強しよう」と、口に出して確認したことはない。言ってしまった瞬間に魔法が解けるように関係が崩れてしまうようで、言えないのだ。
最初はお互いにたまたまだったのだと思う、少なくとも私は偶然でしかなかった。やはりひとりきりで遅い時間に学校に居残っていたら、高尾が忘れ物を取りに戻ってきた。「丁度いいから範囲教えてくんねー?」変わらない、屈託ない笑顔で記憶の中の高尾が言う。
「教えてくれたお礼な!送ってく!」
テスト期間中だけは、緑間君の指定席(正しく言うならリアカー接続部分)は私の席になった。その日だけで終わらなかったのは、私が相変わらず放課後をだらだら過していたせいと、相変わらず高尾が教室へ戻ってくるせいだ。テスト前の、部活動がなくなる期間初日、私はじりじりと教室で待つのが恒例になってしまっている。

「数学は58ページまで」
「まっじかよ、長くね!?」

角ばった字でメモしながら悲鳴をあげる。目の前で黒い前髪が揺れるのをぼんやりと見ながら、呟くように聞いた。次のテスト期間も一緒に帰れる?喉まで出かかった言葉を押しこめて。

「今日も忘れ物とりに戻ってきたの?」

この質問は大丈夫なはずだ、たぶん。崩れない距離での質問、核心には触れてない問い。

「そ」

高尾は笑うと、帰ろうぜと言って背を向ける。結局、教室に戻ってきてロッカーにも机にも触れてないのだから忘れ物したわけではないのは明白だ。答えになんとなく不満で私はむくれていたし、いつも饒舌な高尾も意味ありげに口を閉ざしていて、学校をでて自転車に二人乗りをしても無言が続いた。高尾と私の間にある距離感が歯がゆくてしょうがなかった。
ゆっくりと、周りの景色が後ろへ流れる。
ゆっくり漕いでいた高尾が大きくも小さくもない声で探るように言った。

「いつもの荷台に乗せるもん忘れたなって…取りいった、んだ」

意味が分からなくて、目の前の背中を凝視して、耳が赤く染まっているのをみつけて、反復して、やっと分かった。いつも取りに戻ってきてたの、ばかじゃない?まず忘れんな、言いたいことは全部言葉にならなくて、仕方なくおでこを背中に押しつけた。「他の人に先に拾われちゃうぞ」って脅すのはいつにしよう、ねえ?でも付いてく人は決めてるの、そんなこと絶対に今は言わないわ。
♪fake it/Perfume