- ナノ -

あこがれ

※大学生パロ


 固いベンチに腰掛けて鞄からスマホを取り出し、時間を確認する。やっぱり約束の時間には少し早かったかな。スマホを鞄に戻して、代わりに薄めの文庫本を手に取った。
 三分の一あたりのところに挿してあるミモザの押し花の栞は、ついこの間春の移りに合わせてビオラの栞から変えたばかりのものだった。去年一目惚れして買ったミモザで作ったものだけど、鮮やかなレモンイエローはまだ色褪せる気配はない。いくつかある押し花の栞の中でもいちばんのお気に入りであるこの栞は、見るたびにおろしたての靴を履いた時のような気分にさせてくれる。
 ひと通り眺めた後でやっとミモザの栞から視線を外して、約束まで二十分ほどの空いた時間を埋めるために、栞が挟んである一ページ前から遡って文字を追いかけ始めた。
「新入生? もうサークル入ってる?」
 明るい声に顔を上げると、チラシの束を持って目の前に並んで立つ二人の男の人がいた。
「いえ、二年です」
「まじ? え、てかめっちゃかわいくない? ここの学生だよね?」
「まだサークル入ってなかったら一回でいいから来てみてほしいんだけど、とりあえずライン交換しない?」
「いや、あの……」
「別サー入っててもウチ掛け持ちオッケーだしさ、基本集まって遊ぶのがメインの緩いサークルだし!」
「ていうか今もしかして暇? これから覗きにこない? いきなりじゃ気まずかったらとりあえず仲良くなってからでもいいし!」
 開いたままの本を閉じる暇もなく、畳み掛けるように言葉を連ねる二人に押され気味になる。どうしようかと口を開くタイミングを探して、とりあえず圧から逃げるように空いたスペースに僅かに身を引くと、そこを塞ぐように一人の男が隣に腰掛け、馴れ馴れしく肩に触れる。
 ただでさえ人と話すのがそんなに得意じゃないのに、こういうテンションで会話を押し付けてくるようなタイプは苦手を通り越して嫌いだった。嫌悪感を顔に出さないように、そっと息を吐く。
「あの、ごめんなさい。人を待ってて」
「外せない感じ? そしたらラインだけ、」
「なまえ、」
 影がかかる。背後から降ってきた声に顔を上げると、いつもよりどこか冷たい表情をした五条が私たちを見下ろしていた。ポケットに突っ込んでいた手を伸ばしたかと思うと、私の右肩に手を乗せたままの男の人の手をはたくように払った。さっきまでぺらぺらと回っていた口は動きを止め、五条の圧に押されたのか呆然とした様子で固まっている。
「知り合いじゃねーよな」
「うん……」
「傑と硝子は?」
「まだ来てないよ」
 はあ、と私に向けて深いため息を吐いた五条は、固まったままの男の人の一瞥し「まだいんの?」といっそう冷たく吐き出した。五条は夏油に比べると一見とっつきやすそうに見えるけれど、他人に厳しい面を見せるときがある。男の人たちは慌てたように立ち上がり、そのまま振り返りもせずに消えていった。
 両サイドを詰められていた男の人たちがいなくなったおかげで広くなったスペースに肩の力を抜くと、空いたところに五条がドカッと腰掛ける。だらりと力を抜いて遠慮なく体重を預けようとしてくる五条に潰れる、と押し返すと、ただのおふさげだったようで肩にかかっていた重さがふっと無くなった。
「こんなことだろうと思った」
「こんなこと?」
「一人でぼーっとしてるからすぐ絡まれんだろ」
「別にぼーっとしてたわけじゃないよ、本読んでただけだし……」
 このベンチじゃ身長がある五条には窮屈そうだな、と思いながら本に栞を挟み直した。鞄にしまって顔を上げると、五条は少しむっとした顔で呆れた視線を向けてくる。それに眉を顰めて首を捻ると、五条は頭をかいて舌を打った。
「過保護」
「あぁ!?」
 聞き慣れた声に五条とそろって振り向くと、缶コーヒーを持った硝子と、その横に並ぶ夏油の姿があった。
「誰が過保護だよ」
「他に誰がいんの?」
 呆れたようにそう言った硝子に言い返すかと思ったら、五条は悔しそうにもごもごとなにかを口の中で呟くだけだった。
「おまたせ」
「ううん、全然」
「今度から待ち合わせ場所変えようか」
「え、なんで? ひと気なくて落ち着くし、ちょうどよかったのに……」
 いつもだいたい私が一番乗りだから、ベンチの陽当たりとか少し遠くに感じる人の喧騒とか、本を読むのにちょうどよかったんだけどな。せっかくいい場所見つけたと思ったのに。
「隙があるように見えるからな」
「そのままどっか連れていかれそうだしね」
「ええ……そこまで抜けてないよ、子どもじゃないし」
「そう見えるってだけでこいつはイケる、って変なのが寄ってくんだよ」
 説教じみた口調でそう言った五条に、硝子と夏油が顔を見合わせる。
「まぁ……セコムいるしいいんじゃない?」
「誰がセコムだよ!」
「自覚あんじゃん」
 確かに、五条は身内に甘いからなぁ。なんとなく五条を見上げると、ばちりと目が合う。不貞腐れたように立ち上がった五条は、一人でさっさと歩き出してしまった。



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