- ナノ -

高嶺の彼女の好きなひと

  音もなく散る桜の花のように、静かに笑う人だった。
 男女問わず、入学時から密かに周囲の人間を騒つかせていた原因である彼女は、あまり人の視線に無頓着なのか、はたまたそのおっとりとした性格故に気付いていないのか。散り始めた桜の花びらを背景に、一切たじろぐことも萎縮することもなく、周囲の騒めきさえ慣れ親しんだもののように、普通の顔をしてのんびりと過ごしていた。
 入学式当日、偶然にも彼女と同じクラスになった男達は、揃ってにやけた顔でガッツポーズをしたのが分かった。そんな俺も彼女と同じクラスになったものの、中学の頃から付き合っている大切な彼女が居たから、見目麗しい人を毎日見れるのは目の保養だな、くらいに思っていただけだった。
 整った容姿は同性から忌み嫌われるものかと思っていたけれど、彼女の性格も相まってかそんなことはなく、一週間ほど経つ頃には彼女の周りには数人の女子が代わる代わるで話しかけており、純粋に会話を楽しんでいるようだった。
 ぱっちりとした目は時々遠くを見ながら物憂げになる。なにかを思い出しているような様子に疑問に思っていたけれど、入学から一ヶ月が過ぎる頃にはその理由がクラス中で知れ渡っていた。
 ずっと一緒に育ってきた幼なじみが、高校からは離れて他校に通っているらしい。寂しさや心配を募らせた結果、ふと思い出しては憂いた目を見せる様子に、クラスの人達は恐らく全員察した。
「話を聞くに、めちゃくちゃ男前らしいんだよね」
 彼女とはどちらかというと正反対な、クラスでも派手目な女子がそう言った。
 放課後、彼女が日直で職員室に日誌を届けに行ってる間、用事のない人間達が教室に残り、なるほどなぁとそれぞれ頷く。それなら、あの視線の熱量にも無頓着な理由が分かる気がする。きっとその男前な幼なじみ≠ニ一緒にいるうちに、そう言った視線に慣れ切ってしまったのだろう。
 この一ヶ月で彼女の幼なじみに対する深い恋心を悟ったクラスメイトたちは、揃いも揃って「いじらしい恋を応援し隊」というなんとも言えない名前を命名し、なんとか彼女を笑顔にできないものかと見守ることにしたらしい。
「日誌出し終わったよ。……あれ、みんな集まってどうしたの?」
「ううん、今度交流会とかしたいねって話してたの。どう?」
「いいね。カラオケとか、ボウリングとか?」
 まだ育ちきっていない淡い恋心を抱いていた奴らは彼女の為にその芽生えた気持ちに固く封をしたけれど、それでも彼女とカラオケやボウリングに行けるのは願ってもない! と少し嬉しそうだった。彼女の幸せを願う為に自分の気持ちを隠せるクラスメイト達を、心の底から尊敬した。
「今度ね、久しぶりに会えるんだ」
 またしばらく経った頃、昼休みの時に彼女がはにかみながらそう言った。誰に会うとは言わなかったけれど、クラスメイトの誰もがすぐに分かった。その場にいたクラスメイトの半分以上が驚いた顔をし、笑顔で「よかったじゃん!」「いつ会えるの?」と嬉しそうに笑う彼女に声を掛けていた。
「今度の週末にね、映画に行くことになって。それで、今まではいつも傑くんに頼りっぱなしだったから、成長したわたしを見せたくて」
 意気込む彼女を見て、周りで話を聞いていた女子達がよし! と合わせて気合を入れる。「まずは待ち合わせでしょ」「あとはお昼と、」「今は映画のチケットもネットで予約できるよ!」と、次々に集まるアイディアは彼女はなるほど、とスマホにメモを残していく。
「……明日とは言わなくても、いつか、告白……できるかな」
 不安そうにそう呟いた彼女の言葉を、クラス中の人間が拾った。俯いた彼女の髪の隙間から覗く耳がほんのり赤く染まっていて、甘酸っぱいような気持ちが胸に広がる。
「大丈夫だって! もっと自信もって!」
「絶対あっちも久しぶりに会えるーって緊張してるから!」
 

「今度の週末、そういえば俺も彼女と映画行くよ」
「えっ、ほんと? ○○の映画館?」
「いや、隣町の都内寄りの方」
「そっかぁ、それじゃあ会わないかもね」
 偶然会えたら面白かったのにね、と笑った彼女に癒される。俺が彼女に抱く可愛いの感情は、ペットショップのうさぎを眺めている時の「可愛い」と同じだけれど、それでも彼女の周りにふわふわと漂う庇護欲オーラには当てられてしまう。
 教室の廊下に面する窓から、他のクラスの男達が彼女を目当てにわざとらしく教室の前を何度も通りかかり、このクラスの人間に用があると言って彼女を凝視する。
 もちろん彼女はいつも通り気付く気配はないけれど、男女問わず彼女を守る為にさり気なく窓を閉めて、不埒な奴を外に連れ出す。完璧な統率に脱帽した。
 いよいよ待ちに待った幼なじみとの久しぶりのデートが翌日に迫ったその日の放課後、彼女は教室を出る間際、たどたどしく振り返り、その背中を優しい目で見送っていたクラスメイト達に向かって、照れくさそうな笑顔を向けて言った。
「みんな、あの……ありがとう。頑張ってくるね」
 顔を赤くさせたまま、返事も聞かずに小走りで教室を後にした彼女に、誰かが漏らした心の声が「がんばれ」と教室に響いた。


 週末、先週ぶりに会う彼女と映画館に来ていた。彼女が見たがっていた、少女漫画を元にした実写化の映画。人気の男性アイドルと流行りの若手女優が主役のその映画は、コマーシャルで見た映画の予告を見ただけで特に興味はなかったけれど、見れば楽しめるだろうと今日彼女の希望を通したデートが叶ったわけだ。
 お手洗いに行くと言って映画館内のトイレに向かう。座って待っていようかと思ったけど、休日ということもあってそこそこ混んでいて椅子が空いていない。仕方ない、と壁際に寄って待っていようと空いているスペースを探して視線を泳がせた時、目に飛び込んできた見慣れた女性を二度見する。
「あれ、なんでここに?」
「あ……河本くん?」
 俺の声に顔をあげたのは、ひとりで呆けたように立っていた彼女だった。ここでも人の視線を集めている彼女はやっぱりその熱のこもった視線は気にならないらしく、いくら人混みとはいえ不審者に絡まれないかと心配になる不用心さだった。
「○○って言ってなかった?」
「それが、チケット間違えて取っちゃってて……」
「変なとこでドジるな……」
「うん……わたしもそう思う……」
 思わず口から出た言葉に対して予想以上の落ち込みを見せる彼女にぎょっとして「いや、よくあることだしあんま気にすんなよ」とフォローをしたけれど、彼女は頷きながらも相変わらず落ち込んだ様子を隠さない。
「例の幼なじみと来てるんだろ?」
「うん」
「久しぶりに会えたんだろ? どう?」
 一瞬固まった彼女は、この世の全ての悪霊さえ浄化させてしまいそうな笑顔を恥ずかしそうに見せた。
「うん。すっごく楽しい」
「よかったじゃん。月曜にみんなにも伝えないとな」
 うん、と彼女が嬉しそうに頷いた瞬間、彼女の背後から降ってきた影に顔を上げる。自分より二十センチは高いと思われる威圧的な男は彼女の腕を掴んで引き寄せ、俺を睨み付けるように見下ろしていた。
「私がいない間、彼女がお世話になっていたようだけれど……君は?」
 ああ、この人が例の男前の幼なじみか。彼の胸に頭を預けたまま慌てる彼女を見て納得する。彼が現れた途端、教室で見せるものよりも柔らかい雰囲気を纏った彼女に、彼と重ねた時間を想像して微笑ましくなった。
 依然として俺のことを鋭い視線で貫く彼は、きっと彼女と話していた俺に嫉妬しているのだろう。
「俺、彼女とは高校の同級生で、同じクラスなんですよ」
「……彼女とここにはよく来るの?」
「え? 一緒に出掛けたこともないですよ?」
 見定めるように頭のてっぺんから爪の先まで視線を動かした彼は、何かを考えるように唇を引き結んだ。
 彼女とはよくここにくるのかと聞いてきた彼の言葉をもう一度考え直して、ああ、とある可能性を思い浮かべて手を打った。
「あ、もしかして俺勘違いされてる!? 違いますよ、本当にたまたま、偶然さっき会っただけで」
「へえ」
「それに俺たちクラスの奴らはみんな知ってますからね、彼女にはべた惚れしてる人がいるって」
 彼は、ぎょっとした顔で俺の言葉を静止しようとする彼女の口を塞ぎ、「ふうん、そうなんだ。初めて聞いたな」と相槌を打った。
 それに首を傾げて、「そりゃそうですよ。だって、本人にはべた惚れです、なんて言わないでしょ普通」と返すと、彼はなぜか笑顔のまま固まる。
「今度告白するって言ってたけど、うまくいったんだな。おめでとう、幸せにな! ってことで、上映時間も近いし、お邪魔虫は退散するから」
 トイレから出てきた彼女を視界に入れて、またな、と手を振ってその場を離れる。
「知り合い?」
「そう。同じクラスの人と、その彼氏」
「へぇ〜、背ぇたっか!」
「それな、自販機くらいありそう」
 そこそこ付き合いの長い彼女と緩い会話を楽しみながら、チラリと振り返って二人の様子を伺う。同じ体勢のまま動かない二人を見て、月曜の報告とみんなの反応が楽しみだなと想像して笑うと、ツンケンした彼女に気味が悪そうな視線を向けられた。


2021.9.4夢箱配布ペーパー



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