- ナノ -

造花

 ここ一週間で身近な人が三人も死んだ。初めは先輩だった。外回りに一緒に回るときにずっと下世話な話をしたり、どれだけ拒んでもあからさまに迫ってくるからほとほと嫌気がさしていた。だから酔っ払って階段から転げ落ちて亡くなったと聞いたときは素直にほっとした。
 次は上司だった。私だけじゃなくて部内の全員が辟易としていた、典型的なパワハラやセクハラをする上司だった。毎日男性社員に理不尽な怒声を飛ばして時には手を出し、取引先との飲み会には女性社員を連れ回して過度なスキンシップをしたり、帰り際にホテルや自宅に連れ込まれそうになったこともあった。寝タバコが原因で家ごと燃えたらしい。確か木造の安アパートに住んでいたと言っていたから、他の住人は巻き込まれていないといいなと少し心配した。
 その次は他部署のお局だった。お局のお気に入りだった先輩が私にちょっかいをかけているのが気に食わなかったらしく、ずっと嫌がらせをされていた。最初はすれ違いざまに小言を言われたりする程度だったけど、次第にエスカレートして肩にぶつかられたりロッカーの中が荒らされたりしていった。彼女は帰り道に通り魔に襲われたらしい。路地裏に引き込まれてから刺されたのか、助けも呼べず通りかかる人にも気づかれず、そのまま失血死したと聞いた。


 仕事を終えて携帯を見ると、画面に映りきっていない着信とメッセージの履歴が大量に残されていた。それは三日前に別れ話を切り出して別れたはずの元彼で、向こうは別れる気はないとゴネたので揉めていた。最初はそんなことないと思っていたのに、すぐ感情的になって怒鳴るし物に当たる。三日前についに顔を叩かれて、もう無理だと別れを切り出したところだった。いつも彼が怒る原因はしょうもないことばかりで、確かあの日はサラダのドレッシングがシーザーじゃないことに声を荒げ始めたんだっけ。家路につきながら確認したメッセージには、私を責める内容と謝る内容が交互に送られてきていた。
 関わりのある人間の引きの悪さは昔からだった。友人や彼氏ならただ自分の見る目がないだけで済みそうだけど、流石に度が過ぎていて本気でお祓いにでも行こうかと考え始めていた。
 玄関の鍵を開けてまず鼻についたのは、生臭いような錆臭いような、嗅いだことのない異質なにおいだった。部屋の奥から風の気配がして、ゆらめくカーテンの奥を見た。窓が割れている。部屋の奥に寄せたシングルベッドには、奮発してちょっとお高めの分厚いマットレスを敷いていた。そろそろ寒くなってくるから、掛け布団も出そうかと思っていた。そのベッドの上に、誰かが座っている。
 か細く差し込む月明かりでさえもはっきりとわかる、彫刻のような綺麗な顔立ちの男だった。その足元に血塗れて転がる男が不釣り合いなくらいに。転がる男が死んでいるのはすぐにわかった。お気に入りの深緑のラグが黒く染まっていて、この鼻につく濃いにおいが血のにおいだと気づいたからだった。つい一時間前までしつこくメッセージを送ってきていた元彼だったものだ。目の前に死体があって、その犯人かもしれない男が私の部屋にいて、それなのに恐怖やショックと同時に少しの安堵が胸に広がった。もうあの男に脅かされることはないんだと思ってしまった。ここで自分も殺されるかもしれないのに。
 頭の中は活発に回っているのに、指先ひとつ動かせない。男が手に持っていた本を閉じる音でハッとして肩を揺らす。底の見えない深い瞳が私を貫いて、そこで思い出したかのように心臓が激しく鼓動する。逃げられるとは思ってもいなかった。それでも体が勝手に動いた。今にも崩れ落ちそうな足が半歩後ろに引いたとき、男が立ち上がった。足が震える。男が一歩近づくたびに半歩下がって、私の背にドアがぴったりつく頃には、目の前に男が立っていた。なぜか手を伸ばせば届く距離まで近づいたところで男の足は止まって、耳に痛いほどの沈黙が降りる。
 ずっとその男の足元を見ていた。あの血濡れたラグの上を普通に歩いてきたせいで、ここまでうっすらと血の足跡が残っている。どれだけ待ってもなにも起こらない。思った瞬間、男の手がゆっくり伸びて、俯いたままの私の顎を掴んで引き上げた。その手は恐怖と緊張で血の気が引いた私の肌よりも熱かった。
 暗闇に目が慣れたことと、男がさっきよりも近くにいることでようやく気づいた。この男は確か、一週間前に一度だけ会った人だ。出張の帰りに出先でぶつかって、荷物をぶちまけて揃って飛行船を逃した。人当たりのいい笑顔を浮かべたこの人と世間話をしながら次の飛行船までの時間を待って、それから普通に別れたはずだった。
「話を聞いたのはあの四人だけだったけど、他にもいたんだね」
 意味がわからなかった。足に力が入らなくて、ずるずるとドアにもたれながらその場にへたりこむ。男は質のいいスーツに皺が寄るのも気にせずに、崩れ落ちた私に視線を合わせるようにしゃがんだ。暴力的なほど美しいその顔が、私の顔を覗き込む。
「ああ、そうだ。お祓いに行きたいんだっけ」
 それも確かにあの時に話した。あの時は全く感じなかったのに、人当たりのいい笑顔と柔らかい言葉遣いが嘘くさく感じて身震いした。
「そうした方がいい。本当に厄介な人ばかり引き寄せるみたいだから。いいところを調べておくよ」
 冷え切った肌をあたためるように、男の手が私の頬を包む。可哀想に、と投げかけられた言葉に心当たりがありすぎて、どれに充てられた言葉なのかわからなかった。



main