- ナノ -

ストレリチア

【本部ボーダー隊員A】

 ボーダー本部のラウンジで、後から来て作戦会議をする予定の仲間の分の席を取ろうと辺りを見回していた時、視界の端に捉えた女性の姿に心臓が跳ねた。慌てて近くのテーブルに腰を落ち着けると、その人がギリギリ見える位置まで移動する。
 タイトスカートから覗くすらりとした足を組んで、手元のスマホに目を落とす彼女を、タブレットを立てて眺めるふりをしてそっと盗み見た。よく見ると彼女の座る席から一定の距離を空けた辺りには、自分と似たような体制をしてチラチラと彼女に視線を向ける男たちが見えて、少し居た堪れなくなる。
 なまえさんは元オペレーターで今は開発室に所属する女性で、見目の麗しさに加えて凛とした言動から、男女ともに人気がある人だった。いつもは開発室にこもっていることが多く、こうして本部内に姿を見せるのはとてもレアだった。ラウンジ内の浮足立った雰囲気にも頷ける。
「あ、なまえさん!」
 二宮隊の犬飼が人懐っこい笑顔を浮かべながら俺の前を過ぎ、彼女の元に小走りで近寄る。その少し後ろを着いて歩く氷見さんと辻の姿も見えて、あの二宮隊と待ち合わせをしていたのか、とその意外さに驚く。
 確かになまえさんと二宮隊長が一緒にいるところを見ることがあると言うやつはたまにいたけれど、俺や周りのやつはただの噂話や見間違いだと思っていた。加古隊長となまえさんの仲がいいことは加古隊長の話から事実だと知っていたから、加古隊長と仲が良くない二宮隊長となまえさんが親しいわけがない。自分より年上で、なおかつ歳の近い男の人が苦手だと言っていたらしいし。年下は弟のようで可愛がれると言う噂もあるが、滅多に人と話しているところを見ることができない人だから、どこまで本当かは分からなかった。
「犬飼くん、ひゃみちゃん、辻くん!」
 スマホから目を離したなまえさんが、三人の姿を視界に捉えてパッと表情を明るくさせる。B級に上がりたての隊員である俺は、なまえさんが実際に話しているところを初めて目にした。その整った顔の作りは綺麗系なのに、声は透き通っていて可愛い。小さな鈴を転がした時みたいな声をしていた。
 ふと滑る彼女の艶のある髪が視界を遮り、少し鬱陶しそうに耳に掛け直す仕草を見て、なぜか見てはいけないものを見たような錯覚を覚えて目を逸らした。そして逸らした先に見えたのは、自分を冷ややかな目で見下ろしながら目の前を通り過ぎる、二宮隊長の姿。
「……ぁ、」
「あ、匡貴!」
「……声がでかい」
「遅くないですか? なまえさん、一人で待ってましたよ」
「俺が遅いんじゃない。こいつが早すぎるんだ」
「いいの犬飼くん、こういうやつだから」
 呆れたように首を振るなまえさんの頬をつねった二宮隊長に色々な意味でぎょっとする。あのなまえさんに気軽に触れられることや、あのなまえさんの頬をつねって赤くさせたことや、あのなまえさんと仲睦まじく話していることや、あのなまえさんと名前で呼び合っていることとかが押し寄せてきて頭がパンクしそうになっていた。周りのやつもみんな同じことを考えているのか、似たような表情を浮かべて固まっている。
 なまえさんはにこにこと可愛らしい笑顔を浮かべながら、二宮隊長の腕を引っ張った
「じゃ、お二人とも楽しんで!」
「ありがと! またお土産買ってくるね」
 二宮隊長の腕に自分の腕を絡めて嬉しそうに歩く姿が目に焼き付けられる。この光景に心の底で涙を流す男達はどれくらいいるのだろうか。遠くなっていく背中を見つめながら、チームの仲間がいつの間にか集まっていることにも気付かず、岩のように固まって動くことができなかった。


 * * *


【本部ボーダー隊員B】

 なまえさんと二宮さんが付き合っているのではないか。その話が耳に飛び込んできたのは、昨日の夕方くらいだっただろうか。
 噂好きの友人から聞いた話に半信半疑だったのは俺だけではないようで、本部を歩いているとあちこちでその件に関する話題がコソコソと聞こえてくる。ランク戦室やラウンジ、果ては訓練室まで。
 その姿をたった数度しか見たことない人ですらなまえさんに憧れを抱くのは分からなくもないけれど、アイドルでもあるまいし色恋沙汰でコソコソと噂されてしまうのは少しだけ気の毒に思えた。
「ほらな、言ったろ? 噂流すならあそこが一番だって」
 訓練室からラウンジに向かう途中、曲がり角の先から聞こえてきた声にピタ、と足を止める。
「なまえも二宮も自分から話すタイプじゃないしな。なまえなんて外に出てこないせいで外見からの想像が一人歩きしてるからなぁ」
「あら、だから昨日からあちこちで荒れてるわけ?」
「男の嫉妬は見苦しいぞ」
「うるさい、黙れ、帰れ」
「ひでえ!」
 太刀川さんに続いて、加古さんと二宮さんの声。それから僅かに聞こえる落ち着いた優しい声色は来馬さんだろうか。少しずつ遠くなっていく声は、耳を澄ましても聞き取れなくなってしまった。


 * * *


【本部開発室所属 なまえ】

「なんか……大丈夫か?」
 各々自分の仕事を進める最中、普段の気怠げな声色から一転して、少し重たく感じる口調でそう声を掛けてきた雷蔵さんに首を傾げる。あと少しで自分の担当の勤務時間が終わる、とラストスパートをかけようとしていた間際だったから、話しかけられたことを自分の中で消化するのに少し時間がかかってしまった。
「えっ……何がですか?」
「いや、知らないならいいけど」
「そんなこと言われたら逆に気になるんですけど……」
 雷蔵さんは「じゃあ聞かなかったことにしといて」と無茶を言って自分のデスクに戻っていった。その背中をぽかんとしながら見送り、言われるがまま忘れようと軽く頭を振って机に向き直る。ふと視界に入ったスマホがメッセージの受信を知らせていたので確認すると、匡貴からのメッセージが入っていた。
「やっぱ二人は付き合ってるの?」
「わっ ちょっと、見るの禁止です!」
「ごめんごめん。つい」
 帰ったと思ったのに気配を消して私のスマホを覗き込んでいた雷蔵さんに思わず声を上げる。「で、どうなの?」と同じ質問を投げかけてくる雷蔵さんに根負けして、小さく頷く。
「それはめでたい。いつから?」
「いや、実は半年くらい前からなんですけど……」
「全然気付かなかった、隠してたの?」
「隠してた訳じゃないんですけど、本部内であんまり一緒にいなかったし、誰かに言うことでもないし……望と同年代組と、あと東さんと秀次には言ってましたし」
「三輪くんかぁ、絶対やめとけって言われたでしょ」
「やめとけとは言われなかったですよ。趣味悪いとは言われましたけど……ってなんで女子会始まってるんですか!」
 いつの間にかわらわらと周りに集まるエンジニアメンバーについ声を上げる。「青春を感じたい」「おじさんは感慨深い」と目頭を抑える人たちに思わず笑いがこぼれる。
「さっき言いかけたの、本部内でなんか噂になってるんだよ。だからつい最近付き合い始めたのかと思って」
「そういえば数日前、珍しくラウンジ内で待ち合わせしたんですよ。だから最近付き合い始めたって思われたのかもしれないです」
「ふーん」
 腑に落ちないような顔を浮かべたまま、雷蔵さんは今度こそ自分のデスクに戻っていった。それを皮切りに周りもぞろぞろと自分の席に戻り、ようやく肩の力を抜く。匡貴からのメッセージは「迎えにいく」とだけ、いつも通り簡潔に綴られていた。
 時間よりも十五分ほど早く開発室を出ると、匡貴がすぐ近くの壁に凭れながら立っていた。私に気付いた匡貴が顔を上げて、壁から身体を離す。
「お疲れさま」
「もう終わったのか?」
「うん、一昨日からイレギュラーが続いてたから早めに休めって」
 そうか、と頷いた匡貴の隣に並ぶ。今日は特に予定はしていなかったけれど、迎えに来てくれたということは匡貴の家に寄ることになるだろう。夜ご飯の献立を考えていると、ふと雷蔵さんから言われた言葉を思い出した。
「そういえば、私たちが付き合ってるんじゃないかって噂になってるって雷蔵さんが言ってた」
「らしいな」
「なんで今更急にそんな話になったんだろね」
「さあ」
 あまり表情を変えない匡貴の顔がなんだかしれっとしたような顔に見えて、あれ、と二度見する。二度目はそんなに違和感がなくて、見間違いか、と向き直って歩く。
「……あれから、」
「え?」
「あれから、前みたいのはあったか?」
「前……あぁ、告白?」
 僅かに眉間に皺が寄った匡貴が面白くて笑いを堪えると、気付いた匡貴が指で軽く額を弾く。
「もうないよ。滅多にされるもんじゃないし、そもそもいつも通りあんま外に出ないしねぇ」
「そうか」
 私も女にしてはそこそこ背が高い方だけれど、望ほどではないし匡貴と比べたらその差は大きい。口数が少ないながらも、協調性がないと名高い匡貴が私の歩幅に合わせて歩いてくれているだけでちょっときゅんとする。ひとつひとつの小さなやさしさが積もるのを感じる。望がたまに口にする、からかい交じりの「愛されてるわね」という言葉を思い出して気恥ずかしくなった。
 匡貴の腕に自分の腕を絡めると、匡貴は少し驚いたように私に向けて視線を落とした。いつもはお互い、あまり外で恋人らしい触れ合いをしたがらないから。
「たまにはいいでしょ?」
 匡貴を見上げて笑うと、匡貴は表情を変えぬまま足を止め、私を見下ろした。それにつられて足を止めると、不意に匡貴の顔が降ってくる。驚いて身を引く暇もないまま、触れるだけのキスを黙って受け入れる。
「たまにはな」
 顔に集まる熱を取り払おうとするように、匡貴の冷たい手が頬を滑る。人の通りが多い道でなくてよかったと思う反面、ほんとは少し、私たちの関係が公になってしまえばいいって心のどこかで思っていた。口元を抑えて頬を赤くさせる隊員の子たちが見える。珍しく機嫌がよさそうな柔らかい表情を見せた匡貴は、止めていた足を動かして私の腕を引いて歩いた。

2022/1/15 発行 「夜伽」



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