- ナノ -

たまには夜も悪くない

※本編前


 ふと視界に入った手のひらに収まる程度のそれに足を止める。派手な装飾のテーブルには似合わないそのフクロウの置き物は傾いた木の上で崩れたおかしな立ち方をしていて、いかにもあいつが好んで集めそうなものだった。玄関の間抜け面をした尻尾が動くワニの置き物やキッチンカウンターのひっくり返ったアヒルの置き物を思い出して笑いが溢れた。あんな変わった物ばかり、いったいどこで見つけてくるのか。
「団長、趣味変わった?」
 悲鳴も人の気配も事切れた屋敷の中を見て回っていたシャルが、手元を覗き込んで頬を引きつらせている。その後ろにはばらばらと戻ってきた奴らが同じように視線を向けていた。
「こんな変な置き物、趣味なわけないだろう」
 言いながらそのおかしなフクロウを手に取る。根本の部分が細くて雑に扱うと折れてしまいそうだったから、できるかぎりやさしく手のひらで包んだ。
 変に詮索されるのが面倒なだけだ。指先で突いたら倒れそうな、どこにでもいる普通の女。ただ、誰かに教えるには少し惜しい。怪訝な顔を向けてくる奴らにそれ以上何かを言うつもりはなかった。

 * * *

 本当は買い物くらい行こうと思ってたのに、結局昼過ぎまでベッドから出られなくて、ようやくシャワーを浴び終えた頃にはとっくに日が落ちていた。寝過ぎてむしろ疲労感さえある。夜になってようやく活動的になってきたのに、日が落ちてしまってはなにもすることがない。あいにく手芸だの料理だの、そういった趣味も持ち合わせていなかった。本当にやることがない。ただただ長い夜があるだけ。休みの日はほとんどこれの繰り返しだった。
 とりあえず、動きはじめたせいで空腹を訴えるお腹になにか入れよう。今日までのパンと、あと冷蔵庫に卵とチーズとベーコンがあったはず。一人暮らしだとパンがあまりがちで困る。またラスクにでもするか、とぼんやり考えていると、玄関が開く音がした。インターホンくらい鳴らしてくれたらいいのに、数秒のうちに顔を見せたクロロは人の家に勝手に入ってきたというのに怪訝そうな顔を浮かべている。どちらかというとこっちがその顔をしてやりたいのに。
「また鍵開いてたぞ」
「開いてたぞじゃないわ! 開いてたとしても勝手に入ってくるのクロロか空き巣くらいだから」
「いい加減閉める癖をつけろ、田舎でもないのに。お前くらいだぞ」
 一軒一軒回って確かめたのかと聞きたくなるくらい言い切られたけど、自分でもクロロの言い分の方が正しいとわかってるからそれ以上はなにも言い返さなかった。少しずつなおそう。確かにあまりいい癖じゃない。そうすれば正当にクロロに文句が言える。今にみてろと内心で毒づきながら説教じみた声を聞き流して、卵をボウルに割り入れた。
「ご飯食べた?」
「いや」
「ホットサンド作るんだけど、クロロも食べる?」
 頷いたクロロを確認して卵をもうひとつ取り出す。火が通りはじめたベーコンの横にもう二枚追加して、パンにマーガリンを塗った。これでちょうどパンも使い切れたし、たまにはいいタイミングでくるものだ。
 その間もクロロはなぜか邪魔にならないところでじっと私の様子を見ていて、いつもなら勝手にソファで寛いでるのに、と首を傾ける。一ヶ月くらい前に買ったばかりのホットサンドメーカーは新入りの割に我が家でいちばんの出世頭で、もう何回も活躍してる優れものだった。パンと具材を挟んで火にかけたコンロに乗せる。
「もう焼くだけだよ。座ってたら?」
 そう言ったところでようやく大人しくあのソファに腰を落ち着けたクロロは、やっぱりいつにも増してよく分からない。寛ぐための許可をわざわざ得るような男じゃないことはとっくにわかりきっていた。
 ちぎったレタスといくつかのミニトマトを添えて、ドレッシングをかける。和食にしろ洋食にしろ、朝ごはんみたいな夜ごはんが結構好きだった。完成したホットサンドを斜めに切って皿に乗せる。
 二人で使うには少し小さいテーブルに、サラダとホットサンドを並べた。クロロにはアイスコーヒーを注いで自分にはミルクティーを用意する。あとはヨーグルトかフルーツでもあれば完璧だったのに。
 家を出て一人暮らしを始めてから、いつの間にかいただきますを言う習慣がなくなった。特に会話もなく食事を終え、食器を下げてテーブルに戻ると、クロロがなにかを取り出して私に差し出した。それは布に包まれていて、両手を広げるとその上にそっと乗せられる。意外と重たい。なにこれ。眉を顰めてクロロを見ると、特に表情の変化はないまま「開ければ分かる」とだけ言った。
「え、爆発とかしないよね」
「その方がよかったか?」
「いいわけないけど……え、じゃあほんとになに?」
 クロロはまた「開ければ分かる」と繰り返して、それ以上はなにも説明してくれなさそうだった。恐る恐る布の端をそっと捲る。ゆっくりと布を剥がすと、そこに現れたのはものすごくかわいいフクロウの置き物だった。
「え! なにこれ? 超かわいい! くれるの?」
「ああ」
「うそ、ほんとに!? どこで見つけたのこんなの! ええ嬉しい……ありがとう!」
 テーブルに乗せた置き物をまじまじといろんな角度から眺める私に、クロロがふ、と声もなく笑う。最初の頃に見せたあのわざとらしい笑顔じゃなくて、こういう笑い方をするクロロが意外と嫌いじゃなかった。
「なに?」
「そんなものもらって喜ぶのはお前くらいだな」
 いつもより機嫌が良さそうな様子に誤魔化されかけたけど、もしかしなくてもめちゃくちゃな悪口を言われてる気がする。それでも手の中で今にも落ちそうな格好の立ち姿を見せるフクロウを見ると言い返す気にはならなかった。どこに飾るか迷って、夜の鳥だし、とベッドのそばのサイドテーブルの上、目覚まし時計の隣に置くことにした。よく見たらこのフクロウちょっと眠そうだ。なおさらかわいい。目覚まし時計が示す時間は日が変わる寸前なのに、やっぱりいつもならあるはずの眠気がちっともやってこない。
「さっきまで寝てたせいでぜんぜん眠くない」
「本当に寝汚いな」
「いいじゃん休みの日くらい……」
 割といつもだろう、と言うクロロの声は無視して、一番近くにある重ねられた三冊の本を引っ張って並べてみる。表紙のタイトルはどれも暇つぶしに読むには重ったるくて、流し読みをするにも向かなさそうだった。それぞれ数ページだけ読んでは閉じてを繰り返していると、横から一冊の本が差し出される。表紙には「世界の旅先」と書かれていて、確かに他の哲学的なタイトルや専門的なタイトルに比べたらずいぶん読みやすそうだった。読書が趣味とはいえ、ここまでジャンルの幅が広いとそれはそれで読んでて疲れそうだ。大人しくそれを受け取って表紙を捲る。
「折るなよ」
「折んないよ」
「前に枕にしてただろう」
「…………」
 本に集中してるふりをして黙秘を貫いた。いつ見られたんだ。確かにラグの上で寝転ぶときにちょうどいい高さだったから二冊ほど借りたりしてるけど。でも誓って折ったり汚したりしてないし。ページを捲ると深い森にある魔獣のすみかを紹介する写真がのっていた。見間違いかと思ってもう一度表紙に戻る。間違いなくタイトルには世界の旅先と書かれていた。絶対もっといい観光地あるでしょ。
「今夜は朝までいるの?」
「ああ」
「ふうん」
「何かあるのか?」
「べつに。ただ、眠れないからひとりじゃつまらないし。今日クロロがきてラッキーだったなって思っただけ」
 クロロが本から視線を上げる気配がして、ページを捲る手を止めた。クロロはじっと私を見つめたままなにも言わない。なんなんだ。なにか言いたいことがあるなら言えばいいのに。目を逸らしたら負けたような気がして、対抗してその目を見つめ返していると、クロロは再び手元の本に視線を移してぽつりとこぼした。
「……お前、今眠くなくたってどうせ途中で先に寝るだろう」
「はあ? 寝ないって」
「絶対に寝る。賭けてもいい」
「勝手に賭けるな!」
 クロロと違って読書は趣味じゃないし、最後に本を読んだのは学生時代の国語の教科書くらいだ。それでも、今日くらいは狭いこの部屋で並んで読書に勤しんで、ときどきくだらない話をするのも悪くないと思える。たとえそれが皮肉混じりの小言だらけでも、どれだけ長い夜でも。



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