「リーマス、針と糸って持ってる?」
唐突に発せられた言葉に、もはや妄想の域に達していたリーマスの思考は呼び戻された。
「ん? 針と糸なんて何に使うんだい?」
するとハリーは少しはにかみながら話した。
「えっと、リーマスのコートのボタンが、ほつれていたから、縫い直そうと、思って……」
しりすぼみになってしまうハリーの声。
(やっぱり、お節介、だったかな)
そんなハリーの不安をよそに、リーマスは驚いていた。
「ハリー、君がやるのかい?」
「うん。あ、大丈夫だよ? 昔からおばさんに教えてもらってたから」
まあ、針仕事を押し付けられていただけ、というのもあるわけだが。そんなことなど露ほども知らないリーマスは、純粋にハリーはまだ十歳なのにすごいなぁと思っていたのだった。
「そうだね。じゃあ、お願いしようかな。針と糸だったよね」
リーマスはそう言って立ち上がると、ちょっと待っててねとハリーに言い残し、草むらへ向かった。
(なんで草むらに?)
不思議に思うハリーだった。少しして、リーマスが戻ってきた。手に針と糸を持って。
「これでいいかな?」
「う、うん。ありがとう?」
「そうだ、その前にハリー。君のメガネをちょっと貸してくれるかい?」
「いいけど……どうして?」
「いいから。あと、目をつぶっててくれるかい?心配しなくてもすぐに終わるよ」
一体何が始まるのだろう。そう思いつつも、言いつけ通りしっかりと目をつぶるハリー。
「……パロ」
(リーマスは一体何をするつもりなのかなぁ)
リーマスの囁く声が聞こえた後、ポンッという軽い音がした。ハリーは思わず目を開けたい衝動にかられたが、必死に我慢した。
少しして、
「うん、上出来だ。ハリー、もう目を開けていいよ」
というリーマスの合図があった。目を開けたくてたまらなかったハリーは、急いで目を開けると、リーマスの手の上のものを見て驚いた。
「直ってる……私のメガネが、直ってる!!」
確かに、今までひどくひび割れていたハリーのメガネは、新品同様に綺麗に修復されていた。
「どうして……だって、壊れてたはずだよ? なんで?」
驚くハリーを前に、リーマスはまるで悪戯が成功した時のような顔をしてハリーを眺めている。
「実はね、僕は魔法使いなんだ」
「ま、ほう、つかい?」
「そう、魔法使い」
最初は彼が嘘をついて自分をからかっているのだと思っていたが、ニコニコと笑うその顔が、ハリーには嘘をついているようには見えなかった。
(じゃあ、本当の本当に魔法使いなんだ……! すごい、すごいすごい!!)
キラキラと輝く顔でこちらを見るハリーにちょっと得意気なリーマス。そんなリーマスに、ハリーは次々と質問をしてきた。
「杖は? 杖はやっぱり持ってるの?」
「もちろん。これがないと魔法が使えないからね」
勿体ぶってチラリと杖を見せる。年相応の反応のハリーを見ることができてリーマスも嬉しそうだ。
「じゃ、じゃあ空も飛べるの?!」
「ああ、箒があればね」
「それなら空飛ぶオートバイもあるのかなぁ!」
「うん、あるよ。僕のとも……いや、知り合いが持っていたからね」
そう言ったリーマスの顔は、寂しそうだった。しかし、リーマスはすぐにその顔を切り替えるとまたにこりと笑ったのだった。
(その友達と何かあったのかな)
ハリーは、リーマスのそんな顔は見たくなかったので、話題を変えることにした。
「リーマスはどこで魔法を教えてもらったの?」
ハリーが先程からずっと気になっていたことだ。
(もしかすると私もそこへ行けば魔法使いになれるのかもしれない)
「あー。ごめんね。今は教えられないんだ」
途端に顔から光を失っていくハリーを見て、リーマスは慌ててこう付け足す。
「大丈夫! ハリーにも手紙が届けばわかるよ」
「本当に、私にも……届く?」
今まで手紙なんてもらったことのない自分に、リーマスの言うような手紙がはたして届くのだろうか。
「大丈夫。君はあの二人の子供だ。手紙が届かないはずがないさ。あと数日待つんだ。そうすれば全て分かるよ」
「わかった……」
(待つことには慣れてるもん。あと数日なんて、たいしたことない、よね)
リーマスはハリーに話せる程度で面白い話はないかと必死で頭の中を探したが、ホグワーツの管理人であるアーガス・フィルチを出し抜いたことや、様々な悪戯をしたことくらいしか出てこなかった。
(もっとマシなことをしていなかったのか僕!!)
「うーん……」
本日何度目かになるリーマスの様子に、ハリーは構うことなくボタンを付け直していった。前の糸を切って、新しく縫い付けて……と。
「…………できた!!」
割とうまくできたことにちょっとした達成感があり、褒めてもらえるかと期待してリーマスの方を見るとまだ考えていた。
(考えてるのを中断してまで言うことじゃないよね……)
◆
「…………ん?」
ポスッと軽い音がした。途端に体に加わる暖かな熱とその年頃にしては少し軽いくらいの重み。すーすーと寝息をたてて寝ているハリーの頭をそっと撫で、リーマスは自分のコートをその小さな体にかける。いつの間にか出来上がっていたボタンを見ると、自信があるのもうなずけるくらいに上手だ。
僕に気を使って黙って待っていてくれたハリー。優しい子だ。そういうところはリリーに似てくれたようで安心だ。ジェームズに似ていたら……考えたくもないね。
体つきを見て分かったが、やはりあまりいい食生活をさせてもらえていないみたいだ。髪も栄養が足りていないせいかパサついている。おそらくこのくしゃくしゃの髪もきちんと手入れをすれば艶のあるリリーのような髪になっていただろうに。
できることなら僕が引き取って育ててあげたかった。ジェームズとリリーの、そして僕らの大切なハリー。
「いや、だめだな……」
僕は異端の者だ。魔法界から忌み嫌われている者と一緒に暮らしていてハリーが幸せになれるはずがない。
それに、ダンブルドアがあのマグルたちにハリーを預けると、そう言ったのだ。僕にとやかく言う権利はない。
「……っくしゅん」
しまった。
ハリーは薄着でいることを忘れていた。
それにもう夜も遅い。そろそろ家に返さないと。
ハリーを起こさないようにそっと腕に抱く。姿現わしをするので、ハリーやハリーのおじおばが起きてしまうかもしれないがしょうがない。まさか堂々と家に入るわけにもいかないしね。
ハリーを抱え(所謂お姫様抱っこである)、姿現わしでハリーの家まで行く。
「んぅ………」
やっぱり衝撃が抑えきれなかったか……。
寝ぼけ眼でぼんやりとしているハリーに、部屋はどこかと尋ねると、
「かいだん……の、した……」
と言った。
……普段あまり怒りをおぼえることのない僕でさえ、この部屋には怒りが湧いた。これではまるで物置きじゃないか。まったく、あのマグルの夫婦は何をしているのだ。
湧き上がる怒りを抑え、あくまで慎重にベット(と思われる場所へ)ハリーを横たえる。最後にもう一度だけハリーの頭を撫で、
「……Our precious child, I love you and will never leave you
never, ever, during your trials and testings.
I promise to protect you absolutely.
So , please take a rest in peace .」
どうか、この子が少しでも幸せになりますように。
そう呟いて、リーマスはダーズリー家の平凡な廊下に溶けるように消えたのだった。