今日はたまたま動物園に来ていた。ここの動物園は何かの記念でつくられたものらしく、無料で入ることができる。僕のようなものにはうってつけの場所だった。一通り見て回って、動物園の中にある公園で休もうとしたら、一人でキョロキョロしている子供を見つけた。どうやら迷子のようだ。
「どうしたんだい?」
何気なく声をかけた後で後悔した。自分の顔は傷だらけで、歳も随分離れている。声をかけたら逆にこの子は怯えてしまうのではないか?
案の定その子はびっくりしたらしく、肩を揺らしてこちらを振り向いた。
(ジェームズ……)
振り向いたその子に、今は亡き親友のジェームズの面影が浮かんだ。
(いや、ジェームズはリリーと共に死んだんだ)
しっかりしろ、と自分に言い聞かせる。こちらを見る子供の目には、戸惑いと警戒の色が見えた。
「迷子かな? お父さんとお母さんはどこだい?」
もう一度聞いてみると、恐る恐るといった感じではあるが答えてくれた。
「きょ、今日はおじさん達と来ていて……途中ではぐれてしまいました」
「そうか……じゃあ、私も一緒に探そうか?」
「えっ」
やっぱり嫌だったかな。
俯いていて表情がうかがえない。嫌がられてたらショックだなぁ、と思いつつどうするか考えていると、
「お邪魔じゃないですか?」
小さい声でそう問いかけられた。
まだ小さいのにしっかりしている子だなぁと思った。子供はそんなこと気にしなくていいのに。
「ははは、そんなこと気にしなくていいよ。私から言ったんだから。それとも迷惑だったかな?」
「そっ、そんな。嫌だなんてとても」
「じゃあ決まりだね。うーん、もうすぐお昼だから居るとすればフードコートのあたりかな」
じゃあ行こうか、と声をかけようとしたら、その子は顔を赤くして「ありがとうございます…」と言った。可愛いなぁと思っていたら手が勝手に彼女(声が高かったので女の子かな?)の頭を撫でていた。
少し驚いた顔をしていたけど、すぐにはにかんだ様に笑ってくれた。
うん、やっぱり女の子は笑っていないとね。
「そうだ、自己紹介がまだだったね。私の名前はリーマス・ルーピンだ。君の名前を聞いてもいいかな?」
「私はハリーです。ハリー・ポッター」
◆
「ハリー……ポッター?」
ハリーが名前を名乗ると、リーマスは驚きの表情を顔に浮かべた。その反応にハリーはなにか言ってはいけないことを言ったのかと不安になった。
「あの、リーマスさん?」
「っあぁ、ごめんね……そうか、君が」
リーマスは急に真剣な顔になったかと思うと、すぐに笑顔を顔に浮かべハリーの手を引いて歩き出した。
(手……)
先程からハリーにとって驚くようなことばかり起こっている。頭を撫でられるのも、笑いかけられるのも、こうして手を繋ぐのも、ハリーにとっては初めてのことだった。
知らない人のはずなのに、どうしてこんなに安心するのだろう。懐かしく思うのだろう。
ハリーには初めての感情でどう表現すればいいのかわからなかった。
「あの、わたぐうぅぅぅ……」
「……」
「……」
突然ハリーの腹が鳴った。話そうとしていた言葉をかき消すくらい大きな音がでて、ハリーの顔は赤くなる。リーマスは少し驚いた顔をしていたが、ぷっと小さく吹き出して笑い出した。
「あはは、もしかしてお昼まだなのかい?」
その言葉を聞いてハリーは、そういえば今日はまだ朝にベーコンを少し食べたくらいだったと思い出す。自覚すると余計にお腹がすいてきて、さらにお腹が鳴った。
◆
「うーん、困ったなぁ」
ポツリと呟いた言葉に、彼女ーーハリーはびくりと肩を揺らす。
ハリー・ポッター……おそらく、いや絶対にジェームズの子どもだ。僕らの大切なハリー。たしかリリーの姉のマグルの一家に預けられていたと思ったが、どうやらあまりいい暮らしをさせてもらえてないようだ。
くしゃくしゃの髪、はジェームズ譲りなんだろう。セロテープで補強されているメガネ、ぶかぶかの服。華奢と言うにはあまりにも細い体。何か食べさせてあげたいと思うが、ここで一つ問題が。
(お金が無いんだよなぁ……)
つくづく不甲斐ない自分を恨む。
しかしそこで幸運なことに、昨日買って袋を開けていない板チョコがカバンのポケットに入っていたことを思い出した。お腹にたまるのものではないが、しょうがない。
ゴソゴソとポケットを探る僕を不思議に思いながら見つめるハリー。
「はい。こんなものしかないけど」
ごめんね、と言いながら大きな板チョコを渡す。ハリーが戸惑っていると、
「あ、もしかして甘いの苦手だった?」
「違うんです。私、お金持ってません。それに……」
「え? お金なんて取らないよ。」
私が勝手に君にあげるだけなんだから。
と言って笑ってくれた。
(優しい人……)
そう思うと自然と言葉が出てきた。
「ありがとう」
そう言って微笑んだハリー。
しかし、言い終わってから自分が敬語を使っていないことに気づいた。
「す、すいません!つい、敬語が抜けて」
慌てて謝るハリーだったが、リーマスは笑った顔がリリーにそっくりだなぁ。と見当違いなことを思っていた。
「あの…」
反応が無いのでハリーが声をかけると、
「ん? あぁ大丈夫だよ。それと私には敬語を使わなくていい」
と言われた。
ハリーが渋っていると、
「じゃあ、チョコをあげる代わりに敬語は使わないってことで」
「でも「いいからいいから」……わかった」
なんとなく、この少女に敬語を使われるとジェームズに使われているみたいでくすぐったいのだ。
食べて食べてと促されるままにハリーはチョコを一欠片口に運ぶ。途端にとろけるような甘さが口に広がった。しつこすぎない甘さはハリーが今まで食べたことの無いものだった。
「美味しい!」
顔に満面の笑みを浮かべるハリーは、今までの雰囲気をガラリと変え、キラキラして見えるほどだった。必死に美味しさを伝えようとするハリーを見て、娘がいたらこんな感じなのかと思うリーマス。
手を繋いでニコニコとしている二人を見て、まわりの人々は仲のいい親子だと微笑ましく思っていたのだった。
しばらくの間、ハリーはリーマスと共に動物を見て回った。(目的はダーズリー一家を探すことなのだが……)
「そういえば、君のいとこ達ってどんな子なんだい?顔も知らないんじゃ探せないからね」
真面目な顔をしてそう尋ねたリーマスにハリーは恥ずかしくなった。ダドリー達を探すのをすっかり忘れて、リーマスと動物を眺めるのに夢中になっていたからである。
なんとか恥ずかしさを顔に出さないようにして、ハリーはダドリー達の特徴を思い浮かべた。
「えっと、おばさんは馬みたいな顔をしていて、おじさんは赤いカブみたいな顔。ダドリーはおじさんにそっくりの金髪で、ピアーズはネズミみたいに細い顔!」
達成感に溢れた顔をしてそう言いきったハリーは、自分がとても失礼なことを言っていることに気づいていない。
(これは無意識なのか? だとしたら、相当…大好き)
リーマスは笑いをこらえるのに必死だった。
血は争えないものだと実感したリーマスだった。
「あの?」
返事が無いリーマスを不思議に思ってか、顔を覗き込んできたハリー。その頭を撫でると、安心したような顔で笑うので、リーマスはこの少女に対する愛情が増していくのを感じた。
「大丈夫、なんでもないよ。ところで、その服はいとこのお下がりかい?」
リーマスは、出会った時から気になっていたことを聞いてみた。
「うん」
最初にあった警戒心がなくなったようで、ハリーは今ではくだけた話し方になっていた。
(ハリーは女の子だ。それなのに男の子の服を着せてるとなると)
ニコニコと笑うハリー。せめて今この時だけは楽しめるようにしようと決意したリーマスだったが、
「あ、ダドリー」
話している間にハリーはダドリーを見つけてしまったようだ。つくづくついていないリーマスだった。
「見つかってよかった。じゃあ行こうか」
内心の歯痒さを隠しつつダーズリー一家の方へ行こうとするリーマスだが、突然ハリーが繋いでいた手を離して立ち止まった。
「あっ、あの、大丈夫。もう一人で行ける、から。ありがとう……」
楽しかった。最初こそ警戒してびくびくしていたが、途中からはありのままの自分でいられた。人といてこんなに安心したのも、楽しかったのも、ハリーにとっては初めてだった。
だからこそハリーは、この優しい人をダーズリー達に会わせるわけにはいかなかった。
会えばおじさんは必ず彼を不快にさせるだろう。ハリーはそれだけは絶対に嫌だったので、必死にリーマスに言った。
「本当にありがとう」
笑顔でそう言うハリー。これ以上は踏み込ませないとでもいうような笑顔だった。
「……わかった。短い間だったけどすごく楽しかったよ。ありがとう」
「私も、楽しかった。今までで一番」
そう言って俯くハリーの頭を撫でてリーマスは去ろうとする。
「あの!また、また会えるよね!」
その背中を見て、ハリーは問いかけた。リーマスは振り返ってにっこりと笑うと、ハリーが瞬きをして次の瞬間にはもう姿が見えなくなっていた。
ハリーは幸せな気分が少しでも続くよう、ゆっくりとダーズリー達に向かって歩き出した。