渋谷のスクランブル交差点は今や観光名所と化している。立ち止まってセルフィーに勤しむ人の姿がちらほらと見えた。もうとっくに見慣れたけれど、数年前のちょうど今頃、地方の片田舎から出てきた私にとって大きな交差点は憧れの象徴だった。それを見世物にされているように感じてなんとなく気分に靄がかかる。
 井の頭線の乗り換え通路から交差点を眺めている。十五分遅れる、という友人からの連絡を受けて、気温は高くなりつつあるもののまだコートが手放せない街に繰り出す気もしなくて、初めは通り過ぎる人々の頭越しに岡本太郎の絵を眺めていた。それにも飽きて渋谷の街を見下ろしている次第だ。通信制限に引っかかったスマートフォンは使えば使うほどストレスをかさ増しさせるから、ゲームもSNSもお預けだった。時間だけ確認しようと端末に触れればちょうどメッセージが届く。
『ごめん、もう十分遅れる』
 こんなことなら初めからカフェにでも入ればよかった。今から向かったところで、注文する頃に友人は到着するだろう。諦めてまたスクランブル交差点へ目を向ける。
 人で溢れかえった交差点の中央に、緑髪の男がこちらへ背を向けて立っていた。若者の街であるし外国人観光客も多いから、日本にしては黒以外の髪色を見かけることも多い場所だけれど緑とは珍しい。少しくすんだ色は染めているように見えないほど自然でよくなじんでいた。なんて言うのだっけ、オリーブ色? もっと相応しい呼び名があったような気がする。その男はカメラを構えている様子も無いのに、交差点のど真ん中から一歩も動いていなかった。
 信号が点滅を始めて、幾人かは急いで対岸へ駆けていく。気にせず歩いていた人にしびれを切らしたような車が少しずつ動き出す。交差点の中央にいる緑髪の男は立ち尽くしたままだ。どうしたのだろう、と見つめていると、その男が不意に振り向く。

 静かだった。男の目は確かに私の目を見ていた。遠くにいるのに、距離がほとんど無いように感じた。男は私を見ている。私は男を見ている。点と点が結ばれて、じっと、男が口を開いてこちらになにかを伝えようとトラックが横切る。

 はっと息を飲んで、無意識に呼吸を止めていたことに気付く。雑踏は知らん顔で音を取り戻していた。トラックは何事もなく交差点の中央を通り過ぎる。後続の車も同じだった。男が跳ねられた様子はない。男は一瞬のうちに、消えてしまった。
 信号が変わったらしく車の流れも止まる。まだ歩行者側の信号は赤のままなのに、暗い色のコートが一人、濾過された水滴のように滲み出た。私は何かを思い出さなくてはならない義務感に駆られて、どんどん遠のく記憶を必死に手繰り寄せた。やっと歩行者信号が青になって、同時に閃く。
「鶯色」
 思わずこぼした私の声は、誰に拾われることもなく街へ消える。鶯の色はもっと渋かった気がするけれど、間違いなくあれは鶯色だと思う。しっくりなじむから、きっとそうだ。男が告げようとした言葉は受け取れなかったけれど、彼が鶯なら役目はひとつだ。
 誰もいないスクランブル交差点に人の波が流れ込む。まだ寒いこの街で、私にだけ春が訪れた。





渋谷にて告ぐ
190412 誰かと鶯丸
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