「まったく、兄者はまたふらふらと……」
 万屋に行くといつもこうだ、と膝丸はため息をつく。自分が少し目を離した隙に、髭切は興味を引くなにかにつられてどこかへ行ってしまう。紐でもつけておくべきかと考えないこともないが、源氏の重宝ともあろう者のそんな姿は見たくない。しかし兄のふんわりとした性格は直るものでもないから、諦めて町中で彼の姿を探すのだった。
「兄者!」
 人混みの先に見慣れた金髪を見つける。呼びかけた声も虚しく、髭切と思わしき姿は歩みを止めない。人々をかき分けてようやく追いついたところで、はためいた白い衣装は路地へ入って行った。
「兄者?」
 表通りの喧騒から離れた路地は薄暗く、そこに兄の姿は無い。代わりに橙色の明かりを灯した小さな店が、湿っぽい路地の中で浮きだっていた。中に入ったのだろうかと店を覗いても美しい漆器が並ぶばかりで、兄どころか店番の姿も見当たらない。不用心な店だと思いながら立ち去ろうとして、ふと品物に目が留まった。白い水仙の蒔絵が、黒い漆の上で美しく咲いている。思わず手に取ると小さな手鏡であった。
「お気に召しましたか」
「あ、いや、すまない。人を探していただけで手持ちが無いのだ。失礼する」
 いつの間に現れたのか、店番の声に驚いた膝丸は慌てて手鏡を元の位置に戻しそそくさと店を出る。勢いのまま表通りに出てから、そういえば値札がついていなかったことを思い出した。

 万屋への買い出しはままあった。髭切が本来の目的から興味を逸らす度、ちょうどいいと膝丸は手鏡を見に行った。あるときは店の前をゆっくり通り過ぎる振りをして眺め、あるときは手に取ってまじまじと見つめた。店番はいつも「お気に召しましたか」と彼に声をかけてくるが、その度に適当な理由をつけて逃げている。よく見れば花弁の形が少々いびつでお世辞にも素晴らしい技巧とは言えないそれに、なぜか膝丸は心惹かれていた。冷やかしだけに足を運ぶのは店に悪いと思わなくもなかったが、なんとなく自分が手に入れてしまってはいけないような予感がして、店番に値段を聞くことはできずにいた。

 夜更けに厨当番が買い忘れをした、とこぼした声を拾って、膝丸はしめたと買い出しに名乗りを上げた。自分のせいだからと遠慮する当番をいなして外出をとりつける。あの手鏡を見たいと思うのに、他の理由がなくては町へ行けない気がしていた膝丸にとってまたとない機会であった。明日はあの手鏡を見に行ける。そう思うと自然に頬が緩むのをなんとか抑えて、眠りに就いた。
 真っ黒な空間で、水仙が咲いている。手を伸ばしてそれに触れると、触れた箇所から波紋が広がり水仙の像を歪ませた。あの漆も水面のように艶やかだった。可憐な水仙を、傷一つ無い水面を、もっとよく見ようと顔を近付けて、己のかんばせが見えるかと思った瞬間目を覚ます。そこで膝丸は決意した。一刻も早く、あの手鏡を我が物にしなくてはならない。

 頼まれた品を購入し、抑えきれぬ胸の高鳴りが足運びを急かす。今日もその店は路地に橙色の明かりを灯していた。一直線に手鏡へ向かってそれを手に取る。水仙は今日も美しい。
「弟?」
 値段を尋ねようと口を開いた瞬間肩を叩かれ、聞きなれた声に驚きながら振り返ると本丸にいるはずの髭切が立っていた。
「兄者、いつの間に」
「なんだかお前の様子がおかしかったから、ついてきたんだ。それは?」
 髭切は視線で手鏡を指す。膝丸は何故か見つかってはならないものを暴かれたように感じて、咄嗟にそれを棚に戻した。
「これは……なんでもない。少し、気になっただけだ」
「ふむ」
 髭切が店内を見渡す。店番は出てこなかった。
「最近のお前は恋煩いでもしているようだったから、懸想する相手に贈るのかと思った」
「け、懸想など……本当に、ただなんとなくこの手鏡が気になっただけなのだ」
「じゃあ、買わないのかい?」
 普段と変わらぬはずの兄の眼が、じっと己の奥底を見つめているように感じる。その黄金は色付いた明かりの下でも強い光を放つようだった。
「──買わぬ」
「そっか」
 髭切が目を細めて笑う。膝丸はいつも通りの兄の様子に安堵していた。
「じゃあ帰ろうか、膝丸」
 そう言って、髭切はくるりと背を向け店の外に出る。
「ああ……ん? 兄者、今俺の名を……!」
 膝丸が慌てて店を出れば、すぐそばに髭切が立っている。
「そういえば、お使いは済ませたのかい?」
「当たり前だ。そのために来たのだから」
「うんうん。弟は偉いね。せっかくだから、通りの角にある甘味処でお八つを食べて帰ろう」
「兄者……もしやそれが目当てか……」
 膝丸がため息をついている間にも、髭切は軽い足取りで歩き始めていた。

 今日も気付けば髭切がいない。兄を探しながらふと、膝丸は路地裏の店を思い出す。一時はあんなに足繁く通っていたというのに、最後に訪れてからしばらくが経っていた。記憶を辿って目当ての路地を覗く。そこに橙色の灯火は無く、じめじめとした暗がりには仄かに水仙のような香りが漂っていた。





水仙の鏡
190125 膝丸
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