けさは、あさがおがひとつさいていました。あしたはいくつ、さくでしょう?

 戦は嫌いじゃない。かつては無用の長物という言葉があまりにお似合いだった俺を振るうことができる高揚感は計り知れない。とはいえ、同じことの繰り返しでは飽きが来る。
「やーっと今日の収穫終わりかあ」
「うんうん、すっかり溜まってしまったねえ……疲労のことだよ?」
「にっかりよお……」
「んっふふ」
 部隊長のにっかり青江は余裕綽々といった様子だった。この本丸で長く近侍を務めている彼はもちろん極も一番乗りで、にっかりが攻撃を防いだことで助けられた刀は少なくない。
「さて、拾い物も見つけたことだし、早く帰ろうか」
 にっかりの手には向日葵の花が一本握られている。
「昨日の遠征組が一つ多く向日葵を持って帰って来たから……これを足して、向日葵も太刀魚も残りあと五つか?」
「そうだねえ。遠征のみんなが今日もしっかり採ってきてくれれば、明日の出陣で終わりかもしれないね」
 主はたまに突拍子もないことを俺たちに頼む。今回も何に使うかは知らないが、戦場から向日葵と太刀魚を二十五ずつ回収してこいとの命令だ。行き先は限られ、一日ひとつしか拾えないから連日決まった場所を回るだけだった。
「毎日簡単な繰り返しじゃあ、張り合いないよなあ」
「そんなこと言ったら、短刀の子たちに怒られちゃうよ?」
「うへえ……三条大橋だっけか、俺はいやだなあ」
「がっはっは! 御手杵殿は素直でよいことよ」
 会話を聞いていたらしい岩融が豪快に笑う。そういえば、岩融と仲の良い短刀は練度を上げるために件の戦場へしょっちゅう駆り出されていたから、彼の不貞腐れた顔でも思い出したのかもしれない。

「おかえりなさい! ちゃあんとしゅうかく、できましたか?」
「おお、今剣よ! 戻ったぞ!」
 出迎えた今剣は案の定、帰ってきた部隊を見つけるなり岩融に飛びついて、岩融も慣れた動きで彼を肩に乗せた。誰よりも背が高くなった今剣はきょろきょろと部隊を見渡し、にっかりの手元に気付く。
「ありますね! これでひまわりは、あとろっぽんです!」
「五本だろ?」
 すぐに訂正できたのは、戻ってくる前に残りを数えたからだ。にっかりが頷いて、岩融も聞いていたのだから間違いない。
「昨日は遠征連中が向日葵を二本持って帰ってきただろ。それで十九で、これを合わせて二十」
「うーん? にほん?」
「にっかり、そうだったろ?」
 声をかけると、にっかりははっとしたように一瞬目を見開いた。すぐいつもの微笑みに変わったが、どこかぎこちない。
「いや、昨日は確かに一本だった。僕も勘違いしていたみたいだよ」
「えっ」
 咄嗟に視線を向ければ岩融と目が合う。ぽんと肩を叩かれた。
「そうさなあ。俺も先程は気付かなんだ」
「あれっ」
 余程俺が滑稽に見えたのか、今剣があはは、と笑う。
「御手杵はうっかりさんですねえ。岩融、はやくあるじさまに、きょうのせいかをほうこくしましょう!」
「応!」
「おやおや、隊長は僕なんだけどねえ」
 先に本丸の奥へ向かっていく二人の背へにっかりがつぶやく。
「どういうことだよにっかり、さっきは確かに……」
「そういうことになっちゃったんだろうね。あの二振りの手前、これ以上追及はできないし。今日の収穫で向日葵は十九本。保存庫を確認してみればいいと思うよ」
 にっかりにしては珍しい、強引な言い方が不思議だった。

 一晩明けたがまだ腑に落ちない。確かに保存庫にあったのは十八本で、昨日の分を足して十九だった。もやもやした気持ちを抱えたまま眠ったからか、いつもより早くに目が覚めてしまった。朝餉の時間まで余裕がある。内番服に着替えて、気晴らしにでもと部屋を出た。
 早くに起きていそうな刀たちも自室にこもっているのか、本丸は静かだった。厨には誰かいるだろうが近寄らない。触らぬ神になんとやら、だ。夏も盛りの文月だが、早朝となれば昼間の気だるさはまだ身を潜めて爽やかな空気が満ちていた。どこからか水を撒く音がする。縁側の沓脱石に置かれた、誰のものとも決まっていないつっかけで庭に出てみる。
 槍の頃に比べれば縮んだが、それでも他の刀よりは大きい背丈のおかげで、いつだか設置作業を頼まれた花壇の網はすっかり蔦で埋め尽くされていた。長い白髪をゆるく結った刀が水やりをしている。俺の足音に気付いたのか、おもむろに水を止めて振り返った。
「御手杵ですか、おはようございます。はやいですね」
「おはよう今剣。お前も早いな」
「ぼくはまいにち、このじかんにおきていますよ。でも、きょうはみずやりとうばんなので、とくにはりきっておきました!」
「へえ、俺はたまたま目が覚めちまってさ」
「ではそんな御手杵にはとくべつに、いいことをおしえてあげます」
「いいこと?」
 今剣がちょいちょい、と手招きをする。しゃがみ込んだ今剣にならって体を縮めれば、彼は「みてください」と先ほどより柔らかい声を落とした。
「あかむらさきでした」
 今剣の顔あたりにのっぺりとした花がひとつ咲いている。周りに蕾はいくつかあるが、綺麗に開いているのはこのひとつだけだった。
「ことしのいちばんのりですよ」
「おお」
「ひるにはしおれてしまいますから、はやおきしたぼくたちだけのとっけんです」
「なるほど」
 しばらく二人で黙ったまま、じっと赤紫色の朝顔を見つめる。
「さて、そろそろくりやにむかいましょう」
「厨はまだ準備してるだろ」
「はい、あさげのおてつだいです」
「えぇ……朝の歌仙はおっかないぜ」
 いつだか悪い夢を見て今日のように早く目覚めてしまったとき、とりあえずなにか腹に入れようと厨へ足を運んだものの、叩き出された思い出が蘇る。
「それはじゃまをするからでしょう。しっかりおてつだいして、うんがよければ、あまったおかずをもらえます」
「そうなのか」
 思い返せば追い出されるとき、歌仙から「働かざる者食うべからず!」と言われた気がする。
「しかもぼくはきょう、しゅつじんがあるので、たくさんたべなきゃいけないんですよ!」
「じゃあ行かなきゃだなあ」
「はい! はやくいきますよ!」
 ばびゅーん! と声を上げて今剣が駆け出す。今日の俺は非番だが、動かなくても腹は減る。おこぼれに与るのもいいかもしれない。

 また早起きをしたのは、味見でもらった出来たての玉子焼きが予想以上に美味かったからというわけでは決してなくて(また食べたいと思ったのは事実だが)、朝が早かった分夜更かしする気にもならずいつもより早く寝たからだ。起き抜けに朝顔のことを考えたのだって特段理由は無い。強いて言うなら、脇差連中と遅くまで遊んで歌仙に叩き起されることも両手で数え切れないほどあったから、自力で清々しい朝を迎えていることが珍しくて昨日のことを思い出した、というくらいだ。
「今日も当番なのか?」
「ちがいます。あさがおをみにきました」
 俺の部屋から玄関は少し遠いから、また縁側のつっかけを履いて花壇に向かえば今日も今剣がいた。
「お、ふたつ目も咲いたか」
 また昨日と同じく今剣の隣にしゃがみ込むと、やはり同じようにのっぺりとした色の花がふたつ並んでいる。
「……御手杵」
「なんだ?」
「きのうさいていたのは、どっちだとおもいますか?」
「ん? 右じゃないか?」
「そうですよね」
 今剣が優しく花に触れた。
「このいろ、なんていえばいいんでしょう」
「紫だろ」
「もうすこしぐたいてきに」
「えぇ? うーん、青紫か?」
「そうですよね」
「色がどうかしたのか?」
「いえ、なんでもありません」
 今剣は昨日開花した一番乗りの青紫色を撫でる。その手を見ながら、彼はこんな熱心に花を慈しむ刀だったろうかと考えたが、答えは出なかった。

 すっかり習慣になってしまった早起きのせいで、厨の手伝いも日課になっていた。ちなみに玉子焼きの日は当たりだ。昨日も出陣でくたくたに疲れて布団へ倒れ込んだというのに、同じ時間に起きてしまうのだから慣れとは恐ろしい。鯰尾に「最近付き合いが悪い」と言われてしまったが、夜は眠くなるのだから仕方ない。朝の手伝いに誘ってみれば「俺、厨立ち入り禁止なんだよね」とのこと。理由は聞かないでおく。もちろん朝顔を見に行くのも続けている。初めはひとつしか咲いていなかった花も今では数え切れないほどになって、緑の壁を朝の間だけ色鮮やかに染めている。短刀だけでやっている水やりも手伝おうとしたがそれは断られた。本当は全員が毎日やりたいのを、妥協して交代にしているらしい。今日の当番は最近顕現した包丁藤四郎で、彼も朝顔と水やり当番のことを知るなり仲間に入りたがった。畑当番は嫌がる包丁でも、皆がやりたがることは気になるようだ。だから俺は毎日見ているだけで、同じ時間に当番が水やりに来れば、一緒に厨へ向かうのが常だった。
「ねぇねぇ御手杵、今日は朝ごはんにお菓子出るかな」
「お菓子は出ないだろうなあ……ああでも、甘い玉子焼きは出るかもしれない」
「ええー、お菓子がいいよ」
「包丁、悪いことは言わない。出来たて食べてみろ」
「ふうん、仕方ないなあ」
 そんな会話をしているうちに厨へ辿り着く。中を覗けば歌仙と燭台切が忙しなく支度をしていた。
「手伝いに来たぜ」
 まな板に向かっていた燭台切が振り返る。
「おはよう、御手杵くん、包丁くん」
「ああ、いいところに来たね」
 竈に立っていた歌仙は火を止め、鍋を持ったまま皿が並べられた机に俺たちを呼ぶ。彼も昨日同じ部隊にいたというのに、俺よりさらに早く起きて働いているのだから頭が上がらない。
「包丁はこの煮物を皿に取り分けてくれるかい。御手杵は出来たものから配ってほしい」
「うん!」
「わかった」
 鍋敷きの上に煮物が入った鍋を載せて、歌仙は竈に戻った。中にはつややかなナスとオクラがたっぷり入っていて、出汁の美味そうな匂いがする。
「ねぇねぇ歌仙、これいくつずつ?」
 椅子に上った包丁が菜箸を持って振り返る。
「この間と同じで、ナスとオクラをひとつずつ入れておくれ」
「俺これやるの初めてだよ」
 あれ、と思う。先週の包丁が水やり当番だった日も確か献立に煮物があったはずだ。
「先週も煮物取り分けてただろ? たしかナスとカボチャだったけど」
「御手杵くんあーん」
 顔を向けると目の前に黄色の塊があって思わず少し身を引く。焦点を合わせれば、燭台切が玉子焼きを菜箸で差し出していた。
「お、おう、んあ」
「味付けどう?」
「ん、んまい」
 出来たての玉子焼きはふわふわで、優しい甘さが口の中に広がる。よかった、と笑う燭台切の目が、なにか含んでいると気付かないほど鈍くはないつもりだ。
「えーっ! 御手杵だけずるい!」
「はいはい、包丁くんもどうぞ」
 雛鳥のごとく開いた口に燭台切が次の玉子焼きを入れる。
「はむ……あっまーい!」
 きらきらと目を輝かせ、器用に椅子の上で跳ねる包丁はすっかり玉子焼きに夢中のようだった。
「なあ歌仙」
 竈に近付き小さく声をかける。手が止まっていたくせに、俺が来たことに気付くと取り繕うように味噌汁をかき混ぜはじめた。
「−−ああ、君はやったことがあるだろう? 頼んだよ」
「そうじゃなくて」
 歌仙はじっと鍋を見つめているのか顔を上げない。
「……主から話を聞いたことはあるかい?」
「主?」
「聞けば教えてくれる」
 これはもう顔を上げることはない、と諦めて振り向けば燭台切と目が合う。彼はまた、何も言わずに笑った。

 朝の広間に顔を出した主は、昨日の内番連中から成果の報告を聞くなり自室に戻ってしまった。仕方なく、味が良くしみたナスとオクラをなんとも言えない気分で食べる。さっきより少し冷めた玉子焼きもつまみながら、せっかくの出来たてをあまり味わえなかったことに気付いて今更後悔した。昨日の今日で非番だから、主と話をしに行く時間はいくらでもある。その余裕が、なぜだか心の隙間にいやなものを詰めていくような心地にさせた。
 やはりなんとなく気が乗らなくて、重い足取りで主の部屋に向かったのは結局昼もとっくに過ぎた頃だった。廊下を歩けばうだる残暑が容赦ない。もう聞き飽きた蝉の鳴き声も未だひっきりなしだった。その合間に水遊びでもしているらしい、短刀たちのはしゃぐ声が聞こえる。主の部屋へ近付いた頃、内側からその襖が開かれにっかり青江が出てきた。
「おや、もしかして主に用かい?」
「ああ、取り込み中か?」
「すぐ終わるみたいだけど。急ぎかな?」
「いや、いつでもいいんだが……聞きたいことがあって」
 そこまで話して、ひと月ほど前の出陣を思い出す。違和感を覚えたのはそういえばあの日からだ。
「にっかりは知ってるのか」
 ん? と首をかしげたにっかりだったが、やがて思い当たったように目を丸くした。
「君、もしかして知らなかったのかい」
「歌仙が、主に聞けば教えてくれるって」
「んっふふ、彼はあれでいて繊細だからねえ……でもそうか、知らなかったのなら、この前は悪いことをしたねえ」
 申し訳なさそうににっかりが眉を下げる。相変わらず肝心な内容はわからないが、あの不自然な態度は勘違いが引き起こしたものだったらしい。
「別に構わねえけど、なんでみんな教えてくれないんだよ? 燭台切にも誤魔化された」
「禁じられているわけじゃないけど大事な話だから、誰かに教えたら主へ報告することになっているんだよ。ちなみに教えられた相手もそのあと主に呼ばれる。だから直接主から話を聞くように促す刀も多いね。でも燭台切くんかあ……誰か一緒にいたかい?」
「包丁がいた。朝餉の手伝いに行ったんだ」
「ああ、なるほどねえ。立ち話もなんだから、僕の部屋でも行こうか」
 にっかりが俺の横をすり抜ける。御神刀でもないのに、ひんやりとした空気を纏う刀だ。

「いつだか眠る前、ふと気付いたんだ。僕は眠る前に少しだけ本を読むから、その日も出陣から戻ってきて、寝る支度を済ませたあとに数ページめくって終わらせようとした。目印は短刀の子たちがくれた押し花の栞を使っていて、机に置いていたそれを手に取ったそのとき。葉が一枚足りない、とね。ちゃんと本を汚さず使えるように、栞の表面はしっかり加工されていたから落ちることもなさそうだったけど、僕の記憶違いということでもない感じがした。作ってくれた子に聞いても覚えていないって言うから、主に話してみたんだよね。そうしたら教えてくれたよ」
 この本丸は基本的に刀派で部屋を割り当てられている。青江派はまだにっかりしかいないから、一振用の小さな部屋だった。
「それは些細な違いなんだ。栞にした葉が一枚足りなかったり、咲いた花の色が違ったり、あとは……」
「朝餉のおかずが違ったり、か?」
「ああうん、ふふっ、君らしい例えだね。その通りだよ」
「包丁が覚えてなかったんだ。先週、あんなに煮たカボチャは甘いから好きだ、って騒いでたのに」
「なるほど」
「歌仙は覚えてたらしい」
「だろうね」
「覚えているやつと、覚えていないやつがいるのか?」
「御手杵、昨日の第一部隊は誰がいた?」
「第一部隊? 俺と歌仙、小夜、不動、髭切、膝丸だな」
「じゃあ、その六振りはカボチャのことを覚えているんじゃないかな」
「は?」
「残念ながら僕も、先週の朝は煮たカボチャを食べた覚えが無いんだ。君たちとは出陣していないから」
 ちりん、と風鈴が鳴った。にっかりの部屋らしいなとぼんやり思う。
 歴史修正主義者たちは歴史の改変を目論んでいる。それを阻止するのが俺たち刀剣男士の役目だ。顕現されたときから耳にたこができるほど聞かされた存在意義。だから俺たちは過去へ飛んで、時間遡行軍が悪行を働く前に排除する。そして歴史は守られる。だがそのとき、俺たちは土を踏む。その時代のなにかに触れる。敵を刺せば血が飛ぶ。多かれ少なかれ、痕跡が残る。些細な痕跡も時が経てば変化を与える。糸がほつれたところからどんどん崩れていくように。そうして広がった変化は、俺たちがいまいる時代に及ぶ。
「と言っても、歴史の大きな流れを変えてしまうようなものじゃない。むしろそれは阻止しているからね。もしかすると、時の流れというのは故意に曲げようとしなければ、些細な違いを吸収していくのかもしれない。だから出陣した刀が戻っても、本丸はいつもの通り。だけどたまに細かな違いが残る。君たちが出発したのは『歴史改変が及びそうになっている過去のある本丸』で、帰ってくるのは『歴史改変を阻止した過去のある本丸』だろう? 本丸に残っていた僕たちは、後者の過去から続いた未来の上に生きている存在だから、些細な変化に気付かない。というか、初めからそうなんだ。初めから栞の葉は少ないし、カボチャの煮物は食べてない。でも出陣した君たちは違う。もう存在しない過去を知っている。だから出陣していた僕は消えた葉のことを知っているし、君はカボチャの煮物が並んだ食卓を覚えている。わかったかい?」
「じゃあ、お前は……俺の知ってるにっかりじゃない、ってことか?」
「難しい質問だねえ。君のなかで、カボチャを食べていた僕と食べていない僕を、違う僕だと言うなら君の知っている僕じゃないかもしれない。でもきっと、それ以外のことは君の知っている僕と同じだと思うよ。今のところはね。それに君が言うところの『君が知っている僕』だって、君以外の誰かが出陣して書き換わった僕なのかもしれない」
「うーん……頭が痛い」
「んっふふ。僕も初めは大変だったよ」
 ちりん、ちりん、とまた涼しい音がした。そういえば、蝉の声が落ち着いている気がする。
「そろそろ主のところに戻っていい頃かもしれない……ああそうそう、『絶対驚くから、本丸にいるみんなを連れてきて』って言われたんだ。主はたまに、鶴丸さんみたいなこと言うから面白いよね。みんなを集めるの、手伝ってくれるかい?」
「ああ、いいぜ」
「助かるよ」
 立ち上がったにっかりにならって部屋の外に出る。部屋に来るときは眩しいくらいの光が差していたのに、どことなく辺りは暗い。
「ひと雨来るかな」
 にっかりが縁側から顔を出し、空を見上げる。
「来るかもなあ」
 鴨居に手をかけながら、軒から顔を出して同じように空を見上げると、先ほどより雲が厚くなっているようだった。内側に戻ろうと頭を引っ込めれば、ちりん、とすぐ近くで大きな音がする。不意打ちに驚き急いで屋根の中に戻るとその最中にまたちりちりん、と風鈴が鳴った。短冊がゆらゆらと揺れている。なかなか情けない姿を見せてしまったと思いながらにっかりの方を向けば、彼はしゃがみ込んで沓脱石を見つめていた。
「つっかけのへんてこな色、僕は結構気に入っていたんだけどねえ」
 石の上に転がっているのは、万事屋でもよく見かける何の変哲もない黒のサンダルだ。たしか安売りしていたものを主が買ってきて、そのあと買い替えたという話は、とくに聞いたことが無い。

「こいつは驚いた!」
 お馴染みの台詞を言うのはもちろん鶴丸国永で、かき集められた男士たちの前に広がっていたのはどこまでも続くような向日葵畑だった。空は生憎の灰色だが、その下でも輝くような黄色を放っている。水遊びをしていたであろう小柄な短刀たちは一目散に駆け出し、俺の背丈ほどある花の下でまた遊び始める。連日集めさせられた向日葵やら太刀魚やらは、どういう原理か知らないがこの景趣のために必要だったらしい。
「これは見事だね」
 たまたま近くにいた燭台切のつぶやきが耳に入った。包丁が向日葵の中に入っていったことを確認して、声をかける。
「なあ燭台切」
「ん? なんだい?」
「今朝、なんで隠したんだ? 包丁が聞いちゃいけないのか?」
 燭台切はぱちぱちと瞬きをして、言葉を選ぶように唸った。
「うーん……確かに、短刀の子は主から直接聞いた方がいいだろうなと思ったよ。難しい話だしね」
 困ったように笑うこの太刀は、嘘をつくのが苦手らしい。まだなにかある様子を黙って見つめていれば、俺の意図に気付いたのかひとつ息をついて言葉を続けた。
「焼失してるだろう? 彼。もしかしたら今剣くんみたいに、失われてしまうことに敏感かもしれないなと思って、急には話したくなかったんだ」
 短刀たちの戯れる声が遠くに聞こえる。
 ごめんね、と謝る燭台切に、いや、と短く返すことしか出来なかったのは予想外の言葉だったからで、気を悪くしたわけじゃない。だって、燭台切も焼けてるだろ。そう言おうと口を開いたところで、頭にぽつりと雫が落ちる。
「あ、降ってきた?」
 思わず天を見上げた俺の様子に、燭台切も手のひらで雨を探る。途端にぽつぽつぽつと雨粒が続き、あっという間にその密度が増していく。わああと散らばっていた刀たちが本丸に向かって駆けていく。むわっと巻き上がる湿気の、ぬくい塊が息苦しい。俺はこれに似た感覚を知っているような気がする。心に迫り来るなにかを振り払うように、俺も屋根の下へと駆け出した。

 今剣の実物は世に存在していない、物語の刀だ。修行してから踏ん切りはついたようだが、記憶の中にしか存在しない、消えてしまったものたちを遠からず感じているらしく、そのことに気付くたび悲しそうな顔をする。岩融がそれを見かねて、今剣の前であまりその話をしないでほしいと主に直談判したらしい。主もその意向を汲んで、記憶のズレについて知っている刀には周知しているそうだ。他に気を付けることも聞かされた。知らない刀もいるので、基本は変わってしまったあとの話に合わせること。無理に抱え込まないこと。不安を覚えたら、まずは主を頼ること。下手にこだわると歴史の流れに飲み込まれてしまう可能性が捨てきれないうえに、今剣のような刀は個別に配慮をするため、この話を他のやつに話したら必ず主へ報告すること。なるほど確かに、検非違使が俺たちすら敵視するわけだった。
 その夜、色んなことを考えていたらすっかり眠るのが遅くなってしまって、久しぶりに朝寝坊をした。それからまた起きられない日が続いて、朝餉の手伝いもしばらく顔をだしていない。とうとう歌仙に叩き起されるほどにまで戻ってしまって、「夏場の君はどこへやら」と小言を食わされた。
 向日葵畑ももう少しすれば紅葉に変わるらしい。網の上で萎れている花の数もだんだん減っていた。夏の庭で咲いた朝顔の色を、明日の俺は覚えているだろうか。





夏の日、残像
181109 御手杵



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